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私より、フライドチキンの方が価値がある🍗  
 

【序文前説】 私より、フライドチキンの方が価値がある。  私は普段から、自分より、フライドチキンの方が、世界にとって価値があると考えている。  フライドチキンは、食べている人を笑顔にしている。世界を幸せにしている、と感じる一方、私は誰も笑顔にできないで一日を過ごす事だってあるからだ。  そういう時 私は、死んだ鶏肉以下の価値しかないと、自分を責めることすらある。  しかし、この考え方は本当に事実だろうか。人を幸せにしていなければその存在には価値がないのか。死んだ鶏肉以下の価値、というのは、無意識的に鶏の命を見下していないだろうか。そもそもその価値は、誰にとっても同じなのか?  そこで私は、複数の人にある質問をしようと考えた。質問は二つある。 ①「貴方にとって私(筆者)はフライドチキンより価値が高いか?」 ②「貴方は自分自身をフライドチキンより価値が高いと思うか?」  この珍妙な世界で何とかサバイブするための、ちょっと面白い色眼鏡を、鑑賞者に提供できたらと考えたのだ。  この文章を読んでいる貴方が、新たな価値観や、自分を違う角度から見ようとするきっかけを見つけられるなら、それだけで嬉しいと思っている。  それが果たして価値あることか、やっぱり私には分からない。  ただ、この遊びは、フライドチキンには出来なさそうなので、やってみよう。

Log⓪  2025. 11/28 12:37:02 インタビュイー:ニワトリ4羽  ——私より、フライドチキンの方が価値がある。  これは私が常日頃・四六時中うじうじうじうじ考えている事で——どう考えても、私より、フライドチキンの方が価値がある。  ちなみに、この『どう考えても』はどう考えてもおかしい。ぶっちゃけこれは、偏屈な妄想だ。きっと現実ではそうじゃない。  しかし私は、これを偏屈な妄想だと分かりながら、鬱蒼とした妄想の森の中を日々マラソンしながら生きてるので、こっちが現実みたいなもんだ。  私は私が生きる現実のために泣き叫びながら、何かを証明したくて生きている。私にとって現実でしかないこの妄想は、世界のどこかの誰かにとっても、同じように堅牢で強固で真っ黒な現実として立ちはだかっていると知っているから。私がもし、その森を走り抜けられれば、その人もその森を抜けられるという証明になるんじゃないかと信じているから。  ——何の話してるの? 関係ない。ああ、やだやだ。  それで、最初の話に戻る。フライドチキンの方が世界を幸せにしてるって話です。  まず、例えばの話で。ある場所に、子供が一人いるとする。小学生くらいかな。出来る限り、なんかいたいけな感じだと良い。そして、その隣に私もいる。で、子供はわんわんぎゃおぎゃお泣いている。  私は困る。  ここで小学生が笑い転げてくれるようなギャグを秒速で思い浮かべられるようなら、困ってさえいないのだけれど。残念ながらそんなにジョークに富んではいない。よく話す方だと自負しているが、人生を振り返ったら、場を沸かせた回数と同じくらい失言の回数がめちゃめちゃ多い。  そんなわけで、小学生を前にした想像上の私、無力。もう本当に何もできない。背中を地面にくっつけてわんわん泣く小学生を見下ろしながら、私も自分の背中を地面にくっつけてわんわん泣いてしまおうかと思う事しかできない。  ——しないですよ。  そんな無力な私ですが。ところが、どうでしょう。私の手元に、ひとつのフライドチキンがあるではありませんか。ほかほかの、なんか胡椒がいっぱいついてて美味しいあれ。  するとなんという事でしょう。さっきまでギャン泣きあそばしていた子供が、きらきらした瞳でこちらを見上げているではありませんか。すごい、すごい! 私はフライドチキンをそのままその子に手渡します。  子供は、ぱくぱくとフライドチキンを頬張ります。そして、笑顔でこう言うのです。……美味しい!  なんて私の無力な事。そして、フライドチキンの——食べ物のもつ、この強さ。  ——今の妄想はちょっと大袈裟に言ったけれど、実際私は、四六時中だいたいこんな妄想をしている。自分は今日、誰の事も笑顔に出来なかった。フライドチキンは今日も世界の誰かを笑顔に出来ていてすごいなあ、というように。  そんなわけで、私は今回このネガティブな気持ちを、卒業制作として形にしてみようと考えた。  何が『そんなわけで』なのかは自分でも分からないけれど——先ほども少し言ったように、私はこの悩みや妄想を、何も自分だけのものだとは思っていない。  フライドチキンに関して、一言一句全く同じ妄想をしているという人は少ないだろうが——自身の価値、自分がいる意味について考え、考えているうちに雁字搦めの森の中に囚われている人は、きっと少なくないと思う。  だから私は、この鬱蒼とした森に、妄想に、フライドチキンに、自分なりの方法で抗ってみたい。そうして抗って、いつかその森を抜けてみたい。  それをユニークな作品という形にする事で、ネガティブな気持ちそれ自体を持っていてもいいのだと、ありのままを肯定する事を体現したい。  私はまず、この森こと妄想を寛解させる第一手として、友達に頼る事を考えた。  具体的には、美大の友人十一人にインタビューを行い、「①貴方にとって、私(大久保帆夏)とフライドチキン、どちらの方が価値が高いか?」「②貴方は自分自身とフライドチキン、どちらの方が価値が高いと思うか?」と質問をする。  そうして自分以外の、言葉通りの『価値観』——この世界を生き抜くための、ちょっと面白い色眼鏡を、少しかけさせてもらえればと考えたのだ。  また、友人以外にも、日本で主要なコンビニエンスストア3社、有名フライドチキンチェーン1社、大型養鶏施設1社に、正式に取材を申し込むメールを送る。  フライドチキンの事を聞くのだから、鶏のプロフェッショナルに是非とも話を伺ってみたい。  そんなわけで私は、大学の担当教員に推薦状を書いてもらい、取材申し込みのメールをぽちぽちと書き、意気揚々と合計5社にメールを送った———       ×××  ———惨敗した。  5社全てに取材を断られてしまった。オーン、衝撃。5社全て、本当に申し訳なさそうに謝罪してくださって——こちらこそ変な質問してくださってすみません、という気持ちと、きえーい、もうどうしたらええねん、という気持ちが同居して踊っていた。やっぱり、フライドチキンと自分の価値って、ちょっと答え難いところがあるんだろうか。  このままじゃ、なんか悔しい。私は、なんか悔しいから人生を生きている。  そこで私は思いついた。  ——鶏のプロに断られたなら、鶏自身に聞けばいいじゃん。  なんて?  そんなわけで、私は再び意気揚々と鶏を飼っている知り合い、あるいは近くで鶏を飼育している施設がないか調べだし——結果、徒歩十分といえる場所に住んでいる親戚が、四羽の鶏を飼っている事が判明した。  灯台、もと、暗し!  私は抑うつの症状により重い身体を引き摺りながら、薬を飲み、往復五時間かかる大学にてレコーダーと一眼レフカメラを借りて——動けなくなったので翌々朝、せっせこ親戚の家まで行く事にした。       ×××  親戚の家までの徒歩十分は、Webサイトに出てくるようなちょっと誤魔化しのある徒歩十分と違い、本当に徒歩十分だった。それよりいくらか短かったかもしれない。ありがたい、ありがたい。  上記に少し書いた症状により、私は約束していた時間から一時間ほどの遅刻をぶちかましていたのだけれど、親戚は少しも怒らず、鶏舎を開けながら、「糞だらけだけど」と言って笑った。  案内されながら、私は既にカメラを構えていた。レンズにまるまる太った大きな鶏が、四羽映る。本当にまるまる太った……まるまる……  ——デカいな!?  鶏はめちゃめちゃデカかった。鶏舎は小さいので入るためにはしゃがまなくてはいけず、入ったらもう二度と立つ事は出来ない正真正銘鶏のための設計をしていたのだけれど——鶏たちは、しゃがんだ私の首くらいまでの高さがあって、ぎょっとした。  ぎょっとしすぎてしまった方は、私の身長はまあ小柄にあたるので、少し安心してください。  そんなわけで、まるまる太って薄く茶色っぽいのが二羽、赤い鶏冠をびろびろ下げて、黒々としているのが二羽、といった感じだった。どちらも毛艶——羽艶? が良く、活き活きとしている。  四羽の中でも一番大きい鶏が丁度近づいてきてくれたので、とりあえずレコーダーを向けて挨拶をしてみる。   大久保「こんにちは」 ニワトリ「ボボー、モモモモ、ボボ」 大久保「あの……」 ニワトリ「コッコー、ンモモ、ボッボボボボボ」 大久保「まずは、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」 ニワトリ「ンモー!! ボボボ、ムンボボボボポポポポ。キィエー、ボボボボボボボボ」  当たり前だけど何言ってるか全然分からない。  私はぼうっと、「鶏って全然コケッコッコーとかコッコーって鳴かないじゃん」と思っていた。  一応、もう一度聞いてみる。 大久保「……まずは、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」 ニワトリ「コッコー!!」(すごい勢いで近づいてくる) 大久保「えっ」 ニワトリ「コッコー!!! コッコー!! ポポ、ポポ、ポポ!」 大久保「わ、おわ、おわあああ」  鶏は私が持っているカメラに狙いを定めると、ずんずんと近づいてきて、こちらを突こうとしてきたので——慌てて丸まり、借り物のカメラを庇う。無論カメラもレコーダーも無傷で済んだが、すごい。動物って何をされたら人間が一番困るか分かってるんだ。  カメラを庇っているので、代わりに私が狙われた。痛い。こうしてつつかれていると、自分の弱さを痛感するというか——フライドチキンに加工される前から、鶏って強大で、もう既に自分の方が価値が低い気がしてくる。  ———いや、それはおかしい。その理屈だと、議論の際は相手を暴力で黙らせた側の意見が無条件で正しいという事になってしまう。  私は決して、そうは思わない。武力を振るう方に無条件に価値があるなんて、私はそんな哀しい社会を認めない。  だとしたら私が、私自身をその理屈に当てはめてしまっては駄目だろう。私は勇気を振り絞り、まだ価値は決まっていない、もはや、関係に価値などないのかもしれない——私と鶏は対等だ——と念じながら、しばらくそのまま丸まっていた。  そうして外敵には及ばないと判断したのか、鶏は瞬時に私への興味をなくしてはけていった。妙に悔しかった。  ともあれ、実は鶏たちの名前はもう分かっている——私が鶏たちの言葉が分からないのを見越して、先に、飼っている親戚に名前を聞いておいたからだ。  そんなわけで、彼らの名前は———  なんと、ありません。  つけていないそうです。以上。無駄な時間。 大久保「——今日は、鶏の皆さんに質問したい事があって、ご連絡させていただきました」 ニワトリ「コエー、コッコッコ?」 大久保「ふたつ、質問があります」 ニワトリ「コエー、コエー、コエー」  言葉が多少通じているのか、先ほどと同じ、一番大きな茶色の鶏が近づいてきてくれた。  私は少し驚きながら、「ありがとうございます」と言葉をかけた。 大久保「貴方は、私——大久保帆夏と、フライドチキン。どちらの方が価値が高いと思いますか?」 ニワトリ「ボー。ボエー。コッコッ」 大久保「……ありがとうございます」  答えてくれたのだろうか。鶏に言語があるとはまだ発見されていないようだが、そこら辺について、少しは勉強してくればよかった。  最近、ある動物言語学者のインタビューをテレビで見て、シジュウカラも『言語』を話しているというのを知った。警戒しろとか集まれとか、そういうのをピーピーヂャーヂャー話しているらしかった。  もしかしたら、まだ世界が知らないだけで——あるいは、私が知らない、分からないだけで。鶏も、ポッポムームーと私に向かって何かを話しているのかもしれない。  それが分かったら、私はフライドチキンを食べづらくなるだろうか。私はより、自分をフライドチキン以下の命だと思うだろうか。私の持つ妄想は、いよいよ現実となって襲いかかるのだろうか。  分からない。 大久保「二つ目の質問があるんですけど、質問してもよろしいですか?」 ニワトリ「コエー、コウコウコウ」  鶏にとっては、私の考えている事など知る由もない。彼らは鶏舎の出入り口の溝にハマったエサを、頭をぐいぐい溝の内側に押し付けて啄んでいた。必死。 大久保「あっ、すごい。すごい(溝の)中に入ってる。よろしいっすか?」 ニワトリ「ボー!」  いいお返事! 大久保「いい、らしいです。ありがとうございます」 ニワトリ「ボー、ポボー、ボボー」 大久保「貴方は、自分と、フライドチキン。どちらの方が価値が高いと思いますか?」  そう聞くと、茶色の鶏二羽がふいにこちらに近づいてきた。先ほどの突進とは違い、愛嬌よく、喉を鳴らしながらこちらを見上げ、首を傾げている。 ニワトリ「ポエー、ポエー、ポルルルルル」 大久保「こんにちは」  挨拶をしてみる。  鶏は、こんなにもデカい。デカいのは知っていた。通っていた幼稚園がチャボを飼っていて、それがとんでもなくデカかったからだ。  だけど、あのチャボがデカく見えたのは、当時の私の身長があまりに低かったからだと思っていた。思い込んでいた。  あの頃の私は、チャボもニワトリの一種なんだと知らず、チャボを「ニワトリ」と呼ぶ同じ組の子たちに、「それはチャボだよ」とドヤ顔で教えてあげていた。大人たちがそう呼んでいるのを覚えていたのだ。あまりに恥ずかしい。  私はあの頃のまま、恥ずかしいままだ。鶏がこんなデカい事すら、私はちゃんと会いに行くまで知らなかった。想像で余白を埋めて、勝手に決めつけていた。すごく愚かだと思った。  しかし私は、いつものように自分が愚かだと思ったが、だからと言って、自分が極端にフライドチキン以下だとは思わなかった。    愚かだという事は、別に悪い事ではないからだ。自分を含め、人を傷つけない限り。 ニワトリ「ボエー、ボー、クルルルルルル、ココッ、コッ」 大久保「ありがとうございました」  餌を啄む鶏を見ながら、お礼を言い、私は鶏舎を後にした。       ×××  鶏舎から出て、撮影させてくれた親戚へお礼の挨拶に行った。  挨拶に行くと、親戚が、件の鶏たちから採れた卵がごろごろ入ったポリ袋を、毎日採れるから、お土産だと言って渡してくれた。  鶏は一日一個。ここの鶏は四羽いるので、つまり合計四個、毎朝卵が採れるらしい。  毎日必ず美味しい卵を産出できるなんて、本当に素晴らしいと思う。私はそんなコンスタントに作品を作れはしない。  そういう日に、私はフライドチキン以下だと自分を責める。自分は誰の事も笑顔に出来ない、価値のない人間だと。  対して鶏は、毎日人を笑顔に出来るもの——卵を作っていて、すごい。本当にすごいなあ。  いや、しかし——鶏からしたらどうだろうか。鶏は別に、人を笑顔にするために卵を作ってはいないだろう。  ただ、生物が持つ機能として自動的に排卵がなされているというだけで、(あるいは我々人間がそれを無遠慮に食すなんて事をしているだけで)そこに誰かを笑顔にしようなんて意思は全くない。  反対に私は、誰かの世界を面白くしたくて、幸せにしたくて、必死に作品を作っている。  私には発達障害(ASD)があり、十月時点では、重度の抑うつ状態とされていた。今もその症状は色濃い。  私が作品を作るという事に固執しているのも——そんな私が、そんな私のまま創作し、誰かを感動させる事ができれば——私と同じ苦しみを抱えている人も、きっと誰かを感動させる事ができる。私が生きる道筋そのものが、誰かが生きている意味があるという証明になると思っているからだ。  抑うつの症状を寛解させたくて精神科に通っているのも、薬を飲んでいるのも、同じ理由だ。最初にちょっと言ったように、私がこの森を抜けられれば、他の誰かも、この森を抜けられるという証明になると思って生きているからだ。  つまり私は、自分のためではなく、どこかの誰かのためにこの沈む気持ちを治そうとしている。卒業制作さえ、自分のためでなく、名も知らぬ誰かのために作ろうとしている。  いつか私も、鶏のように。ただ『出来ちゃったもの』で、誰かを笑顔にする事が出来るだろうか。  まっさらに産まれた卵みたいに。  心のままに、自由のままに、ただ生きるだけで、誰かに笑顔を届けられるだろうか。  私が本当に知りたかったのは、そういう事だったんだろうか。  今はこの、フライドチキンと自分を比べてしまうネガティブな気持ちを——色とりどりの折り紙で包んだり、ラッピングしたり、紙飛行機にしてみたりして、どうか少しでも遠くまで飛ぶようにと、必死に腕を伸ばすだけで、精一杯だ。  その紙飛行機が、今自分を責める誰かの頭にこつんと当たって、少しでも、この世界を安心して生きられるようにするために。  分からない。私は家までの道のりを疲労でよちよちと歩きながら、貰った卵は卵かけご飯で食べようという事ばかり考えていた。

Log① 2025. 6/30 14:55:08 インタビュイー:入江丸木 ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年6月30日 14:55:08  最初にインタビュイーとして召喚する人間は決まっていた。  同級生の、入江丸木(いりえまるき)くんである。 大久保「じゃあ、まずはお名前を教えてください」 入江「———はい。お名前は、入江、丸木。です」  入江くんは最後に「偽名です」、と付け加えた。  彼は普段は別名義で活動している。新進気鋭のデジタルゲームクリエイターとして、テレビ出演などもこなしながら活躍している。 大久保「普段はどんな作品を制作されていますか?」 入江「普段は、ゲームを作る事が多いです。ゲーム……PCで遊べるゲーム。が多いです。今は、アクションゲームを作っているところです。(特に)ビデオゲーム。Unityとか、game makerとか、Godot Engineとか。その辺のまあ、ゲームエンジンを使って作る事が多いですね」  入江くんは私にとって、大学で一番最初に出来た友達だ。3年になってラボが別れるまでは、必修のほとんどを一緒に受けていた。  彼の興味が適用されるトピックスは、私の興味とはかけ離れているような——はたまた、宇宙的に見たらとても近いところにあるような。そんな気がする。作っているものも、その作っているものによって、鑑賞者に伝えたい事も、そもそも鑑賞者に伝えたい事があるのかすらも。彼と私はかなり違う、と思う。  ただ、搭載されている言語が一緒だ。話が通じる以上に、『言葉』が通じる。  そんな訳で、私は、入江くんから面白い答えが(あるいは返しが)聞けるかもしれない。少なくとも、私が普段考えられている事とは、全く違う角度のサーブが返ってくると踏んでいて、彼をいちばん最初のインタビュイーとして選んだ。  入江くんは私が用意した丸椅子に座っている。彼の目の前には、鉄で出来た大きな机がある。真っ白なテーブルクロスがかけられた冷たい机上には、スケッチブック、ノート、黒色と赤色の複数のマジックマーカー。そして、先ほどコンビニで買ってきたフライドチキンが、耐油平袋にくるまれたまま紙皿の上に置いてあった。  入江くんにお願いして、フライドチキンの袋を破ってもらう。何となしに、それをセッション開始の合図とした。 大久保「じゃあ、入江くんに質問があるんですけど」 入江「はい」  入江くんは弄っていたはずのスマホを置き、真っ直ぐにこちらを見つめてくれた。私はそれに、いくらか乾いた舌で、質問をした。 大久保「入江くん。貴方にとって、私——大久保帆夏は、フライドチキンより価値が高いと思いますか?」  彼はマーカーのキャップを弄りながら、少し瞬きをして口を開いた。 入江「価値が——……フライドチキン、と。大久保さん、の、価値ですか」 大久保「うん」 入江「——ここに書くの? えへへ、まあ、ちょっと。そうですね。難しい。難しいというか——」 入江「———『よく分からない』かな」  彼はそう言って、私の方をいくらか見ながら、マーカーをスケッチブックに走らせた。どうやら文字を書いてるわけではなさそうなので、彼の方に回って、「何書いてるの?」と聞いてみた。 入江「大久保さんを描いてるんだけど、難しいですね」  入江くんが笑ったので、私も笑った。  入江くんの言った通り、スケッチブックには私の似顔絵が描かれていた。何となくモチモチしてて、多分、私が私を描いた時よりもずっと似ている。それを見た私が「ありがとう」と言ってからから笑ってる間にも、私の髪の毛が描き足されていく。  対象を比較するにあたって、答えを出す前にまず『観察』をするのは当然と言える。中学生だって、理科の授業中には細胞のスケッチを描かされる。  つまり今、入江くんにとって私は観察する『対象』だ。彼は、ある種の誠実さを以て、真っ向から私とフライドチキンを比較してくれようとしている。 大久保「(私を改めて)認知してるって事、今?」 入江「認知? うーん……あ、髪がまきまきですね」 大久保「最近まきまきにした」  入江くんは小さく「なんか違うな」と言いながらも、笑顔で似顔絵を描き続けた。 入江「丸いな、っていう」 大久保「丸い?」  私が聞き返すと、入江くんはにこにこしながら答えた。 入江「——髪? 顔が丸いよね」 大久保「は———」  私は思わず大声で笑ってしまった。こういう、他意がないところが素晴らしい。  入江くんはそのまま、「卵形って言えばいいのかな」「卵形の人は女装が似合うって言われてて」と、私の首を描きながら呟いていた。  そうして彼は、フライドチキンが乗っている紙皿を手に取ると、私の似顔絵の隣に置いた。スケッチブックの上で、フライドチキンと、線で描かれた私が並ぶ。入江くんはその両者の間に、こう書いた。 『VS(バーサス)』  それを見た私は思わず、「そう!」と叫んだ。しかし、入江くんはこうとも言った。 入江「VS(バーサス)は、成り立たない」  彼ははっきりとそう言って、自らギザギザのフキダシで囲ったはずの『VS』の下に、『不成立』と大きく書いてしまった。  おお、と言うまもなく入江くんは「不成立でフィニッシュ」と呟くと、スケッチブックの端に、畳み掛けるように『finish』と書いた。まるで、某推理ドラマに登場する准教授役がトリック解明の際に書く、『Q.E.D』みたいだった。 大久保「不成立でフィニッシュ——その心は?」  私の質問に、入江くんはマーカーを顎に押し当てながら答えた。 入江「うーんと……そうだね。あんまり……フライドチキンと、大久保さんと。その価値の『高(たか)』を見る時に。何を考えたら良いのか分からないです」  彼は私の目を真っ直ぐ見た後、ちょっと逸らしてから言葉を続けた。 入江「大久保さんと、フライドチキン。どっちの方が、話し相手として面白いかって言うと、フライドチキンよりは、大久保さんと喋る方が楽しい」  彼はカメラを持つ私に向かって微笑んでから、机上のフライドチキンに視線を移して言葉を続けた。 入江「ただその——大久保さんと、フライドチキン。食べ物として、どっちが美味いかで言うと。大久保さんよりも、フライドチキンの方が、わりかし美味しい。そういう意味では、フライドチキンに軍配が上がると思いますけれども——まあ、そんな感じで」  彼はそう言って、フライドチキンが乗っている紙皿を手に取り、スケッチブックの上からどかしてしまった。 入江「評価軸に応じて、価値っていうのは変わるんじゃないかな」  彼はそれから、『finish』と書いたスケッチブックのページ自体も破ってしまうと、私の方を真っ直ぐに見た。 入江「そういう、個別の検討の仕方でしか。あんまり。大久保さんと、フライドチキンを比べる事は出来ない。……そんなところかな?」  私は、入江くんの回答を飲み込んだ。  彼と私の考え方は、かなり違う。かなり違うからこそ面白いし、違うからこそ一番最初に話したいと思った。ただ、彼が真剣に投げてくれたボールを私が受け止めるには、私に搭載されているソフトウェアでは読み込みに時間がかかる。時間をかけても、表層ではなくちゃんと理解する事が、大切だと考えている。  だから私は、入江くんの言葉を繰り返すように呟いた。 大久保「価値は……個別の定規によって、決まってる、から」  入江くんは優しく頷きながら、「そう」と言った。そして、こう続けた。 入江「——で、一口に言って、どっちに価値があるか。……っていうのは、あんまり、そうね。あんまり有効な状況じゃないかな」  有効な、状況じゃない。私は心の中で繰り返した。    つまりは、有効的な考え方じゃないという事だろうか。その『あまり有効的な考え方』じゃない考え方に囚われてる人間としては、ちょっとウッとなってしまう。ただ、これは良くない。私の考え方が絡まっている大元も、おそらく『ここ』にある。  入江くんは私の考え方——というより、そういう比較のつけ方に対し、自身から見た評価を他意なく発言しているだけだ。私の『何か』を評価しているわけではないし、きっと彼は、する気もない。  実を言うと、私の心は基本、レモンをくぐらせた牛乳のように『もろもろ』だ。一瞬ウッとなってしまえば、うっかりもろもろ崩れてしまう。  しかし今の私はインタビュアーとして、あるいは記録者として、かっこよく、冷静である必要がある。冷静である必要性が、この空間には生じている。私は少し汗をかきながら、真剣に入江くんの言葉についてじっと考えた。  評価軸に応じて、価値は変わる。評価軸、を、私にとって簡単な言葉に置き換えれば、定規。定規で測れるものと言えば、長さ——つまりは、『単位』だ。  長さを測るには、定規がなければならない。そして、定規以上に、『単位』がなければ。私たちはその長さが長いのか、短いのかすら、比較する事は決してできない。 大久保「価値を、測るには。……なんだろう。1シアワセ、2シアワセ——違う。1カチ、2カチ?」  私の独り言に、うんうん、と、入江くんが頷く。そういう——、と。入江くんが何かを付け加えようとしたタイミングで、私はぴんと思いつき、こう言った。 大久保「よし、カチタカ! カチタカにしよう!」 入江「カチ、カチタカ?」  聞き返す入江くんに、私は言った。 大久保「うん、1カチタカ、2カチタカだとして。食べる、時と。話す、時。で。1カチタカも2カチタカも10カチタカも、かなり(性質が)変わる」 入江「うん、変わる。変わるでしょ? 変わるし——その、そこ(それぞれの価値)が、交換できないでしょ」 大久保「うん」 入江 「あんまりその、円とドルみたいに。何だろその……『美味しい』、食べる時の『カチタカ』と、話す時の『カチタカ』は。為替取引できるもんじゃないというか」  だから——比較不可能。  どちらともない声だった。 大久保「比較不可能。だから、この問題は不成立?」 入江「不成立。不成立——というか、まあ総合的に比較する事があまり、不成立って言い方になるのかな」  不成立、不成立ね。こちらもまた、どちらともない声だった。二人で考える。 大久保「じゃあ何だったら成立するんだろう」 入江「どうしても成立させたいの?」 大久保「どうしても成立させたいってわけじゃないんだけど。今の問いに対する答えが、入江くんは、『不成立である』だから」 入江「———『問いとして』、不成立かな」 大久保「問いとして不成立。まあ、ただ(哲学的な)疑問として持っている事には、成立も不成立もないから。私がただ、入江くんの話を聞きたいので、掘り進めたいかなって」  私はそう言って、スコップで土を掘るような仕草をした。そこで入江くんも、「ああ」と笑みをこぼした。答えを誘導させたいのか、という警戒を持たれてた気がする。そこがいくらか緩んだようで、私はちょっとだけ『ほっと』していた。 大久保「——って事だから、私は『成立させるため』に聞いてるんじゃなくて。むしろ不成立の方向で行く事で、一緒に掘っていきたいんですよ」  私の言葉に、入江くんは頷いた。 入江「掘っていきましょう」 大久保「掘っていきましょう!」  良かった、(おそらく)通じた。私は嬉しくなった。嬉しくなったので、スケッチブックにスコップの絵を描いていたら、入江くんがふいに口を開いた。 入江「そもそも、何でこんな事思ったのか、聞きたいけどね」  入江くんが、今まで書いてきたスケッチブックのページを指差した。『こんな事』というのは、『自分とフライドチキン、どちらの方に価値があるか』——という、悩みそのものについてだろう。 大久保「え〜……? 何だろう」  攻守交代になる予感がした。私は近くの丸椅子を適当に引いてきて、入江くんから見て斜めの位置になるようにして座った。予想通り、入江くんは『私に聞きたい質問』をスケッチブックの上に書き連ね始めた。 入江「聞きたい事は、 ・なぜ、こう思ったか  ・僕、入江にこの質問が有効だと思っていたかどうか」 大久保「この場合の『有効』は何に対しての『有効』?」  私の質問に、入江くんは少し考えてから答えた。 入江「うーん……『こっちです!』『そっちです!』っていう答えが返ってくると思っていたかどうか」 大久保「なるほどね」 入江「あとは……ここは興味深いな。  ・なぜフライドチキンなのか  ……例えば、なんで、(フライドチキンでなく)卯の花じゃなかったのか、とか」 大久保「ふふふ」 入江「はは、動物性タンパク質の方が(対象として)良かったのかな? とか」 大久保「なるほどね、鶏肉」 入江「そう、鶏肉……フライじゃなくても、サラダチキンとかさ。うーん、大豆」 大久保「植物性タンパク質」 入江「そうそうそう。その辺、どの辺に、大久保さんの興味の力点があったのか」 大久保「フライドチキンに」 入江「そう」  入江くんがまだまだスケッチブックに何か書きたそうだったので、机に身を乗り出してページを破った。入江くんの「ありがとう!」と言う声を聞きながら、丸椅子に座り直す。 大久保「 ・ なぜこう思ったか……? あ、なぜこう思ったか、っていうのは、『なぜ自分とフライドチキンを比較しようと思ったのか』でいい? なんで質問をしようと思ったのか、じゃなくて」 入江「うーん。どっちでもいいけど。どっちも気になるけど」  入江くんは、破られたスケッチブックのページを指差した。 入江「まあ、まず。何故これ、この質問をしようと思ったのか」  入江くんが掲げているスケッチブックには、  ・なぜこう思ったか  ・入江にこの質問が有効?  ・なぜフライドチキン?  (サラダチキン、卯の花、大豆、動物性)  と書かれていた。  私は上の質問から①番、②番、③番と番号をつける事に決めた。  そうしてまずは①番の、『なぜこう思ったか』から答える事にした。 大久保「多分、①番と③番——『なぜこう思ったか』と、『なぜフライドチキンなのか』は、同時に答えちゃう事になるんだけど。何だろう。その、我々、美大生じゃない?」 入江「うん」 大久保「で、普段からずっと、ずっとと言うか。普段から作品を作ってるわけだけど」 入江「うん」 大久保「作品を作ってない日の自分、が、すごい進捗がない……っていうか。『人生において』進捗がない、みたいな。ただ作品の進捗がないだけなんだけど、自分の人生全てにおいて進捗がない、みたいな感じがするんだよね。で。そういう時に自分は、さっきあの、カチタカ、の話をしたけど。自分に価値がない、って。思うんだよね。これは心理的な問題なんだよ」 入江「うん」  やけにはっきりとした『うん』だった。私は苦笑いをしながら言葉を続ける。 大久保「あはは。で、その、『自分に価値がない』って思った時に、さらに自分を追い込むような癖があって。『自分は今、死んだ鶏肉より価値ないな』、『フライドチキンより価値ないな』(ってなる。)何でかって言うと、フライドチキンってさ——ちょっと特別じゃん」  入江くんは、ちょっと宙を見て考えてから答えた。 入江「……クリスマスとか?」 大久保「そうそうそうそう。クリスマスに買ってたりとか、なんか——オッ! ってなる感じが……」 入江「——わかる」  伝わるか、とやや不安だったが、入江くんのやや食い気味かつ、はっきりとした発音に助けられた。私は頷く。 大久保「そういうの、あるよね。、ハンバーガーとかさ。主食とか、だったりすると。『安いから』とか、『とりあえず早く食べたくて』みたいな理由ってあると思うんだよね。フライドチキンって求められてる感じがする」 入江「あー! 分かる」  今度こそ本当に食い気味に、入江くんは答えてくれた。彼はカメラに向かって掲げていたスケッチブックを机に置き、ページを破きだした。次のページに何かを書くためだろう。 入江「———フライドチキンって、『食べに行く』ものだよね」  私は嬉しくなって、「そうそうそう」と何度も頷いた。入江くんも笑う。 入江「なるほど」 大久保「そう、なるほどなの。だから私は、その、求められてるフライドチキン。食べたいって思う人がいる。能動的に食べたいと思わせられて、さらに、それを担保する価値を基本的には与えられる。この、フライドチキンってものに、軍牌をあげてしまうの。自分と比べた時に」  私は、机上のフライドチキンの皿を軽く掲げながら言った。入江くんもどこか合点が言ったように、頬杖をついたまま頷く。 入江「なんか、親から出されるものじゃないよね。フライドチキンって。生きつなぐための、食べるとかじゃない。カチタカを接種しに行くための、『目標物』だよね」 大久保「うん、(フライドチキンは既に)カチタカを、期待されてるじゃん。でも自分は、作品を作ってないと。あるいは、ダラッと過ごしちゃうと。あ、自分、(今の)カチタカ、0カチタカだなぁ……って」 入江「ああ」 大久保「———って感じになると。その、この、鶏肉の分際。あ、鶏肉の分際って言うのも良くないんだけどね! 鶏肉、価値あるから!」   入江くんは私の訂正にはさして興味がなさそうに、ああ、と溢すだけだったけれど、私にとっては重要なところだった。  私はカメラを持ったまま、入江くんの近く、ひいては、机上のフライドチキンへと近づいていった。そのまま私は、フライドチキンの乗った紙皿を片手で掴み、彼の方へと差し出した。 大久保「ちゃんとカチタカを保証してる、このフライドチキンというものに……」  ——自分より価値を感じるんだよね。と、いうより先に、入江くんはフライドチキンを指さしてこう言った。 入江「でも、これコンビニのフライドチキンだよね」  私は笑った。つまり入江くんは、これはコンビニのフライドチキンであって、クリスマスに買うような、ファミリー向けの、『特別感』のあるそれではないと言いたいのかもしれない。  しかし、私は『それ』で、このフライドチキンが持つ、『特別感』が薄れるとは思わない。  入江くんもすぐに気づいたようだ。 入江「……あ、でも。そうね! ホットスナックもさ! 結構、何だろう。冬の疲れた帰り道とかに、買っちゃおっかなって思って——『食べにいく』よね。その時は。飢えを凌ぐためじゃなくて、ジュワアッ……って。食べる事で、肯定しよう、みたいな。今日の、自分の疲れを肯定しよう、みたいな。そういう力はあるかな、フライドチキンに」 大久保「なんかあるよね」  食べる事で、肯定しよう。今日の自分の疲れを、肯定しよう。良い言葉だと思ったし、きっとこれまで何度も、コンビニのホットスナックを口に入れた時、無意識にそう思ってきたような気がした。  入江くんは穏やかに笑いながら、言葉を返した。 入江「ある、すごいある。その魅力を——大久保さんは買ってるんだね」 大久保「そう!」 入江「それで、(大久保さんは、)自分がそこ(フライドチキンの境地)に、辿り着けてないって」 大久保「そう。その境地に自分はまだ行けてないのね。だから、最後に卒業制作作るってなったわけだけど。(卒制って)集大成的な位置付けにされてるじゃない。一応。そこで、自分は本当に、鶏肉より価値があるのかないのかっていう。これ結構、なんか、『視野狭め問い』でしょ」 入江「まあ(笑)」 大久保「そう。だから、その視野が狭めの問いを、人にしたら、どんな答えが返ってくるのかなって。なんか、フライドチキンっていうと極端だけどさ、なんかこう、自分って価値ないって思ってる人って、多分多くて」  入江くんがやや力強くうなづいた。私も倣うように、いつもよりはっきりとした口調で言葉を続ける。 大久保「多分、なんか、『価値ないって思った事なんてない!』って人もいるけど。ほとんどの人は、一度くらい疑問を感じた事はあって」 入江「そうだね」 大久保「それに対する、答えっていうか。『自分はまあ一応こう思ってます、っていうのが、聞ければ良いなぁって思った——っていうのが。①番と③番(の答え)かな」  ①番、つまりは『なぜこう思ったか』と、③番、『なぜフライドチキン?』という入江くんの問いだ。  入江くんは、自分が質問を書いたスケッチブックのページに再び視線を落とす。そうしてやや硬い口調で、彼は「え。面白いね」と溢した。つい私も硬い口調になって、「え、ありがとうございます」と反射で返してしまった。 入江「今の、『フライドチキンより価値がある』、っていう(質問)そのものは、『不成立』としたけど。成立する一つの『定規』は。一個見つかりそうだよね」  入江くんは、再びスケッチブックに文字を書き始めた。 入江「つまり——誰かにとって、会いに行って、話したくなるような人、とか。あるいは、お金を払って作品を見に行きたくなる。そのくらいの、機会を提供しうる人間なのか、自分は」 大久保「そう、自分が能動的に——対象Aが能動的に動いたとして、あの、プレシャスをくれる存在?」  私は正直、自分の気持ちを話しすぎた後な事もあって、自分が何を言っているのか分からなかった。  しかし、入江くんには伝わった。彼は「いいね!」と短く吠えると、手早くマーカーをスケッチブックに走らせる。 入江「あ、じゃあ結構、質問のその意図は、明確になったっていうか。面白くなったっていうか」 大久保「あざす——あざすって言っちゃった」 入江「あはは、じゃあこの、②番は?」 大久保「②番?」  入江くんは、先ほど見ていた、自分の聞きたい質問が書かれたページを一瞬見てから、スケッチブックの新しいページをどんどん文字で埋めていく。 入江「僕、入江に——『この質問が有効かと思ったかどうか』。さっき、言った。この、(大久保さんが)我ながら視野狭めに感じる考え。でも誰しもが持ってるんじゃないか——『自分には価値がない』みたいな。のを——え? 僕の事どう思ってる?」  彼の中で何かが高速で動いてるのは分かった。分かったので、私は唾を飲み込みながら「うん」とだけ答えた。入江くんはこちらを見ず、スケッチブックに文字を書き続けているまま言葉を続けた。 入江「(僕が)自分の事——自分の価値の事。考えたりしてると思ってる?」  突如として、沈黙。  正直なところ、「えぇ〜……!?」と思ってしまった。こういうのって、答えるの苦手だ。だってこういうのって『外し』ても、相手がほしい答えに『沿えて』も、どちたにせよ失望を生みそうで、怖くなる。  入江くんは、そういう意図で聞いてない。おそらく何の他意もないだろう。  ただ、貴方から見た私はどうだ、という質問は、それが本心によって答えたものか、(気を遣ってのものだとしても)多少柔らかい言葉を使ったかで、その人へ自分が、いくら心を開いているか。それが浮き彫りになる感じが——そのもにょっと足を踏んだような感触が、私が嫌なのだ。  私にとって、友人という存在はそうしたものではない。私にとって友人という存在は何よりと言って良いほど大切なものであり、優先される指標であり、本心で関わっているかなど、瑣末だ。『そういうもの』だ。  例えば私に向ける姿が仮面のような作られたものであったとしても、相手が見せたいと思ったものを、私はその人だと思う。それを見せたいと思った、思ってくれたその人の感情を、私は尊重したい。  逆に、相手から見て私の真髄が分からなかったとしても、底が知れなかったとしても、楽しい時間を共有しようと、努力をしてくれる。それが嬉しい。そういう関係性を、私は友人だと思っている。  だから私は、困ってしまった。  とはいえ私は、『フライドチキンと私、どちらの方が価値が高い?』なんて、入江くんが繰り出したそれより、もっともっと無茶苦茶な質問をしているのだ。私が今困っている事自体が薄情で、あまりにひどい話だと思う。  しかし、入江くんがどう見えるかなど、(それが入江くんでなくても)簡単には言えない。真実を言えなければ、失望させてしまうかもしれない。  しかし、私から見た表面こそ、私の知るその人で、その人が私に見せてくれた『固』で、それは絶対に軽んじる事なんて出来ない。これは相手のためなんかじゃなくて、私が出来ないだけだ。  きっとこれは、私がそう思われてたいだけなのだ。  こんな事を考えてる時点で、私は多分色々な前提条件に沿えていない。頭がくらっとしてくる。だから苦手だ。  露骨に考えすぎているのが分かったのかもしれない。突然訪れた静かな空気に、彼が「ふふふ」と、少し大きめの声で笑った。だから私も、乾いた喉で、覚悟を決めて思った事を言った。 大久保「…………おもう」 入江「あははは!」  私のヒキガエルみたいな声に、入江くんはからからと笑った。  まあ、思う、としか言えなかった。ただこれは『思った事はあるだろう』に近い。  入江くんほど多角的、ひとつのトピックにいくつもの想像を重ねられる人が、『自分に価値はあるのか』という凡庸かつ重大な命題に、手を伸ばした事がないとは考えられなかった。  ただ、入江くんは『普段そうした問いにずっと思いをめぐらせているタイプと思うか』という問いのつもりで言ったのかもしれない。彼はそれこそさっきまで声を上げて笑っていたはずだけど、数秒経たないうちに、口角は上げたままで、「ああ。そうだね」と、少しぎこちない調子で言葉をこぼした。 入江「えっとね。それで言うと…………えっと……」  そう見えただけかもしれない。ただ、私は自分が『間違った』のかもしれないと思った。こういう質問に正解はないし、正解を答える事が正解でもない、そもそも入江くんはそうしてほうぼう考えた正解なんて求めてない——とは思ったけれど、間違いはあると思う。  彼はそうした変な期待を絡めた検証や、期待をしないでいてくれる人間である事は分かっていたのに、私は勝手に、入江くんが失望の末、私をくだらない人間だと制定し、友人という関係から遠のいていかないかと、胸がざわざわするほど冷や冷やしていた。  こんな自分だから、鶏肉と比べようだなんて思っちゃうんだけど!  入江は唇を結んだまま、しばらくスケッチブックに文字を書いていた。そうして数秒の間を空けてから、首をかくかくと揺らしながら答えてくれた。 入江「——だいぶ。思ってた、ね。うん。思ってましたね」  彼のぎこちない笑みに、私はどうしてか凄くほっとしてしまって、「思ってましたか」と笑った。入江くんも、「思ってました」とこちらを見ないままで繰り返してくれた。 入江「だいぶ——6歳くらいから。23.5歳くらいまでは。結構、わかるかも。それは。自分が対象化されたとして。対象化されるに値する——値する? 相応しくあれるか——相応しいか。相応しいかは、めっちゃ思ってたよ。ふふ」  彼はそう笑って、久しぶりにこちらを見た。私は少し考える。 大久保「念の為聞くんだけど、入江くんは今何歳ですか?」 入江「あ、僕は今25歳です」  へー、と思ったので、つられて私も「わたくしは今、21歳です」と名乗った。入江くんが「へー」と言ったので、私も「へー」と繰り返した。  その様子が少しおかしくて私が軽く笑った。入江くんがもう一度「へー」と繰り返し、再びスケッチブックへ視線を戻す。私も話題を彼の年齢に戻した。 大久保「入江くんは今は25歳で、23.5歳くらいまでは、その『カチタカ』——自分の『カチタカ』について、入江くんも考えてたの?」 入江「考えてたぁ」  入江くんはややざっくばらんに答えた後、スケッチブックに文字を書く手を止めて、うーんと唸り、椅子にもたれた。視線はやや斜め右下に向いている。 入江「そうだね。だって、自分自身で、自分が活動してられる———ライセンスがあるのか、みたいな事をさ。他者からのその眼差しで決めちゃってたから。誰かから求められるから、決められて良いみたいな、風に。そういう感じの保ち方しか知らなかったから」  入江くんは微笑んで、スケッチブックにマーカーを走らせたまま言葉を続けた。 入江「知らなかったし、まあ僕は割と幼少期、こう、親 離婚してたり。姉が、10歳の時にいなくなっちゃったりみたいな事で。愛着——愛着が、ふふっ。あんまり、分かりやすく愛される事に、失敗したんで。あの、常にですね。不安ではあったと思います——し。その、他者から『あなたOK』って言われないと、自分がOKだと思えなかった。っていうのはあったよね」  私はその話を聞きながら、、『あなたOK』って言ってもらうには、必ず第三者が必要な事を考えていた。  フライドチキンと私たちを比較する時も、そのそれぞれの価値を比較する『透明な第三者』が、いる。  さっき入江くんが言った)周りから見てOKかな?』というのも、ある種『カチタカ』だ。  それから私たちは、『カチタカ』について話し合った。 入江「そう、うん。『話しかけて、話に反応してくれるかどうか』とか。あとは、『期待してくれるかどうか』とか」 大久保「期待?」 入江「うーん……『また会おうよ』って言ってくれたり」 大久保「うん」 入江「まあ、作品的な事で言うと、『楽しみにしてます』とか、ゲームで。コメントくれるとかね。SNSで絡んでくれるとかね。全て」 大久保「すべて」 入江「ははは、全て——すべて。すべて? 全てじゃない」  大袈裟に手と頭を振る入江くんに軽く笑えば、彼は気を取り直すように言葉を続けた。 入江「まあまあまあまあ、そういう——若者は得てしてそうなんじゃないですか? そういう……SNSの時代だしね。そんな風に、あの〜……また。そっすねぇ! そうだねぇ!」 大久保「大丈夫?」  少し心配になったので、話しかける。しかし入江くんは、ゆるゆると首を振った。軟体動物みたいだった。 入江「や、僕は大丈夫だけど。何か、哀しい話だなって思って」 大久保「哀しい話だね」 入江「今の僕は。それこそ、もう。別にその。求められたいとか思ってないので」 大久保「思ってないの?」 入江「思ってないですね。だから、だから——この問いは『不成立』に感じられるんじゃないかな」  入江くんは、自分で書いた『不成立』の文字を見ながら言った。私が最初に聞いた問い——『私、大久保帆夏は、フライドチキンより価値が高いと思いますか?』……への、入江くんの答えだ。正確には、答えでもない。私の問いに対する、入江くんの『所見』だ。  少し気になったので、聞いてみる事にした。 大久保「じゃあ、なんでもう、そんなに、他者の——眼差し? を、気になってたのに」 入江「うん」 大久保「大丈夫、というか。自分の視座から、自分の価値を決められるようになったの? ……というか、自分の視座から決めるというよりは、状況でちゃんと理解して、『分別』してるよね」  後半に行くにつれて、不思議そうにしていた入江くんの表情が和らいだ。入江くんは「うん。そう」と頷いて、またスケッチブックに何かを書いていた。 大久保「あの、価値を選定してるんじゃなくて、分別して『こうだな』って思えてるよね」 入江「まあ、てか。あんまりその——価値、があるかどうかを。考えなくなったし」 大久保「考えなくなった」 入江「うん。まあ、そうね。混同しなくなったね。混同しなくなって——でも、混同しなくなると、もう、もはや、価値について考える必要もあんまなくなってくるよね。例えば、自分がゲームを作る——作れなくて、そしたらまあ、ゲームを開発する人としては、まあ、ある一定の『カチタカ』としては、価値がないかもしれない。ゲームを作ってる人に比べたら」 大久保「ま、そうだね。プレイヤーとして待っている人の、期待、に対して。まあ提供はされないわけだもんね。作ってないから」 入江「まあただ、だからといって、という、人が。存在することの、かちたか。には、それは無関係、ですので、あの、自己嫌悪に陥ったりしないし」 大久保「うん」 入江「うーん……ま、ヘルスを。はは。メンタルヘルスとか。体調も。具合悪くなる事はない。なくなった。それが、価値を混同しないっていう事だと思います」 大久保「ありがとうございます」  何となく敬語になって、私も答えた。 大久保「確かに、考えてみるとさ」 入江「うん」 大久保「今の、カチタカ。観測者がいる前提でカチタカっていう『単位』は決まってたわけじゃない? そうなると……例えば、『自分』を健康にするためのプロセスって、観測者がいないから『0(ゼロ)カチタカ』なんだよね。基本」 入江「ふぅーん……」 大久保「観測者はまあ自分がいるけどさ。健康になってほしいって期待して、なってくれたら、大喜びする人ってさ」 入江「うん」 大久保「いないじゃない……なんか。そんな」  入江くんは、うーん、と唸りながら左下を向いて黙った。静かな表情だった。  それを見て、気づく! 大久保「———あ! これめっちゃ卑屈かも!」 入江「ふ、」   目を見開いた私に、入江くんがちょっと笑った。私も笑ったままの声で言う。 大久保「考え方として、ね」  入江くんはまた静かな表情になって、小さく呟く。 入江「うーん。ま、大喜びはあんましない、ね」 大久保「うん」 入江「大喜びするって事はさ、『大喜び』にカチタカを感じてるってわけでしょ? その人は」 大久保「そうだね。他者の大喜び。観測者の大喜び」 入江・大久保「…………」 大久保「………………かも」 入江「……え。他者の大喜びを受けて、自分が大喜びしたいんじゃないの。その場合って」  ウッ!  オーン。  衝撃。そうなんだろうか。そうなのかもしれない。そうなのかもしれないので、「そうかも」と、私は出来るだけ明るい声で言ってみたけど。正直に言って、私は頭を金槌で殴られたレベルのショックを受けていた。受けていた? 感じていた。 入江「結局は、『それ』でしょ」  入江くんはそう言った。  そうか? そうなのかな。だって、感情を取り出して、見て確認をする事ができない以上は、否定はできないし、そうと言われれば、そう。  私が悩んでいる事柄。私が知りたい事柄。全く同じものを抱えている人は、世界に三人くらいはいると、私は思っている。  だからもし、私が自分を救うような作品を作る事が出来れば、その三人くらいの誰かの世界が、ちょっとだけ開けるかもしれない、と思っている。  それで今日がどん底だって思う人が、今日面白い日だったな、と思ってくれたり、雑な言葉だけれど、「今日は死ななくても良いや」と思ってくれたりしてくれるなら、それが本望だって思っていた。いつかのそのために作品を作ってきた、つもりだった。  でしたけど。  入江くんの『他者の大喜びを受けて自分が大喜びしたいだけ説』に沿えば——結局のところ、私は他者を大喜びさせて、自分が良い気分になりたかっただけかもしれない。その『本望』に至りたかっただけかもしれない。  だとしたら、私に作品を作る資格はない。  自分のために作品を作る事は悪ではない。  しかし、それで誰かの傷を癒したい——までならまだしも、それで自分が大喜びしたい、というところまで望むなら、それは誰かが傷つく事を望むのと、全く同じ行為ではないかと、私は思う。  傲慢だ。  ここまでの事が一気に過ぎって、一瞬、何も言えなくなってしまった。おそらく、これは曲解だ。  どこかがおかしいのは分かってるけど、いつもそこまで考えて、どこががパニックになってしまうので分からない。曲解して勝手に泣きそうになって一人になってから自滅する。私の人生は大半『そう』な気がするけど、インタビュイーとして、あるいは友人としてそこで座ってくれている入江くんに対して、『それ』は最も失礼な行為だ。  この考えのどこかでも、私はやっぱり拗れてるし、入江くんと、散々他者を視座を置かない価値についても話してきた気がするのに。結局私は他者の価値観、もしかしたら今、入江くんの価値観にも振り回されている。  スタジオの空気はそのままで、多分顔には出てなかったから、良かった。  そして同時に、彼の言う『それ』は、その説は、私にとって、とても大事な事だとも思った。『そう』かもしれない、と思う日があったからこそ、私はここまで、ショックを受けているのだから。 入江「あ! だからこそ、色んな価値を並べられると思っちゃうのかもね」  入江くんが明るい声でそう言ってくれたけど、正直私は、何の「だからこそ」なのか分からなかったし、平静は装えてるけど、あからさまに力ない「そうだね」を返してしまっていて、ちょっと、面白かった。 入江「まあ、それで言うと……」  入江くんはしばらく黙ってから、手元のスケッチブックに視線を落とした。 入江「『幸せ』ってやつじゃない? 幸せ——各カチタカが、自分の中の喜びに。幸せっていう共通通貨みたいな、ユーロみたいなものに還元できると、何だろう。誤解しちゃってるっていうかさ」  入江くんは、スケッチブックに、赤のマーカーで文字を書いていった。『おいしさ』、『面白さ』、『立派さ』。やや丸みの帯びた文字をそれぞれ、円で囲った『幸せ』に矢印で繋げていく。 入江「おいしさ、と、面白さ。立派さみたいな」  彼がそう言うので、私もこの時には、ぐらぐら揺れていても普通に話せた。私が「フライドチキン立派かな」と話すと、彼は首を傾げながら「知らん」と答えた。軽く笑った。入江くんは笑わない。そのまま話を続ける。 入江「健康……まあ、こういう『何か』があると思ってる状態が、(線で繋がっているから)これ(立派さ)とこれ(おいしさ)が実質比較可能になるみたいなさ」 大久保「うぅ〜………………ん」  いまいち、いや、全く共感ができなかった。  入江くんが思い至ったのはつまり、「『幸せ』に全てを集約させてしまうため、集約される前の個々の要素(「おいしさ」「面白さ」など)も、それぞれの価値が代替可能、比較可能と考えてしまうのではないか」という意見だった。しかし、『幸せ』? ……というところに集約されるイメージが、全く湧かない。そうした想像をした事もなかった。  まだ私も掴みきれてはいなかったが、入江くんが持っていた赤のマジックマーカーを手に取って、スケッチブックに文字を重ねた。  『フライドチキン』と書き、それを四角で囲む。 大久保「私の字可愛いんだよね」  入江くんの意見に反駁したいつもりはなかったので、空気を多少柔らかくするためにも、少しふざけたつもりだった。入江くんは笑い、それで思いついたのか、「かわいさ」と呟きながら、『幸せ』に集約される要素に、『かわいさ』を書き足した。  それを横目で見ながら、私は『フライドチキン』の四角から、右に矢印を引く。そして右方向に向いた矢印の先に、『A(人)』と書いた。  『フライドチキン』から『A(人)』に向かう右方向の矢印の上には、『おいしさ』、そして『プレシャス』と書く。入江くんの書いた『幸せ』と混同しないために、あえてこう書いた。そして、『A(人)』から『フライドチキン』に向かう左方向の矢印の上には、『期待』『』と書く。  『フライドチキン』おいしさ、プレシャス→『A(人)』  『フライドチキン』←期待、『A(人)』  これで、ひとつの図が完成した。そして、もうひとつ。図を書く必要がある。この図の『フライドチキン』を、『大久保帆夏』に置き換えたものだ。  私は、「自分の名前好きだから下の名前まで書くね」と言いながら、『大久保帆夏』と文字を書き、フライドチキン同様四角で囲った。入江くんは頬杖をついたまま「うん」と答える。  『大久保帆夏』作品、プレシャス →『A(人)』  『大久保帆夏』← 期待、『A(人)』  入江くんは、二つの図を見比べながら呟いた。 入江「え、これがとても似てる?」  ——って言いたいの? と、続けそうな感じだった。  ただ、それもやっぱり違うので、私は「うーん」と唸った。 大久保「——似てるっていうか。うーん、私、この、(フライドチキンや大久保帆夏がAに対し)『与えてるもの』を混同してるっていうか。この人(A)がもらった、『持ち物』の、ウェイト? 『重さ』を——」  ——混同してるんじゃないか。  入江くんが「なるほど!」と叫んだ。何か納得を得たらしい。私もそのまま言葉を続ける。 大久保「で、自分が作品を作らないと。この『重さ』は軽いままなので」 入江「それがやなの?」 大久保「やだ」 入江「それがやなのは、『どこ』にあるの?」  どこ、とな。抽象的な会話だった。入江くんはスケッチブックの中に今まで書いてきた図を指差している。  この中にあるような気もするし、ないような気もするな、と思いながら私は答える。 大久保「……『大久保帆夏』じゃない?」  少し掠れた声で、私はスケッチブック上の『大久保帆夏』をしゅっとマーカーの丸で囲った。  入江くんは少し考えたように、薄く笑ったまま答える。 入江「でも、こんなのさ。分からなくない? 人によってさ、『重みづけ』は違うでしょ」  確かに、と呟く。 入江「それを、勝手に。あの、想定してるのは、まあやっぱりどこかにバイアスがあるんでしょ」  真っ当な意見ではあった。ただし「そうだね」と言う口で、「そうかな」とも思った。  多分、バイアスがあるのは本当だ。だけど、与えるものの『重みづけ』、ここでいう『プレシャス』をどのくらい感じるかは人それぞれであれど、何か与えるものと、何も与えないのでは。1とゼロでは。明確な差があるようにしてならない。  ——私は、『1』になりたくて、踏ん張ってるんだろうか?  私が一瞬意識を飛ばしていたら、入江くんがはっきりとした口調で言葉を続けていた。 入江「第三者から見ると、というか、僕が見ると。こんなの『比較しようがない』って思うな」 大久保「……そうだね」  『比較しようがない』——つまり、人がそれぞれの価値に定義する『プレシャス』の数量がわからない以上、『重さを正確に比較する事はできない』、という事だ。  理論としてはあっている。フライドチキンがひとりの人間に与えている『プレシャス』の数量も、私がひとりの人間に与えている『プレシャス』の数量も、数値化できない。しかも、人によってその数量——入江くんの言うところの『重みづけ』は異なる。数値化できず、人によって数量も変わる。だから、比較できない……。  ——いや、それは違う。  数値化できない場合でも、『比較』はできる。    例えば、「貴方にとって、『冷蔵庫』と『電子レンジ』、どっちの方が価値がある? と聞かれたら、人によってそれぞれ答えは分かれると思う。  そしてその答えの理由は、多くの場合「自分はこっちの方が使うから」とか、「自分はこっちの方が便利だと思うから」とか、その家電に自分が与えられてる・助けられてる『感覚の総量』で決まってくるはずだ。  ……私はそうしたような、『感覚の総量』ってあると考えている。決してふわふわした、何か抽象的で、漠然とした概念ではない。アンケートでよく見るような、「貴方は最近疲れていると感じますか?」5、そう思う。4、ややそう思う。3、どちらともいえない。2、あまりそう思わない。1、そう思わない。……と、似たようなものを私はイメージしている。これ、リッカート尺度って言うらしい。  疲れの総量を測る事はできないけど、段階で分けたら答える事もできる。(『どちらともいえない』という答えを出す事も出来る)  『数値化して正確に比較する事はできない』が、『順番をつける』事はできるはずだ。  それがゼロと1であるなら尚更だ。  ……まあ、そもそも入江くんは、その『感覚の総量』のもとになっている『おいしさ』や『楽しさ』といった価値は本来交換不可能であるため、その時点で比較する事はできない(破綻している)、と答えてくれてるから、この考え方も入江くんから見たら破綻してるんだろうな。  ただ、ゼロと1だったら『数量として正確に比較する事はできない』が、『順番をつける』事はできるはず、というのにどう思うかは聞いてみたいな。私は机の前でしゃがみながら、入江くんに話した。 大久保「ただ、大久保帆夏の場合。私が何ひとつとしてしなかったら。ここ(私から人へ与えるもの)が何一つとして生まれないから。ここ(A)とのつながり自体がない」 入江「うん」 大久保「そうすると——」 入江「———あ、ゼロ対……」  入江くんが閃いたように笑ったので、私も「そう」と頷いた。 大久保「ゼロ対、1ではあるんだよね」 入江「……まあそれは——可能だね」  私も頷いた。 大久保「私が作品を作らない、あるいは何もしなければ……自分、カチタカ、ない。みたいな」 入江「それは、成立するとは思うけど——」 大久保「かんたんアルバイト、しっぱい……」 入江「え?」 大久保「かんたんアルバイトしっぱいってミームがあるの。ググッてみて」  話を止めてしまったな、と心の奥で反省しながらも、注釈をする。後で調べてみて、というつもりで言ったのだけれど、入江くんはスマートフォンを手に取り、その場で検索し始めてくれた。 入江「あ! ××(元ネタのゲーム名)のね」 大久保「そう」  入江くんは納得したように頷いた後、スマートフォンを置き、再び姿勢を正した。 入江「じゃあさあ、聞くけど」 大久保「うん」 入江「『これ』は、確かに成り立つとしましょう」  彼はそう言って、ゼロ1で比べたら、大久保帆夏、カチタカなし。の図をマーカーのキャップでぐるっと指した。 入江「確かにここ(大久保帆夏→A)がゼロだったら、流石にこっち(フライドチキン)は正の値だから。まあその、今の大久保さんが言った文脈の範囲内で、大久保さんよりフライドチキンの方が価値がある、と言えるね」 大久保「うん」 入江「———で? って感じ」 大久保「で」  少しぽかんとして、繰り返す。入江くんはあくまで淡々と言葉を続けた。 入江「ここはただの、『事実』であって。そこから大久保さんが落ち込んだり、悩んだり。質問を人に繰り出す事の、……うーん、理由はまだどこにも書いてない」 大久保「……ん〜……?」  よく分からない。  ただ、分からないなりに考えてみよう。  入江くんが言いたいのは、私の言う『チキン1大久保ゼロ、=大久保カチタカなし』理論が正だとして、それは特に意味を持たず、あくまで私がそう考えてしまう理由を考えた方が意義がある、という事なのだろうか。  彼は今、『理由はまだどこにも書いてない』という言い方をしたけれど、つまりは、私の言った理論はただの事実で、『理由にはならない』と言いたかったのだろうか?  …………。  これらをそのまま聞けばよかったのだけれど、ちょっとそこまで頭が回らなかった。  視線を上に向けている私に、入江くんが私の目を覗くように見てこう言った。 入江「『これ』が気になるんでしょ?」  ——気になる。気になるか。妙に優しい響きの言葉だった。  その時私は、なぜか自分が少し緊張していたことに気づいて、一旦肩の力を抜くようにして、素直に答えた。 大久保「——うん。気になるのと……私は、『価値なし人間いなくね? ……説』を提唱してるの、自分で」  入江くんが身を乗り出して、「はい」と揺れるように頷く。 大久保「でも自分だと——自分に対してだと! なんかその説を適用できないの。その、粗雑な『(自分)価値なし理論』みたいなのに、『自分』は嵌めちゃうの。他の人はその理論に嵌めた事が一度もないの」  やけにはっきりした声だった。入江くんは無言で頷く。 大久保「だから、入江くんに最初に質問した時に、『私、大久保帆夏は』価値が高いと思いますか? ……って聞いたのは。私しか当てはめた事がないから。(入江くんの言う)『バイアス』っていうのは、多分私に対してかかってるんだよね」 入江「うん」 大久保「だから、その、何だ。『バイアスを解く旅』って言うの? ——っていうのの、変遷を辿ろうと思ったんだよね——」 入江「で、も」  少し食い気味に、そして不思議な音節で区切りながら、入江くんはスケッチブックを破った。  それで、穏やかに笑った。 入江「そうやって言えてるって事は。解けるんじゃない?」  通る声だった。  少し、泣きそうだった。  だから私も、少し大きめの声で答えた。 大久保「解ける……かも!」 入江「——や、そんな事はない。どうなんだろ」  私が片手を上げるか同時か否かそう言われたので、ちょっと口を開けてしまった。急に階段を一段すこんと外された気がしたけど、不思議と励まされたので、私も「どうなんだろうね」と言って少し笑った。そのまま言葉を続ける。私にとって、一番大事かもしれないことを、再び思い出したからだ。 大久保「——解きたいっていうか」  入江くんがこちらを見る。 大久保「私が解いたら、他の人も解けるんじゃないかっていう、希望がある」  入江くんが、少し上を向いて、相槌と納得の間のような声を上げたのを聞き、安心した。 大久保「ほら、世界に三人くらいは、なんか。全く同じ事で悩んでる人って、いる気がするから」 入江「いっぱいいるでしょ」 大久保「そう、だからその『解き方』を提唱すれば、なんか皆んな、この——『呪い』。呪い生産から、解放されるかなって」 入江「なるほど」 大久保「そう。だから私は、知りたいし、聞きたい。これも結局その、『観測者』っていうのが入っちゃってるけど」  私は、人と多少『ちがう』形で生まれてきてしまったという自覚がある。疎外感を感じ、鶏肉より役に立たないと、自分を責める事もある。 大久保「でも、そうだね。その観測者が幸せになって、大喜びしてもらえたら——私も大喜び」  しかし、そんな、自分でも困ってしまうほど困った私が、困った私のまま生きて、それで、もしも他人に希望を与えられる事などがあれば。  それは、今『自分』に困って苦しむすべての人が。誰かの希望になれるという可能性を、提示された事と同じにできるんじゃないか、と思う。  死にたいと叫ぶ心も、自分の弱さも、歌にしたら共感され、誰かを救うこともある。  私が私のままで、私の『困った』要素を使って創作をして、誰かの事を大喜びさせる。どんな人でも、きっと誰かを大喜びさせられる。  私の進む道筋ごと、そういう証明にしたい。  さっきは一瞬、変な曲解をして見て見ぬふりもしかけたし、落ち込みそうになったけど。これはきっと、大切な感情だ。  この『誰かを大喜びさせたい』というのは、間違いなく私の欲だ。創作者としての、私の人生の『欲』だ。  入江くんが、優しく「うん」と頷いた。 大久保「——っていうのは、まあ、そういう事? 分かんない。これも何かのバイアスが適用されてるかも。で、(入江くんが質問を書いたスケッチブックを指差して)これありがとう。②番。答えてないかもだけど」  言った割に、少し誤魔化したくなって、早口になった。入江くんはさして気にしてもないように、「フム」と呟く。 大久保「で、その。入江くんに何でその質問が有効かって思ったのは、私——から見ると。入江くんの、考え方? 入江くんの考え方はめちゃめちゃ共感できて、入江くんの思考さい……? 違う。入江くんの考え方とか、振る舞いとか、バイアスの掛け方? バイアスの掛け方も違うな。……雰囲気!?」 入江「雰囲気」 大久保「なんか、雰囲気! 思考の雰囲気が、思考の粘土の! 丸め方が!」 入江「ふふっ」 大久保「丸める圧が!! なんか、ちょうどいいのね!」 入江「ふふふふっ……うん」 大久保「うん。でも、思考のその、スタイル? ラップのスタイルが違うの」 入江「ああ、なるほど」 大久保「そう」  どこがなるほどなんだ? 入江「話は通じるよね」  しかも今の流れでそこを取り立てて言うの?  マジで? 入江「話は通じるけど、まあ、スタイルは違うよね」  私が粘土だのラップだの言った事を、だいぶ短くまとめてもらった。 大久保「……うん。その、思考スタイルが違うっていう点が、私はすごい、入江くんの。私にとっての、カチタカ」  入江くんが笑った。 大久保「すげー、カチタカであって」 入江「カチタカ……ウオー」 大久保「私の、期待し、返ってくるもの」 入江「……アザ〜ス!」 大久保「うふふふふふふふ。話してる時に、その、すごい話してて楽しいし面白いんだけど」 入江「わかる」 大久保「違う考え方が聞ける? ……うーん。考え方って難しいよね。日本語として。……違う意見が聞ける?」 入江「ああ」 大久保「その根源が全く違うもの、を、輸入できる。その輸入先として、えーっと……」  私がまごまごとしてる間に、入江くんは何かに気づいたように、スケッチブックをマーカーでとんとんと指差すように叩いた。 入江「これ(フライドチキン)をとっかかりに僕にいっぱい喋らせて、僕から新しい何かを導いて——皆様に、お知らせ」  見透かされてる。  こうまとめられると、私だいぶ酷い人間みたいだな。 大久保「そう、悩んでるみんなに」 入江「悩んでるみんなに。ふっ」 大久保「最低かもしれない」 入江「悩んでる……まあ、僕の自意識、めちゃめちゃ過剰ですからね」 大久保「なんか、利用してる、ます」 入江「して」  私は入江くんの発した「して」を、やわらかく繰り返した。 入江「……なんか、もっと喋りたくなってきちゃった」 大久保「喋ってていいよ。実は、二つ目の質問があって」 入江「おお」  入江くんが軽くふざける感じで言った。  私も少し、笑っていた。 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年6月30日 16:02:00 大久保「ここまでいっぱい、私、大久保帆夏とフライドチキンと比較してもらったじゃない」 入江「うん」 大久保「じゃあ、入江くんは、自分自身を、フライドチキンより価値が高いと思いますか?」 入江「え、え? 不成立。ノーコメントです」 大久保「はははははは! おっきくノーコメントって書いてみて」  ここまで話してきたのだから、ある種、そうだと思っていたような答え——答え、でもない、所見、だった。  入江くんはスケッチブックに『NOコメント』と書いて、こちらに向けてくれた。 入江「NOコメント。NOコメントで、フィニッシュです。まあ、そんな質問。私の辞書にないです」 大久保「過程的にないんだろうな、って思いながら聞いた」  入江くんは私の言葉に、顎を撫でるような仕草をしながらかくんと頷いた。 入江「あんまり、ないですね。あんまり取っ掛かりがない。普通に考えて、人と、フライドチキン。どっちが価値があるかは、一般に、あんまり言われない。その言い草は」 大久保「そうだね」  言い草か、と思いながら、私はちょっと上を向いて言葉を続けた。 大久保「その、さっきさ——自分にのみ適用されるって言ったじゃない(p.27)。自分にのみ、適用されるケース。まあ要するに、私は入江くんに、先に『私という他者に適用されるケース』、を質問して、その後、『自分自身に対して適用されるケース』、を質問した。それで、その答えに差異があるか。あるいは差異があった場合は、それは『何』か。また、『それ』(私の想像)すら超越したアンサーが来るか」 入江「うーん。差異はあると思うけど……」 大久保「うん」 入江「……そうだね。差異はある。流石に。自分について考える事と、他人について考える事は。」  入江くんは雪崩れ込むように頬杖をついて、考えるように眉を顰めた。 入江「まあただ自分について話す時に、『価値』って考える事は……うーん、ない」 大久保「ない」 入江「ないというか……あんまりその、意味のある言い方にならないかな。俺って価値あるか、って言われたら。まあある種無限大じゃない?」 大久保「そうだね」 入江「でも『無限に価値あります!』って人に言うのも違うでしょ」 大久保「うん」 入江「だって、自分に対して無限大の価値を認めているのは、自分に対してだけだから。こういうインタビューで、人に、『お前は、俺の価値を無限大だと思え』って……言うのは、違うかなって」  入江くんは、正面にあるカメラを見ながらそう言った。 大久保「他人に表明される答えになるのは、違う」 入江「そうそうそう。まあだから、人に言うものではないよね。言ったら、『自分に適用してる』の範疇をもう超えてるから」  入江くんは私の似顔絵に線を書き足している。 入江「主義だね」 大久保「うん」 入江「そうね。僕がここで、俺だけは違う、って言ったら。俺だけは違うって言ってるだけじゃなくて、俺だけは違う事を皆さんはご了承ください、って事になっちゃうから。それは、そこまでそう思ってないので——かな」  入江くんは、姿勢を戻そうとしたら戻せなかったみたいな姿勢で、言葉を続けた。 入江「えーそうですね。なんかさ。いや。意味ないよ。あんまり。自分の価値がどうのとか、考える事に。もっと、棒とか。駅のホームとか。そういうこと考える事の方が、意味があるかもしんない」  しかし、入江くんは考えるようにして、こうとも言った。 入江「うーん……今言おうとしてる事に、価値を導入してるな」 大久保「ふふ」 入江「価値について考える事って、価値ないんじゃない? って、言おうとしてる自分がいるけど。それって、ちょっと変かもね」 大久保「変かな」 入江「うーん、そうだなあ、うーん」  入江くんは腕を組んで、すぐに解いて、首を左にいくらか曲げた状態で口を開いた。 入江「意味が、ない——ふぁるぅむがない」 大久保「ふぁぅう」 入江「考えたところで、ふぁうぅうがない」  ふぁぅう——、価値があるか、ないのか、それを考える事自体にも、価値があるのかないのか。その頭の中の堂々巡り、最悪で気持ちの良い蟻地獄を抜け出すための、『ざぶとん』みたいなマジックワードだ。 大久保「いいね。言葉を不明瞭にすると、なんか急にフワッとしたものになった気がする」  価値なんて、本来はフワッとした言葉だ。実際入江くんの言った通り、誰かが何かに対して思う価値、その重みづけは、他者から見れば不明瞭で、絶対に分からない。  フワッとした、不明瞭なものだからこそ、好き勝手要素を付け足しちゃえるから、自分を追い詰めるためのとんでもないモンスターを生み出してしまえるのかもしれない。 大久保「———というわけで、入江くんの答えは?」 入江「答え?」 大久保「不成立、と?」 入江「答えなんて言いません」  入江くんはきっぱりと言った。 入江「答えを言ったらなんか、その、質問の導入する磁場に乗った事になっちゃうから。土俵に乗っちゃう。『あなたの答えは?』っていうのに、答えてしまうと。不健康な方に行くと思うね。ふぁみゅうがないって、あはは。言うしかないっす」  彼の世界にとって、私が今探し求めているその答えなぞいらないし、必要ないし、むしろ自身の健康のために答えなんて『在ってはならない』——本来『探してもならない』のだろう。  それでも今日、入江くんは長い時間をかけて、この無茶苦茶な不健康な時間に付き合ってくれた。  これで、全てのセッションは終了したと悟った。私は笑顔のままで頭を下げた。 大久保「ありがとうございました」 入江「ありがとうございます!」  入江くんの晴れやかな声に少し頷いてから私はフライドチキンを指差した。 大久保「フライドチキン、食べますか?」 入江「食べません。なぜなら歯の矯正をつけているからです」 大久保「分かりました私が食べます」 入江「あはは!」 大久保「というわけで、ありがとうございました」 入江「ありがとう!」

※12/18に文章を修正しました Log ② 2025. 7/2 16:10:49 インタビュイー:かなしの ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年7月2日 16:10:49 大久保「じゃあ、今日はよろしくお願いします。まずはお名前を教えてください」 かなしの「×××(本名)……あっ」  しばらく二人で笑い合った後、仕切り直す。そうすれば、彼は柔らかい語調で教えてくれた。 大久保「お名前は?」 かなしの「かなしのと申します」 大久保「よろしくお願いします」 かなしの「お願いします」 大久保「普段はどんな作品を制作されていますか?」 かなしの「えっと——ピクセルアートで、風景を描いています。青色の色使いで、季節の空気感や、懐かしさを感じるような、風景を描いています」  彼は『かなしの』というハンドルネームで、インターネット上で活動しているピクセルアーティストだ。Twitterのフォロワー数は、現在約1.3万人。  SNSにピクセルアート(ドット絵)を投稿する他、最近はアーティストのMVにイラストを提供するなどして、非常に活躍している。 大久保「よろしくお願いします」 かなしの「お願いします」  なんとなくもう一度頭を下げあった後、セッションが始まった。 大久保「かなしのくんに、ふたつ。質問があります」 かなしの「はい」  かなしのくんは、スタジオの中心に置かれた木製の丸椅子に座っている。彼の目の前には、鉄で出来た大きな机がある。真っ白なテーブルクロスがかけられた冷たい机上には、スケッチブック、ノート、黒色と赤色の複数のマジックマーカー。そして、先ほどコンビニで買ってきたフライドチキンが、耐油平袋を破かれた状態で紙皿の上に置いてあった。  私は机上に置かれたフライドチキンを横目で見ながら、少し緊張したまま人差し指を立てた。 大久保「いっこめです」 かなしの「はい」 大久保「貴方にとって——私、大久保帆夏は、フライドチキンより価値が高いと思いますか?」 かなしの「うーん。ふふふふ……フライドチキン、そんなに食べないんですよね」  かなしのくんは一瞬考える仕草をした後、くつくつとした笑い声を上げた。私が、フライドチキンそんなに食べない、と繰り返すと、かなしのくんも、そんなに食べない、と繰り返した。 かなしの「フライドチキンあんま食べないから……×××に行った事がなくって」 大久保「え!? ……×××に行った事がない!?」  ×××とは、おそらく日本で一番有名なフライドチキンチェーンの事だ。多分貴方が一番最初に想像したそれで合ってる  私はちょっとびっくりして、思わずそばにあったスケッチブックに、「フライドチキン そんなに食べない」と書いてしまった。 かなしの「行った事がない。コンビニのチキンもそんなに食べないから——どっちかって言ったらまあ……大久保さん……かなー」  ぬるっと私に軍杯が上がった。  私がスケッチブック上にメモを取りながら「ぐんぱい」(正しくは『ぐんばい』だが、間違えた)と呟いたら、かなしのくんは「ん。軍配が上がる」と言ってくれた。嬉しくなったので、「やったね」と言ってみた。 大久保「じゃあ、逆に——かなしのさんが食べ物の中で、フライドチキン……値段でも味でも、世間的にフライドチキンとおんなじ価値くらいかなってものと、大久保さんだったら、どうですか?」 かなしの「はいはい……」 大久保「例えば、どうだろう。ハンバーグとか」 かなしの「ハンバーグ。ああ、ハンバーグ…………」  かなしのくんはしばらく黙った後、神妙な顔をしてこう言った。 かなしの「……迷うなぁ……」 大久保「ふふふふふ」  面白くなってからからと笑えば、かなしのくんも同じようでくすくすと笑った。それでまた、文字通り悩ましいふうに呟いた。 かなしの「ハンバーグかぁ。迷うなぁ……」 大久保「天秤が今、ハンバーグ側に、こう……」 かなしの「ふふふ」  かなしのくんは読めない表情で笑うと、「えー……」と掠れた声で声を上げた。 かなしの「……ハンバーグはそこそこ好きだから。あの、スーパーで売ってる。百円の安い、レトルトの、あれ——あれ」 大久保「あれ大好き?」 かなしの「いや、安いからよく食べる」 大久保・かなしの「「ふふふふふふ……」」  二人で笑い、また間が空いた。かなしのくんはかくんとお辞儀のように首を揺らしながら言葉を続けた。 かなしの「安いからよく食べますね、ふふ」 大久保「なるほど。安いから食べるってなると、どっちかって言うと、かなしのくんにとってハンバーグは……」 かなしの「はい」 大久保「『あっ! ハンバーグ食べよう!』って動くものですか?」 かなしの「うーん……。……なんか、『これ食べよう』みたいのが、あんまりないかもしれないですね」 大久保「これ食べようみたいなのが、あんまりない……!!」  今日は衝撃を受ける事がいっぱいある。これ食べようみたいなのが、あんまりない……。  私は、基本的にその日の夕ご飯を希望にして生きている。そうでなくとも、疲れた時は美味しいご飯を食べる事で帳消しにしている。それこそ、『この後は帰りにコンビニに寄って、フライドチキンを頬張ってやろう』、など———…………。  驚いてる私とは対照的に、かなしのくんはゆるりと頷く。 かなしの「はい」 大久保「……オッケ〜!」  驚きと同時に、最高に面白いとも思った。こうやって、自分の世界では限りあるものを得るために、私は卒業制作に、インタビューを、『取材』を取り入れた。 かなしの「勘で、勘で決める。食べるものを」 大久保「勘で食べ物を決めている」  私も勘で食べ物を決める事自体はあれど、私の場合、『それ』の根底にはやはり「あれ食べたい」「これ食べよう!」みたいな強い食欲がはたらいているような気がする。  これはもしかしたら、かなしのくんが単に『フライドチキンをあまり食べた事がない』という要素以外にも——私とかなしのくんで、フライドチキンに対する印象に差異がある理由があるかもしれない。  そう思った私は、まず、自分が『なぜフライドチキンを選んだのか』——つまりは、『私から見たフライドチキン』について話してみる事にした。 大久保「まずなんか——フライドチキンにした理由なんだけど」  私はそう言いながら、本物のフライドチキン——の隣にある、私が毛糸玉で編んだ抽象フライドチキンをかなしのくんに渡した。 かなしの「はい……これフライドチキン?」 大久保「そう」 かなしの「ふふ」  かなしのくんが笑っているのを見ながら、私は少し早口で言葉を続けた。 大久保「なんか、フライドチキンって、『食べに行くもの感』があるような気がしてて」 かなしの「ふーん……」 大久保「例えば、ハンバーガーとかサンドイッチとかおにぎりとかだったら、とりあえず安いからとか、急いでるから手に取る、とか。あるじゃない?」  かなしのくんは、「ふんふん」とも「うんうん」ともとれる音で相槌を打った。 大久保「その、このフライドチキンって。ま、なんか、クリスマスとかね。なんか特別な日に食べる……って感じが、あるし」 かなしの「そうね」 大久保「スナックでも。なんか、食べて気分上げようかな、みたいな」  前述の『食べに行くもの感』という言葉は、三日前にインタビューをした、入江丸木くんとの対話で出た言葉だった。  クリスマスに食べられるようなファミリー向けのフライドチキンであれ、コンビニで売られているホットスナックであれ、フライドチキンは『食べに行くもの』。生き繋ぐための食べる、とかじゃないよね、という話だった。  フライドチキンはそうした風に、求められ、期待され、そしてその期待に答えられる『美味しさ』が担保されている。そして、そんな輝かしいフライドチキンと自分を比べると…………——— 大久保「自分がなんか、作品を作れなかったり、進捗がなんか——ゴミ? ゼロの日、の自分に比べたら……お前(フライドチキン)の方が世界を幸せにしてないか? ……っていうのがあって」 かなしの「んふふふふ(笑)ふーん」 大久保「ただこれってめっちゃ視野狭いじゃないですか」 かなしの「まあまあ……」 大久保「だから今、ちょっと。人に聞くって事をしてます」  私はちょっと言葉を区切ってから、かなしのくんの方を見て言葉を続けた。 大久保「でも、今の話からすると、かなしのくんにとってのフライドチキンって、前述の存在じゃないじゃない?」  かなしのくんには、『これ食べよう!』という衝動自体があまりない——だとすれば、先ほど言った『フライドチキンは食べに行くもの』という、期待する感覚自体が、かなしのくんには実感の湧かないものだろう。  私はマジックマーカーのキャップを嵌めながら、一旦カメラの方を確認して、かなしのくんの方を見た。 大久保「だからちょっと掘り下げてみたいです」 かなしの「えへへ。はい」 大久保「行きましょう」 かなしの「はい」 大久保「じゃあ、黒をあげます」  私は黒いマジックマーカーをかなしのくんに渡し、自分は赤いマジックマーカーを手に取った。  それから私はスケッチブックを開くと、白紙のページに、大きく『フライドチキン』と書き、その文字を丸で囲んだ。  そしてその隣のページに、大きく『ハンバーグ』と書き、同様に丸で囲んで——……その後、隅の方に、小さく、『ししょう』と付け添えた。 大久保「……今のはちょっとウケを狙いました」 かなしの「ふふ」  私は小さく『ししょう』を二重線で消してから、真面目な顔をしなおして、 大久保「先行、行きます」  ——と呟いた。  かなしのくんはよく分かっていない顔をしたまま、私の動向をじっと見つめていた。 大久保「うまい」  私は『うまい』と呟きながら、『フライドチキン』の円から伸ばすように線を引き、『うまい』と文字を書き、円で囲った。  いわゆる、『キーワードッマップ』のような形だった。  それから同様に、『ハンバーグ』と書いたページにも、『ハンバーグ』の円から伸ばすように線を引き、『うまい』と文字を書き、それも円で囲った。 大久保「……『うまい』、みたいに。それぞれの価値担当、みたいなのを書いていきたいんですけど」  このままじゃ、『フライドチキン』VS『ハンバーグ』のような構図になってしまうな、と気づいた私は、一旦、『ハンバーグ』という文字を二重線で消して、『大久保帆夏』と書き直した。 大久保「ちょっと、『大久保帆夏』と『うまい』はつながらないですね」  残された『うまい』の文字を見ながらそう言えば、かなしのくんは「かにばりずむ……」と小さな声で呟いた。  気を取りなおすように、スケッチブックを手のひらで指す。 大久保「———では、後攻。レディー、ファイッ」 かなしの「ふぁい… …これ、ここ(スケッチブック)に書けばいいの?」 大久保「書けばいいの」 かなしの「ふーん……」  かなしのくんはしばらく考えるような仕草をし、……ちょっと長考ともとれる時間をかけた後、大久保帆夏から線を伸ばして、こう書いた。  『おもしろい』 かなしの「はい」  私は嬉しくなったので、その場で踊ってから「ウオ、Happy」と言った。 大久保「では、こいつ——フライドチキンの、価値」 かなしの「え。……『うまい』以外の価値??」  あまりに愕然とした感じの声だったので、思わず笑ってしまった。かなしのくんも笑う。しばらく笑った後、私は妙に晴れやかな気分で声を上げた。 大久保「……そっかぁ! 確かに……『うまい』以外の価値……ない、かも。あるかな……」 かなしの「『うまい』以外の価値〜……あ〜……え〜っと……」  かなしのくんはしばらく考えた後、ぽつりと呟いた。 かなしの「……『お腹が膨れる』」  私は「お腹が膨れる」と繰り返しながら、ひとつ気になってた事を聞いてみた。 大久保「かなしのくんって、食べるの好きですか?」 かなしの「食べるの好きですよ」 大久保「普段どんなもの食べます?」 かなしの「普段? まあ、自炊したり。……最近はよくコンビニとかで買い食いしてますね」 大久保「何買い食いするの?」 かなしの「甘いもの」 大久保「甘いもの」 かなしの「最近暑いから、アイスとか」 大久保「アイス何好きです?」 かなしの「アイスは〜……なんだろう。××だいふくとか」 大久保「美味しいよね。お腹膨れるし」 かなしの「ふふ」  食べるのが好き——という事なら、『食べるのに関心がないから、これ食べよう、という衝動を抱いた事がない』……という事ではないらしい。  確かに、よく考えればこの二要素はイコールにはならないよな、とも思いながら、私はふいに、ある事に気づいた。 大久保「なんか、私が。もしかしたらなんだけど」 かなしの「はい」 大久保「この、『うまい』を——メッッッ……チャ『デカ価値』だと思ってる可能性があって」  私は、『フライドチキン』から伸ばされた『うまい』の文字をを指差しながら言葉を続けた。 大久保「私よくあの、『美味しいものいっぱい食べてね』みたいな感じで、人と別れる事が、あるんですけど」 かなしの「へー」 大久保「ある知り合いで、食事そのものがあんまり好きじゃないって人がいて。口に入れる動作がしんどい、みたいな感じらしくて。私にとっては、美味しいもの食べて、フカフカのベッドで寝る、っていうのが——幸せの、なんか抽象的な形の、想像されるの、自分は『それ』なんだけど」  うまく言葉がまとまらず、こんがらがった。  ただ言いたかったのは、自分がそういう、幸せというか、抽象的な『安全』、の、かたち——のようなものとして捉えていたそれが、誰かにとってはそうではなかった、というのを知って、驚いた、という事だった。  だからもしかしたら、この『うまい』という至極単純そうに見える感覚にも、私が当然だと思ってしまっているだけで、他者から見れば違う、極端な『何か』が潜んでいるかもしれない、と思ったのだ。  私が解きたい、と思っている何かが、そこにあるかもしれない。 大久保「だから、フライドチキンって美味し……くて、期待されてて、その価値をすぐさま提供できるから。なんか、一個の幸せを担保してる存在として、確立されてる感があって」  何か気づきそうな感じがした。フライドチキンには、私にとって一番、安全で、害のない、幸せとかいうような言葉に最も近いところにある、『美味しさ』——『うまい』という要素が備わっている。 大久保「この、『うまい』が、フライドチキンに、ある。逆に、大久保帆夏には、『うまい』がないから……」  そこで、気づいた。もしかしたら。 大久保「もしかしたら———大久保帆夏、うまかったら価値あるかもしれない」  かなしのくんは笑った。私もちょっと笑ったけど、それより少し、驚いていた。  言ってしまえば、私にとって最も理想的な感覚、『うまい』という要素が、フライドチキンには備わっている。そしてそれを世界から期待されていて、担保まで出来ている。  しかし、その『うまい』という『機能』は、私には備わっていない。  不思議な話だが——もしかしたら私は、『うまい』というその要素に強烈に憧れていて、それがない自分に劣等感や、嫌悪や焦燥を感じているだけなのでは。  「うまかったら価値あるかもしれない」と言ったのは、うまかったら、美味しくなれたら——自分にとって価値があるかもしれない、意味だった、  ———私は、フライドチキンに憧れて、フライドチキンみたいに、美味しくなりたいだけだった……? かなしの「うんうんうん」  かなしのくんの頷きで、現実に引き戻された。  自分の中で考えをまとめるためにも、もっとかなしのくんの視点を知りたいと思い、切り出した。 大久保「(かなしのくんは)考えた事ないですか? 自分、価値あるのかな……とか。……比較、とか」 かなしの「はいはい」  かなしのくんはいくらか視線を動かした後、静かに答えてくれた。 かなしの「うまいに価値がある、っていうのは。僕も(そういう考え方が)結構あって。やっぱ、うん。食べるのって一番、こう…………ふふ。食べるのって、楽しい」  かなしのくんは穏やかに笑いながら、重ねた隙間にマジックマーカーを通すようにして、両手の指を組んだ。 かなしの「一番……なんか、手っ取り早く幸福を得やすい、みたいな、のは。結構あって。僕も。趣味。趣味が、最近、食べる事……ふふ」 大久保「めっちゃいい」 かなしの「というか食事……ふふふ」  かなしのくんは少し下を向いて笑いながら、話を続けた。 かなしの「———っていう感覚は、分かるけど〜……うーん。価値……お金の事を考えた時に、うーん……」  かなしのくんが口に手を当てて考えるのを見ながら、私は、『価値』というワードから、『お金』が自然に連想される人は結構多いなあ、と思っていた。  かなしのくんは頭の中で考えがまとまったように、落ち着いた調子で、真っ直ぐな声で話してくれた。 かなしの「——なんか、食べ物によって得られるもの。一時的な幸福……幸福感みたいなのって、あんまり本質ではないと、感じる。ので」 大久保「うん」 かなしの「なんか、人生という単位で考えた時に。例えば、食べることだけが幸せで、食べる事によって幸福は得られるから——毎日美味しいものを食べて、その時その時々を過ごしていたとしても。人生という単位で見た時に、『ああ美味しいものをたくさん食べれて幸せだったな』とはならない気がする、という」  なるほど、と思い、頷く。  例え話だけれど。  30センチ定規の、2センチ目、10センチ目、15センチ目に、 縦にピッと細く印をつける。定規には3箇所の印がついた事にはなるが、印自体の長さは僅か3ミリだ。30センチの定規全体で見たら、全く大きな割合にはならない。印をつける箇所を増やしてもほとんど同じ事だろう。  もしかしたら私は、『うまい』という、自分にとって理想的な、知ってる幸せ。感じたことのある、短絡的かつ一時的な幸福感に憧れすぎて——引っ張られすぎていたのかもしれない。  しかし、様々な人へのインタビューを通して分かったのは、自分の知る以外の『うまい』の感じ方がたくさんある事という事と——そもそも、その『うまい』という感覚に対する価値の重みづけも。人によって異なるという事だった。  だとしたら、私が目指さなくてはいけないのは、私が搭載しなくてはいけない機能は、『うまい』という短絡的な幸福感を与えるような要素ではない。  それこそ、人生単位で何かを与えられるような、あるいはまだ、既存にはない、価値。 私は、既存の価値に引っ張られている事で、私が生み出せるかもしれない未知の価値観や可能性を、勝手に諦めて、だらだらと逃げていたかっただけなんじゃないか。  …………。  それってめちゃめちゃ恥ずかしい!!  恥ずかしくなると同時に、頭の中がまとまらなくなってきた。 大久保「じゃあ、総合的に見た幸せってなんだろう。こいつ(人生)の」  まとまらなくなった頭の中をそのまま吐露したら、かなしのくんは、笑いとも困惑ともつかない声で答えてくれた。 かなしの「それは…………わからない」 大久保「わからない!」  それはそうだ、と思うと同時に、少し安心した。こうして数十分、あるいは合計数時間、価値について友人たちと話したところで、そこでぱっと人生の幸せとやらが導き出されるなんて思ってない。  そもそも、私の知りたいものはそれじゃない。私が知りたいのは——幸せなんて分からないなりに、この世界でサバイブするための、視点。知恵だ。  ただ、こうして会話を積み重ねる事で、分かってきた事は間違いなくある。それも、多く、ある。 かなしの「数十年かけて考えていくものなのかもしれない」  かなしのくんがぽつりと呟いた。そうだよなあ。情けないけれど、そうとしか思えなかった。  でもその数十年後までに、何度似たような絶望が、私たちや、私に似た人間の心に巣食って襲うだろうと一瞬考えた。  ここでいう私たちは、私とかなしのくん、を、指したわけじゃなかった。 大久保「分かってた時ある? 逆に」 かなしの「えぇ〜……?」 大久保「世界がシンプルだった時代」 かなしの「どうだろう。分からないですね」  かなしのくんは、度々小学生時代の話を口に出す時がある。今のはちょっと、そこをもしかしたら聞けるかな、と思って、少し相手の様子を伺って、発言した。  そんな自分を恥ずかしいと思った。そうして、そんな自分の感情を気取られないようにするべく、私はかなしのくんの前に、ずいとピースサインを突き出した。 大久保「じゃあ、ふたつめの質問しても、いいですか?」 かなしの「はい」 大久保「これはただのピースです」 かなしの「ああ、二つめの質問という意味ではなく?」 大久保「そうです」 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年7月2日 16:24:56 大久保「今まで、私とフライドチキンを比較してもらったじゃないですか」 かなしの「はい」  かなしのくんが頷いたのを見て、私も一度頷いてから言葉を続けた。 大久保「——かなしのくんは、自分をフライドチキンより価値が高いと思いますか?」  私の言葉に、かなしのくんはちょっと考えるように視線を下に向けてから、ぽつぽつと話してくれた。 かなしの「それが、難しくて。自分の価値、というもの。という概念が、よく分かってなくて。自己肯定感みたいな言葉あるけど、それもよく分かってなくって」  自己肯定感が、よく分からない。私が繰り返すと、かなしのくんは交差した指を引っ掻くような仕草をした。 かなしの「うーん……なんかこう。めっちゃ主観的に見たら、そりゃあ自分にとって自分の存在って、唯一無二ではあるわけだから。それは、他の何かと比べるものではない、し」  視線は少し迷うようだったけれど、芯の通った声色で彼は続けた。 かなしの「なんか。——逆に、めっちゃ客観的な視点で見たら、この僕が生み出している、僕が、世界において生み出している価値の総量と、フライドチキン全体が、世界中で生み出している価値の総量で考えたら、それは多分、フライドチキンの方が、絶対多いから。フライドチキンの方が価値がある、という事になる、けど」  かなしのくんが今言ったそれこそ、私が自分をフライドチキン以下と思う理由そのものだった。  価値の総量——『感覚の総量』という言葉は、6月30日に行った入江くんとの対話でも考えた事だった。  例えば、「貴方にとって、『冷蔵庫』と『電子レンジ』、どっちの方が価値がある? と聞かれたら、人によってそれぞれ答えは分かれると思う。  そしてその答えの理由は、多くの場合「自分はこっちの方が使うから」とか、「自分はこっちの方が便利だと思うから」とか、その家電に自分が与えられてる・助けられている『感覚の総量』で決まってくるはずだ。  そうしたように、家電に助けられている感覚を厳密に数値化する事は難しいが、比較する事で順番をつける事は出来る、という話だ。  ゼロと1だったらさらに容易く、フライドチキンは世界を笑顔にしているが、私は誰の事も笑顔にできない日もある。Q.E.Dですらなく、ジ、エンド。私が自分とフライドチキンを比較して落ち込むのは、何にせよそういうわけだった。  しかし、かなしのくんは『こう』続けた。 かなしの「聞かれてるのって、そういう事じゃないような気がして」 大久保「うん」  うん、と答えたものの——正直に言って、私はこの質問に、何らかの大きな『ねらい』や、『期待』を内包しているつもりはなかった。  むしろ、何かしらの答えを知ってて誘導しているというよりは、自分の出したこの『フライドチキン1、大久保帆夏ゼロ=(イコール)大久保帆夏、フライドチキンより価値なし理論』が、めちゃくちゃ極端で、何らかのバイアスがバリバリにかかっていると自覚しているからこそ、他人の話が聞きたい、他人の視界で、一度世界を見てみたい、という無責任な欲望が、本当のところだった。  ガチ無責任だな。  それはともかくとして、ここでかなしのくんに、「いや、何かそういうねらいがあるわけじゃないよ」と言って訂正するのは、おそらく簡単だった。しかし、それはするべきでないと思ったので、私はただ頷くだけに留めた。  かなしのくんが、私の質問からそういう匂いを嗅ぎ取った事の方が、遥かに重要だったからだ。 かなしの「その間にある……なんかこう、『それ』がよく分かっていない」  かなしのくんはそう呟いて、いくらかしゃべり疲れたか、考え疲れたかのように視線を右下に向けたまま黙っていた。  私はかなしのくんの様子を伺いながら、ゆっくりと話した。 大久保「自分は(今かなしのくんが言った)その『総量』で見ちゃってる点があって。前、に気づいて。私もその、(フライドチキンが)世界を幸せにしてるってさっき言ったじゃないですか」 かなしの「はい」  世界にとってのフライドチキン。世界にとっての私。フライドチキンが世界に与えている総量。私が世界に与えている影響の総量。そりゃあ、フライドチキンの方がでかいだろう。  しかし、この論理には穴があると、前回の対話相手である入江くんは教えてくれた。 大久保「でも、その『世界を幸せにしてる』っていうのは、私から見た視点で。実際はその与えた幸せ度、幸せの単位みたいなのって、その人自身にしか分からないから。私はその総量で、あっちの方が価値あるとか。私 はフライドチキンより価値ないとか。言ってたけど。……私も分かんなくなっちゃって!」 かなしの「ふふふ」  最後のは、ちょっとおどけて言った言葉だったが、かなしのくんが笑ってくれて、私は少し安心した。  まあ、そりゃあ、この論理には無理があるというか、感情の総量なんて他人から見て分からないのなんて当たり前なのは、入江くんにインタビューをする前から当然分かってはいた。  しかし私は、当然フライドチキンの方が世界に大きな影響を与えている、と考えている。この当然は、若干不自然だ。  世界中で食べられているフライドチキンという存在が及ぼす影響を考えれば、『当然』という言葉は妥当だ、と思い込む頭は確かにいる。熊の方がアリよりでかい、というような話で。  しかし、分からないのだ。本当の事なんて、調べなければ何も。熊よりでかいアリだって、もしかしたらいるかもしれないのだ。  いたら怖いな。 大久保「ちょっと、掘っていきたい、わよ」  ともかく、調べようとしてないのに『確信』してるなんて、変な話だ。だから私は、一緒に考える、穴を堀り潜る、共有する探索者が欲しかった。記念すべきその二人目に選ばれた彼に、私は質問する。 大久保「かなしのくんは、自分の価値とか、自己肯定感とかは、考えた事あまりない?」 かなしの「そうですね」  かなしのくんは頷いた。私はすぐ考えてしまうので、尊敬の意図で、すごいな、と思った。  他人と関わる時でも、その人にとって、自分がどんな価値を与えられてるだろうと考える。あるいは、与えられてばかりで何の価値も与えられていないと感じてしまう。  ふと、私は、他人の視点でばかり自分の価値を考えているな、と思った。  だからこそ、こうした場を設けて、その自分が基準にしている視点が実際どうなのか、調べたかったのか、と、納得したようなしてないような感触を覚えながら、私は脈絡なく言葉を続けた。 大久保「どんなイメージある」 かなしの「どんなイメージ?」 大久保「触れた事ない、立場なりに。猫飼った事ないけど、猫飼ったらめっちゃ毛凄そうじゃない!? みたいな」 かなしの「あ、えぇ、ふふ」 大久保「そう、そんな感覚でいいから。価値、を飼い慣らす、首輪です。自分が飼うとしたら」 かなしの「抽象的だなぁ(笑)難しいです」  かなしのくんが苦笑いとも微笑みともつかない調子でそう言ったので、私は少し反省しながら「無茶な質問をしている自覚があります」と苦笑した。 かなしの「なんなんですかね自己肯定感って」  かなしのくんが溢すように言った。私は上を向いて答える。   大久保「なんなんなんだろう」 かなしの「ふふ」 大久保「ビートを刻んじゃった。なんか逆にさ、なんで『考えてこなかったか』っていうのは、ある?」  かなしのくんは、質問の意図が分からないといった風にこちらを見た。私は頷く。 大久保「多分私は、考えすぎちゃってるのね。なんか、人より」  私は片手に持っていた黒のマジックマーカーを、意味もなくもう一方の片手に持ち替えた。 大久保「『考えた事ないです』っていうのは、そういうのがあるっていうのは知ってたけど自分やった事ないなー、なのか。そんな事考える人いるんだー、そうなんだー、のどっちが近いかな」  かなしのくんは、やっと質問の意図が分かった風にゆらゆらと首を頷かせて答えた。 かなしの「僕は……考えた事がなかったっていうか。うーん。なんなんだろう。なんだっけ。何の話だっけ」 大久保「こんがらがってきちゃうよね。ガチ一度も考えた事ない?」  少し無理させすぎたかな、一度軌道を修正しようかな、と考え始めたタイミングで、かなしのくんは柔らかく首を振った。 かなしの「いや、そんな事はない。この間、人とそういう話をして、あー、なんか。分かんないなー自己肯定感って。ってなった」 大久保「人としたんだ、ちょうど。聞いてもいい? その時の話。教えたくなかったら全然いいけど」  なんとタイムリー。すごい。やっぱりこの時期って自分の価値とかよく考えるんだろうか。夏だから?  プライベートな話だったら悪いかと思い躊躇したが、かなしのくんは手を左右に振って続けてくれた。 かなしの「いえいえ。なんか、その。自己肯定感とかって、『自分にとっての自分の価値』みたいに言われてるけど。それってなんか、分かるようなものではなくて。だから、みんな。他者から肯定される事で得ているものが、『自己肯定感』なんじゃないか。みたいな話を……」 大久保「ああ」  他人の考えている事は分からないから、他人から見た自分の価値なんて本質的には分からない——と。いう話が、入江くんの時も、さっきまでも、中心にあったような気がするけど。今出たのは全く逆だ。  自分の価値は、自分では分からない。だからこそ、他者の眼差しを求めてしまう。  それこそ、今の私のように!  「身の回りの人間であったり」、と注釈してくれたかなしのくんの言葉を聞きながら、私は考えた。 大久保「確かに、チキンもさ。『うまい』って言ってくれる人いなかったらさ。というか誰も食べなかったらさ。なんか衣で焼いただけの肉だから。その時点でもう『うまい』って価値はなくなるし」 かなしの「そうですね」  フライドチキンは、食べている人がいるから価値が生まれている。  逆に言えば、食べる人間がいなければ、ただ腐っていくだけになってしまうのだ。 大久保「逆に、大久保帆夏以外の人類が全ていなかったら、自分の価値なんて考えない。確かに、結局自己肯定感って、他者からの承認でなんか、ウェイしてる感が……ヒ〜〜〜〜〜!! 他者から逃れられない! 現世だ!」 かなしの「ふふふ」 かなしのくんが笑ったのを見て少し安心しながら、質問を続ける。 大久保「かなしのくんは他者について、他者から見られてる自分について考えた事は?」 かなしの「……最近ちょっと考えるかなぁー……」 大久保「最近」 かなしの「最近」 大久保「さいきん」 かなしの「さいきん」 大久保「recently」 かなしの「え?」 大久保「最近」 かなしの「最近」  ——なんて意味のないかけあい! 大久保「なんか、きっかけとかあった?」 かなしの「きっかけ? っていうと、難しいけど。そうですね。まあ、昔は。本当に人との関わりがなかったから。最近っていう、感じ、ですね」 大久保「そっか。ちょっとさ———」 かなしの「はい」  かなしのくんの返事を聞きながら、スケッチブックのページをめくる。 『かなしの ワールド』 大久保「どんな感じ今?」 かなしの「ええ? 何が?」  あからさまに困っているかなしのくんを見ながら、特に説明せずペンを持たせる。  ペンを持たされたかなしのくんは、さらに困惑した様子で私を見上げていた。 かなしの「何が? ええ……?」 大久保「…………」  口で説明するより、私が一度やってみた方が分かりやすいだろう。そう考えた私は、スケッチブックの新しいページにこう書いた。 『おおくぼワールド』 大久保「結構さ、人いるんだよ」  そう言いながら、おおくぼワールドことまっさらな紙面に——私の世界に。黒い油性マーカーで、人という字を大量に書いていく。  油性マーカーのキャップの部分で私は自分の書き連ねた『人』という文字をとんとんと叩いた。  特に、隅の方の。 大久保「ここら辺の人に至っては、名も知らぬ誰かなんすよ。 かなしの「はい。ふーん」  かなしのくんはようやっと事態が分かったようで、ふんふんと頷いた。それに微笑んで、言葉を続ける。 大久保「で、ここら辺(名も知らぬ誰か)の事とか気にしすぎて。自分の『価値高』について考える」 かなしの「へー。ふんふん。なるほどねえ」  そう言いながら、かなしのくんも、赤い油性マーカーを手に取った。そうして自分の世界——『かなしのワールド』に、文字を書いていった。  かなしのくんは、赤ちゃんの顔、もしかしたらそれより大きい——もしかしなくともそれより大きい大きさのでっかい『人』という字を書くと、丸で囲んだ。 大久保「…………いくねぇ」 かなしの「ふふふふふ、周り……」  かなしのくんは小さく肩を揺らして笑うと、そのまま興が乗ったように人という字を増やして行った。 かなしの「ひと。ひと。ひと———」  足の親指の爪より少し大きいくらいのサイズの『人』が、赤ちゃんほどの大きさのデカい『人』の字の周りににぽつぽつと。五つだけ書かれ始めた。  気になったので、聞いてみる。 大久保「この、一番でかい『人』(の字)は——……人類?」 かなしの「人類」  かなしのくんは頷くと、少し疲れたように、ふうと溜息を吐いた。  それを見ながら、今度はその大きな『人』の字の周りに書かれた、親指の爪より少し大きいくらいの『人』を指さす。 大久保「ここら辺(小さい『人』)は?」 かなしの「まあまあ。その、仲の良い人たち」 大久保「なるほどね」 かなしの「まあね、仲良くない人たちはいないから。世界に今」 大久保「いない。ふふ」  それを聞きながら、この『人』の中に私はいるのかな、おそらく入っていないだろうな、と思い、力なく笑う。 大久保「なるほどね。かなしのくんの世界では、私の世界でいう『ここ』(名も知らぬ誰か)が、大きな『人類』に包括されてて。そうすると、ここの価値、というか。残された仲の良い人たちの重要性が高まるから。この残された人たちにとっての自分の価値って考えればさ。それってただの、『関係』じゃない? そしたら確かに、この関係に価値ってあるの? って言い始めたら……」 かなしの「……」 大久保「……痴話喧嘩だよね」  よく分からない事を言ってしまったかもしれない、と後悔したが、かなしのくんは少しだけ笑ってくれた。それに安心しながら、言葉を続ける。 大久保「なんかすごいスッキリした気がする。かなしのさん、わたくしから見たかなしのくんが、すごいフラットに世界を見てるっていうか。風景とかのピクセルアート作ってるじゃないですか。私があの、全然あの、昔から風景をあまり見る事ができない人間だったので。情景っていう、大きなものを捉えられるところがすごいな、って思ってて。かなしのくんがそういう視点で他のところも見ている感覚が、私にはあったんですよ。それで、聞いてみたかったんですけど。すごく、分かりやすかったです」  かなしのくんが、はい、と頷く。そして、私が『風景』という単語を出した事で、思い出したのかもしれない。  かなしのくんは、はっとした顔をすると、赤いマーカーを手に取った。それから、先ほどの『人』より、少し大きいかもしれないくらいの大きさで、『風景』という文字をかなしのワールドに書き足した。 大久保「風景が、でかいっす」 かなしの「ふふ」 大久保「好きすか?」 かなしの「なに?」 大久保「好きともまた違う?」 かなしの「ん?風景? 風景好き」  かなしのくんは、楽しそうにこちらを見た。それを見ながら、かなしのくんからスケッチブックを受け取る。  赤ちゃんの頭ほどの大きさの『人』。  そして、それよりちょっと大きいかくらいの『風景』。  そして、親指の爪ほどの、ちらほらと周囲にいる小さな『人』たち。 大久保「これが——かなしのくんの、世界」 かなしの「そうです」 大久保「ありがとうございました、すごい面白かったです」  かなしのくんに頭を下げれば、かなしのくんも同じように頭を下げた。  ふいに、机上にあるフライドチキンを見ながら聞いてみる。 大久保「——フライドチキン、食べますか?」 かなしの「お腹空いてないので大丈夫です」 大久保「じゃあ私食べます」  かなしのくんにお礼の芋けんぴを渡し、見送る。  わたしも程なくして帰路に着いたら、帰りの電車で、かなしのくんからこんなメッセージが届いた。  『ありがとうございました。こういう抽象的な話は好きなので面白かったです』  『考えてみたらハンバーグよりは価値高いです!』  こうしてかなしのくんへのインタビューは終わった。  ——はず、だった、が。 ③ ??? 2025年9月9日 かなしの「それ——あれかも。違うかも」 大久保「違う?」  それは、中間審査会の午後の事だった。  それぞれの審査が終わった後、インタビュイーである入江くんとかなしのくんが、私の展示を見に来てくれていた。  私とかなしのくんの対話を記録した本——つまりは今まさに貴方が手に持っているこの本を——黙々と読み進めている二人を撮影していたら——突然、かなしのくんに声をかけられた。    かなしのくんは、22ページに記載されている『かなしのくんの世界では、私の世界でいう『ここ』(名も知らぬ誰か)が、大きな『人類』に包括されてて』——という部分が気になったようだった。 かなしの「解釈が、違う」  首を振るかなしのくんに「教えて?」と聞けば、かなしのくんも頷いた。 かなしの「この——名も知らぬ誰かが、(僕の世界には)、いなくて。デカい丸と、ちっちゃな丸がいくつかあったじゃない。あれ全部、特定の、人間」 大久保「……!? あのデッカ……いのも?」 かなしの「特定の人間。特定のひとり」 大久保「特定のひとり!?!? あれ、は、人類じゃなかったの……!?」 かなしの「特定のひとり。ふふ」 大久保「………………良い世界してんなぁ!」  あまりに大きすぎたので、まさか特定の誰かとは思わなかった。「友達?」と聞けば、「友達」と返ってくる。 大久保「え、待って待って待って、あれひとり!?!? 私が書く『人』ひとりより全然大きい。その『 ひとり』が大切だから他はどうでもいいみたいな?」  振り向けば、かなしのくんは笑顔でニコニコと笑っていた。  ——そういう価値観も、ある。良い顔だ!!

Log③ 2025. 7/8(時刻不明) インタビュイー:七瀬文 ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年7月8日  七瀬「俺は、何を話したらいいんだ?」 大久保「えっとね。今から、質問をするから。それに——これは答えになってないかもな、って思ってもいいから。答えてほしいの」 七瀬「うん、うん。……はい」  七瀬くんは、明らかに徹夜だった。  両目を何度か、ぎゅっときつく瞑ったり、開けたりしながら、何とか答えてくれてる様子に、私はちょっと気後れした。そのため、私は特に意味はない、「……と、思うの」という語尾を付け加えた。七瀬くんは枯れた声で「わかりました」とだけ答えた。 七瀬「答えになってなくてもいいの?」  カメラを持ったまま、ばたばたと椅子を動かしている私に、七瀬くんは感情の読めない声で聞いた。私も背中を向けたままで答える。 大久保「そう。答えになってなくてもいい」  背中を向けたままで答えた割に、少し顔を見たくなった。  一度カメラを支えたまま振り向いた——ら、七瀬くんがだいぶ真っ黒な目で宙を見つめていたので、私はもう一度カメラの方に振り返って、撮影のセットの準備を進めた。  七瀬くんの様子は心配だったが、声に出して心配する事で、『これ(撮影)は『ちゃんとして』挑まないといけないものだ』という刷り込みを入れるのは避けたかった。  それにこういう時、友人に、ある種気を抜いた姿を見せてもらえると、心を開いてもらえてるのか、多少ほっとしたような安心が感じる。  そんなお互いに募るぬるい安心感に対して、「大丈夫?」と声に出してしまう事で、途端に『ちゃんとしなきゃいけない』現実に引き戻してしまう時もある。私が『ちゃんとしなきゃいけない現実に引き戻した』、張本人になってしまう事もある。  全部考えすぎなので、それはもう優しさですらないのだけれど。私は誰の世界の外敵にもなりたくない。世界の表面を逆撫でる要因になりたくない。友達ならなおさらだ。  それは誰の世界に対しても責任感を持たないという、友達としてはあまりに無責任な態度なのではないか、という事についても、散々考えている。  ——皆さん、分かりますか! こんな自分だから、フライドチキンと自分を比べようと思っちゃったんですよ! 七瀬「机出してさ、カメラのスイッチ点けて置いといたら? 三脚いらないよ」  私が撮影の準備に手間取っているのを悟ってか、七瀬くんが声をかけてきた。  対する私は、上記のように全く別の事について考えていたので、咄嗟に適切な受け答えが出来ず、意味不明な「わかる!」を、返していた。  何これ?  ともあれ、質問する前から自分に懐疑的になっても仕方がない。準備もほどほどに、私は早速インタビューを始める事にした。 大久保「まずはお名前を教えてください」 七瀬「はい。七瀬です」 大久保「ななせくん」  柔らかく繰り返す。そして私は、彼の前で右手の人差し指と中指を真っ直ぐに立てた。俗に言うピースサイン。 大久保「質問が、ふたつあります」 七瀬「はい」 大久保「七瀬くんにとって——私と、フライドチキン。どちらの方が価値があると思いますか?」 七瀬「価値……」  七瀬くんは呟いた後、手のひらを何度かわきわきさせて、考えるようにしてから答えた。 七瀬「……フライドチキンっていうのはその」 大久保「うん」 七瀬「概念的なフライドチキンなのか、なんかこう、何か一個ある物を指すのか」 大久保「うーん。うん、普通に(七瀬くんが)想像してくれてる方の『フライドチキン』で構わない」  随分と投げやりというか、投げっぱなしだと思う。本来ここは、整地してしかるべきところだ。  しかし、これは心理学的な調査や実験を目的としたインタビューではない。私たちのやっている事は、あくまでアートだ。  私の『調整』によって、七瀬くんの言葉の色数が少しでも狭まる可能性があるならば、それは行うべきではない。 七瀬「コンビニとかのホットスナックのチキンがぽんってあって。そこにはんちゃんがいたら。どっちの方が価値があるかって話……。てなるとさ、流石にチキンよりも人間の方じゃない?」  人間——私の方が、七瀬くんにとっては価値があるらしい。やったね。  嬉しかったので、側にあった抽象フライドチキンを握って渡した。 七瀬「あ、チキンだ」 大久保「ふふ」 七瀬「すごいな」 大久保「チキンでしょ」 七瀬「うん。ま、チキンよか流石に人間じゃない?」  七瀬くんはきちんと話を戻すと、足を組み直した。私も足を組み直して、聞き直す。 大久保「チキンよか流石に人間?」 七瀬「うん」 大久保「書きま〜す」  私は七瀬くんが持っていたスケッチブックの方に身を乗り出した。七瀬くんは少し驚いたように自分を指差す。 七瀬「ああ。俺が書いた方がいいの?」 大久保「ん、自由に書いて。私も書くし、七瀬くんも書いていい」  私はそう答えながら、赤いマーカーでスケッチブックに『チキンよか流石に人間じゃない?』と大きく書いた。 七瀬「——なんて。月並みな回答ですけど」 大久保「何故そう思うの?」 七瀬「えーっとねぇ……ま、そうすね」  七瀬くんは、マーカーを握った方の手の指をぱかぱか開いたり閉じたり、遊ぶようにしながら答えた。 七瀬「チキン単体がぽんってあるのに比べれば——ま、なんだ。少しダサい回答かもしれないけど。質量的にも、いざ動くってなった時にも、まあ充分に価値を発揮できるんじゃない? って。そういう話」 大久保「人の方が?」 七瀬「うん。あの、何でも書いていいんですか?」  七瀬くんがスケッチブックを指差して確認する。 大久保「そう。何でも書いていい! なんか私の似顔絵描き始めちゃう人もいたよ」  私はそう言って、天秤の絵を書き、天秤の片側に『人』、もう片側に『フライドチキン』と書いた。  七瀬くんも「おお……」と感嘆の声を漏らしながら、意気揚々とスケッチブックに文字を書き始める。 七瀬「本当にこれって、漠然とした質問ではあるから。価値の定義の仕方による物だと思ってて」 大久保「はい」 七瀬「今言ったのだと、人だったら、質量があって——ま、なんだ。働くとかも、一応、出来るわけだな。で、フライドチキンは、それがない」  七瀬くんは握っていた黒いマジックマーカーで、天秤の『人』側に、『質量』『働く』と書いた。 大久保「働けないし、質量も、人間より小さい」 七瀬「小さい。小さいし、どうにもならんよ。それ以上。フライドチキンは、あるだけだから。あるないでいうと。そういう意味で、一旦人間の方が流石に価値あるんじゃない? と、思う」 大久保「うん」 七瀬「フライドチキンが比較対象になってるのって。要は、あれっしょ? 食ったら美味いとか」  七瀬くんは、いくらか言葉を探すように時間をかけて、呟いた。 七瀬「……『食ったら美味い』っていう、その一点のみでしょ」 大久保「うん」  私は少し驚きながら、頷いた。  ——確かにその一点しかない! 七瀬「こっち(人間)はさ、いっぱいあるけど。こいつ、『のみ』っすよね。メリットだけだよ、そりゃ」 大久保「そっか。『食ったら美味い』、のみ」 七瀬「はい」  七瀬くんは真っ直ぐに頷く。私はそれを見ながら、以前同様のインタビューを行った、かなしのくんとの対話を思い返していた。 大久保「なんか。別の人とも、その話して。(フライドチキンって)『食ったら美味い』、しかないのに。『食ったら美味い』って、価値としてデカすぎるのかも! みたいな——話をして。その『食ったら美味い』を、わたくし。大久保帆夏は、すごいデカ〜〜〜〜く捉えすぎてるんじゃないの? っていう。美味い事を」 七瀬「そうね」 大久保「この、『働く』とかを、凌駕できるぐらいの。めちゃめちゃな価値って、捉えすぎた……かもなー! みたいな話をしました」  思い出しながら、何とか話し終える。そんな私に、七瀬くんはやや楽しそうに言った。 七瀬「それはっすねえ」 大久保「うん」 七瀬「途中で。なんか、論点がズレてるというか、飛躍しているような気がしてですね」 大久保「オッケー」  私は傾聴するために姿勢を正した。よしこいという私の態度を見て、七瀬くんも話し始める。 七瀬「個人的にね。フライドチキン、食ったら美味い。それに価値を感じる。それは分かるじゃん? そこまでは。で、『食ったら美味い』に、すごく価値があるから、私よりもフライドチキンの方が価値がある——『食ったら美味い』から価値がある。なら、なんて言うのかな。『美味いから価値がある』に関しては、『食』そのものを比較対象に変えてるんじゃないかなっていう」 大久保「……ああー!」  すごく腑に落ちて、仰天する。  なるほど。確かに……『美味い』というのは別に、フライドチキンのみについている特典ではない。食べ物が持ってる普遍的な特徴だ。  それを私は、色々考え込んでるうちにすり替えてしまったのかもしれない。 七瀬「フライドチキン単体が美味い事、っていうよりも。食そのもの。人ひとりに価値を感じさせるにおいて、フライドチキンだけあれば、他の人より大丈夫みたいなのじゃなくて。食欲そのものとの比較に変わってる、変えちゃってるから、そうなるんじゃないかなっていう」 大久保「……なるほどね! 確かに『美味しい』って、フライドチキンだけが持ってる物じゃない」 七瀬「そうそうそう」 大久保「なのに、フライドチキンと比較するときに、『美味しい』を見過ぎちゃって——」 七瀬「そうそうそう。他の『美味い物』も集まってきちゃってるんじゃないのっていうには、感じるね」  だんだん視野が狭まって、フライドチキンが持つ(ほぼ唯一の)メリットである、『美味しい』ばかり見るようになる。  そうすると、フライドチキンと自分を比べていたはずが、いつのまにか『美味しい』という感情自体と自分を比べるようになっていく。  美味しいという感情と自分を比べるなら、しだいに『美味しい』という属性のあるもの全て——つまりはこの世の食べ物全てと自分を比べる事になって……。  そんなの……あんまりだ。 大久保「他の、美味しいパワーの、総量と。私戦ってる」 七瀬「そそそ! ような気が、して。そういう考えになってるんじゃないの? とは、思う」 大久保「あー、なんか。めっちゃ、スッキリしたかも。……しれない」 七瀬「なんかもう、美味しいっていう『概念』が持つ……『食パワー』だよね」 大久保「食パワー」  キャッチーなそれを繰り返す。なるほど、食。食パワー。 七瀬「食——食だよね。……うん、それだな。本当にそれだな」  七瀬くんはうんうんと頷くと、もう一度こちらに向き直った。 七瀬「だから、フライドチキン単体と比べるってなったら、流石にこっち(人)だと思う」  七瀬くんはスケッチブックに書かれた天秤の、『人』側を、ぴんと指差した。 七瀬「人だし。大久保さんと比べるんだったら、そっちの方が価値あんじゃない? と思う」 大久保「やったぁ。や、今のすごい面白かったです。食パワー」  何だか、今まで私に纏わりついていた呪いが解けた気分だ。  なるほど、私はフライドチキンではなく、『美味しさで人を笑顔に出来る力』——食パワーと自分を戦わせて、負けて、勝手に落ち込んでいたのか……。 大久保「確かに、すごい飛躍が起こってるのは分かってたんだけど。その飛躍がなんなんだろうって、自分ではいまいち掴めなくって。今回分かってすっきりしたよ。確かに、『美味しい』っていう、人間の根源的な食欲と戦っちゃうと……」 七瀬「そうそうそうそうそうそうそうそうそう!!」  七瀬くんの激しい頷きを見ながら、私も頷く。 大久保「あの、理由がないじゃない? 美味しい、嬉しいって感情には。だから、勝ち目がない勝負に、私が無理やりしてた可能性って、あるよね」 七瀬「そうそうそう。そう考えちゃうと、流石に! その、なんていうの。食欲っていう根源的なそれに、自分が『置き換わる』かってなったら。無理に決まってるから。一人の人間が置き換わるってなったら」 大久保「うん」 七瀬「そこで、まあ。あ、ダメだーってなっちゃってる?」 大久保「なるほどねー……。なんかすごい、嬉しかった。今。解けた気がする、ひとつ」  この世界に生きる人類が必ず抱えている食欲。それを満たすチカラ、と自分、を比べたら。それはその偉大さに負けてしまう。  食べるという事。それ自体はどんな行動でも代替不可で、食べ物でなきゃ満たせない。私がそれに置き換わる事ができない事など、当然の話だったのかも。  私は自分にかけた雁字搦めの何かが解けていくのを感じたところで、早速次の質問に移る事にした。  今なら、どんな難題だって解けそうだ。 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年7月8日  大久保「じゃ、ふたつめの質問、いっていっすか」 七瀬「そうか、ふたつめがあるのか」  思い出したように瞬きする七瀬くんには私は頷く。改まったように「うん。七瀬くん」と言えば、七瀬くんもちょっと唇を内側に丸めて「はい」と返事した。 大久保「じゃあ——七瀬くんと、フライドチキンだったら。貴方はどっちの方が価値が高いと思いますか?」 七瀬「…………うーん!!」  七瀬くんは坂から転がり落ちるような声を出して、上体を曲げた。私はにこにことしながら言葉の続きを待つ。  性格が悪いかもしれない。自分の質問が、相手の心に作用したのが、ただ単純に嬉しかったのだ。 七瀬「こう聞かれると、こう、あんまり自信を持ってるタイプではないから。やっぱりその、漠然と大きな物を考えてしまって、自信をなくしてしまうのは、ある」 大久保「うん」 七瀬「その気持ちはすごく分かる」 大久保「ありがとう」  強い強い気持ちのこもった『分かる』だった。友達として、自分のうじうじした悩みに真っ向から「分かる」と言ってもらえるのは嬉しかった。  その気持ちが、今の「ありがとう」でどれほど表せたかは分からないが、インタビューは続く。 七瀬「ただ、(さっき論理が)飛んでるとは言ったけど。ぶっちゃけ言ってる事は、まあ、なるか。うん。納得がいく」 大久保「その、遠景のさ。隣の山から見つめてれば、あ、(論理が)飛んでるなー! っていうのは分かるけど。同じ道を順路で歩いていたら、あ、ここ。確かに道迷うなー……って」  私が人差し指と中指で人の字をつくって、とことこと歩かせていると——七瀬くんは神妙な顔で頷いた。 七瀬「うん。それはね、マ◯オと一緒っすね」 大久保「マ◯オと一緒かぁ」 七瀬「俺の方がやったらうまいわ、っつったら、意外と操作できなくて、序盤で死にまくって——めっちゃ面白い、みたいな。それっすね」  正直、私は同上のゲームが下手くそすぎるため、今の例えはあまり理解はできなかったが——共感は十二分に出来た。 七瀬「いやまぁ。フライドチキン1個に比べたら、まあ自分の方が価値あると思うわ」 大久保「うん!」 七瀬「でも概念の話しだすと、ちょっと勝てないかも、と」  急に萎んだ七瀬くんを見つめながら、「概念と」と呟く。 七瀬「概念。なんか、ありとあらゆるフライドチキンっていうものが持つ魅力、みたいな」 大久保「……『挙げたら』キリないからねー」 七瀬「そうそうそう。まあ——」 大久保「———フライドチキン、だけに!!」 七瀬「……!! っつぁ〜っ……!!!!」  七瀬くんはしてやられたような顔をして、手のひらで顔を覆った。七瀬くんの言った言葉を真似して「つぁ〜」と鳴く私に、七瀬くんは指をさす。 七瀬「今ね、今ね!? そんな気がしたよね!?」 大久保「そう。あは、あははははははは!!」  私の爆笑に、腕を組み苦笑する七瀬くん。流石に申し訳なくなってきたので、笑うのをやめようとして、さらに笑ってるのが際立ってしまう。 大久保「あは、や、ごめん。なんか、しょーもない。ふふふふふ……」 七瀬「そういうの狙って言ったんかと思ったら、ちょっと勘ぐったんだけど」 大久保「横で気づいただけ。横で気づいてちょっと気持ちよくなっちゃった」  『あげたら』に気づいたのは本当にたまたまで、ふざけるつもりではありませんでしたよ、と示したつもりだったけど、七瀬くんは未だ眉を困らせたままで私をじっと見つめていた。 七瀬「ねえ」 大久保「うん」 七瀬「自分が同じ道を辿ると」 大久保「うん笑」  かなり強引に話を戻された。  七瀬くんはスケッチブックに、『自分が同じ道(考え)をたどるとしたら?』と書いた。私はそれを読み上げながら、抽象フライドチキンをちょこんとスケッチブックの上に乗せた。 大久保「これと」 七瀬「うん」  七瀬くんは続けて、1枚目に書いた天秤のように、右側に『チキン』、左側に『私』と書いた。先ほどまで『人』と書いてあった部分が『私』になる。それだけでこんなにも、何もかも違うような気がするのは何故なのだろう?  その疑問のままに、私は口を開く。 大久保「なんか。自分だとさ、例えば私もさ。なんか、七瀬くんとフライドチキンだったらさ。『や、全然全然七瀬くんと話してる時の方が楽しいし、七瀬くんの方が価値ある——ってか、それって比べられる物じゃないじゃん!』……って言う、私がいるわけ。でも、急に自分になると、『この道』に迷っちゃう。……のは、何なんだろうね」  私が顎を両手でいじりながら呟けば、七瀬くんは油性マーカーをぷらぷらといじる手を止め、ゆっくりと答えてくれた。 七瀬「んー……やっぱり。主観・客観だよね。主観的に考えたら、本当になんか、漠然としたものを考えてしまうかもしれないし。も、どうなんだろうなー! この、チキンの、チキンが、どのチキンを指すかで! 全部変わっちゃうなあ」 大久保「そっかぁ」  呟きながら、思う。確かに、私の考えるフライドチキンって、漠然としている。何か、一個体のものじゃない。今もこの世界のどこかで誰かを幸せにしている——という妄想上にあるフライドチキンだ。  そんな事実が当たり前だと思って、それが果たして本当に現実に存在しているか、私は確かめてもいない。  そうやって漠然とした『フライドチキン』を想像しているせいで、私はフライドチキンの細部に宿った特徴や、とある一個のフライドチキンに『しかない』特徴ではなく、『おいしさ』というやはり漠然とした特徴にとらわれてしまっている。  ……そうして私はフライドチキンのおいしさ——がさらに歪んで、この世界にはびこるおいしさ全てと戦ってしまっているんだろうか?  敵の見た目もわからないまま、剣だけ持って勝手に「負けた!」と喚いている。そんな感じだ。  情けない。 七瀬「一個単位だったら、絶対自分の方が価値はあると思うし。だってこいつ(フライドチキン)は(人間と違って)考えてないしね。むしろ、考えて話せるだけ、はるかに(人間の方が)有意義だと思うから」 大久保「うん」  七瀬くんの言葉に頷きながら、頬の内側を噛む。私はまず、フライドチキンを『一個単位』で見れていない。見ようともしていなかったのだ。  私は、フライドチキンの持つ『おいしさ』と——『誰かを幸せにできる』という食の持つかけがえのない特徴に愕然として、戦って、いや、戦いもしないで、それをできない自分に絶望して、勝手に負けた気になっている。  そういう風に私がくらくらとし始めたのが、(インタビュアーとして伝わらないようにしていたつもりだけれど)七瀬くんには伝わったのかもしれない。これも勘違いかもしれないけど。ただ、七瀬くんはちょっと言葉につまりながらも、一生懸命気持ちを形にしてくれた。 七瀬「な、なんて言うの。人間の持つ価値ってさ……——さっき言った質量は、何にも考えてない単純な話だけど——行動と、あと思考だよね。考えて、そう動ける事とか。(人間の持つ価値って)そういう事だと思うんだけど。それの、原動力に、『食』があるから。チキンが、比較になったときに(落ち込んじゃうんじゃないの?)」 大久保「あぁ〜……!!」  私たちが生きるすべての原動力に、『食』は紐づいている。  私たちはフライドチキンと違って動ける。考えられる。生きられる。  しかしそれらを行うためには、結局『食』が必要だ。  だから絶対勝てないと、本能で思わされてる……!? 七瀬「『これ(人間)』に至る手前で、必要なものだから! な、なんて言うんだろうなぁ!」  錯乱しかけた七瀬くんに、私は興奮して大声で言った。 大久保「あり、あり。あり。それは、ある。その、そもそも私たちが考えて動くための!」 七瀬「そう。食わないとやってけないから! やっぱ、偉大な感じは、する」 大久保「うんうんうん」  そう、偉大——偉大、か。  確かに私がフライドチキンに対して感じていた劣等感、畏怖、憧憬……そういう感情全部引っくるめて、『偉大』と言われれば、しっくりくる感じがする。 七瀬「人間の方が、生み出せるパフォーマンスってのはデカかったとして。その前に『なんか飯食わないといけないよね』が挟まると、飯のほうが、ちょっと大事なんじゃないの? っていう……うん。……事には、なるような気はするね」 大久保「……なるほどね〜……の顔。そっかぁ」  私はなるほどねぇ〜の顔をしながら、実際なるほどと思っていた。私が持っていたフライドチキンに『勝てない』感覚というのは、こういう事だったのかもしれない。 七瀬「価値は一番低いんだけど、このパーツなかったら、この機械絶対動かない、みたいな。ところで、ね」 大久保「なるほどね。なんか、『食』、デカすぎる」 七瀬「そう……」  たかだか一本のネジ。たかだか一個のフライドチキン。だけどそのネジがないと私たちは動けなくて、頑張れなくて、私たち自身はそんなパワーを誰かにもたらせている自信がなくて。どうしたって勝てないと思わされてしまう。  ただここで訂正しなければいけないのは、実際このネジ(食べ物)にはたくさんの種類がある事だ。そのネジが『フライドチキン』でなければいけない理由はない。  私はフライドチキン一個ではなく、この世の食べ物全てと向き合っていたのだ。その事に気づけただけで、今日、私の人生は大きく進歩したと言える。 大久保「私はチキンじゃなくて——しかも、一個のチキンじゃなくて! 食欲、と! それを満たすもの! と! そしてその与えられる快楽! と! 戦っていた!!」  叫べば、七瀬くんはこくこくと頷いた。何故だかそれに妙に安心する自分がいた。 七瀬「そ。チキンは別に……チキンはたまたま、そこに『当てはまった』ってだけで。そうだねえ。それだなあ!」 大久保「それだな! ……なんか、ありがとう。なんか——」  言葉が出なくて、それから、まあ言葉が出ないままでもいいかと思った。  それから、七瀬くんがふいに「小さいペン欲しいなあ」と言ったので、ちょっと驚いて「小さい、小さいペン?」と聞き返しながら、細い油性ペンを渡す。それを受け取った七瀬くんは、黙々と文字を書き始めた。  私はそれを見ながら、一瞬腕時計を見つめて頬杖を突いた。 大久保「じゃ、まとめかも」 七瀬「まとめる事ある?」 大久保「なくてもいい?」 七瀬「うん」  頷きながら、七瀬くんはスケッチブックにこう書いた。 『人の方が得られるパフォーマンスは圧倒的に多い』  そのまま七瀬くんが書き綴っているのを見つめていたが、その時ちょうど、先生たちに遠くから私の名前を呼ばれた。  面談の時間が来たのだろう。  さっきも撮影のために飛ばしてもらったが、どうしようか——と悩んでいたら、七瀬くんが笑顔で送り出してくれた。 七瀬「あ、いいよ。後ででも。(面談)終わってからでも」 大久保「ア・イ・シ・テ・ル! じゃ、スケッチブック預けるんで」  そのまま私が面談に向かう事で、今日のインタビューは終了した。  後ほど返してもらったスケッチブックには、こう、綴られていた。 『チキンは食べたらうまいけど、それ以上のものがない単純なもの。人はなんかを食べなきゃいけないけど、食べて動けば、思考すればその先がある。その複雑さに価値があると思う』 『チキンは たまたま当てはまっただけ。一人の人間と一つの食物の価値。比べたら人の方が価値があると感じるが、根源的な食欲の概念と比較しているように感じると、途端に『チキンの方が価値があるのでは?』と考えてしまう』 『他者とチキンを比べると明確に分かるのに、私は自分に自信がないから、一瞬そう思ってしまった。』 『不思議。』  私はそれを読みながら、他人事のように『不思議だなあ』と思っていた。

Log④ 2025. 7/8 17:03:00 インタビュイー:渡辺介偉 ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年7月8日 17:03:00  今日のインタビューは、教室内で行われた。前で生徒がひとりひとり面談しているなか、その後ろ——最も後ろの隅の方で、私たちは話していた。  彼はいつも、授業中この辺りに座っている。彼は正式なこのラボの生徒ではなく、所謂『潜り』だからだ。 大久保「じゃあ、まず。お名前を教えてください」 渡辺「はい。渡辺介偉(わたなべかい)です」 大久保「渡辺介偉さん。よろしくお願いします」 渡辺「お願いします」  そう言って同時にお辞儀をしあう。  机上には、スケッチブック、ノート、赤黒の油性マーカーを置かれている。  私はそれを横目で見ながら、介偉さんに続けて質問をした。   大久保「——普段はどんな作品を制作されてますか?」 渡辺「普段は映像を中心に、まあ、サラウンドとか。そういったものを使って、没入できる映像作品を作っております」  彼は普段は私とは違うラボで、映像を中心とした作品を制作している。私と彼が初めて授業が一緒になったのは一年生時の必修授業にまで遡る事になる。その時も演出が印象的な映像作品を作っていた。あれを見た時私はいたく感動したので、今でもよく覚えている。 大久保「——ありがとうございます。よろしくお願いします」 渡辺「よろしくお願いします」 大久保「じゃあ、まず。ふたつ、質問があります。一個目の質問です」  私はそう言って、人差し指を立てる。介偉さんは黙ってそれを見守っていたので、私も下手なアイスブレイクをせず、本題を切り出した。 大久保「介偉さんは——私と、フライドチキン。どちらの方が価値があると思いますか?」 渡辺「………………。……あっ、なるほど」  介偉さんはしばらく黙ったのち、何かにぴんと来たような表情になって、言葉を続けた。 渡辺「まあ、価値は———……そうですね。自分は、その。どっちが価値あるとか。あんまり、考えた事はなくて」 大久保「うん」 渡辺「最近、自分の作品でも取り入れようかなって思っていた考えが(あって)——『自分の思っている青は、相手にとっては緑かもしれない』みたいな。なんか、思ってて」  ほう、と思う間もなく介偉さんは続ける。 渡辺「例えば、自分はその青は絶対普通の青だって思ってるけど。例えば大久保さんから見たら、それは青じゃない。赤だ、って思ったりとか。緑だって思ったりとか。その可能性があるなって思って。それはその、色だけじゃなくて。別のところにも言い換えられる。そういう考えがあって、それを作品にも取り入れようって思ってるから、なんか——」  介偉さんはそこで言葉を区切って、私の質問の答えを口にした。 渡辺「——こっちの価値が正しい、とか。どっちが価値が、上。とかではなく。なんか、平等に見ている感じ——が、(自分に)あるかなって思って。どっちに価値があるってつけるのは、自分には難しいかなって感じてますね」  ——なるほど。大久保の方が価値が高い/低いで答えないケースは、一番最初にインタビューした入江くんもそうだったが、この答えはまた違う。  価値をつける事が、そもそも難しい……。  一口では、私には理解がしにくかった。  ひとまず、自分が理解できたところから少しずつ食べ勧めてみようと思い、私はちょっと乾いている口を開いた。 大久保「うん。確かにその……『自分の感じてる青が、相手にとっての緑かもしれない』って、全ての……万物においてそう言えるじゃない?」 渡辺「うん」 大久保「だってその、自分の考えを共有させる事って、言葉ではできるけど——できてる気に、私たちはなっているけど。言葉で共有しても、それって100%完璧じゃないじゃない。和訳とかもそうだけど。訳文とか」 渡辺「はいはいはいはい」  言葉で伝えても、それが正しく伝わってるとは限らない。  少し自分の話をするが、今年の春、私はニュージーランドまで語学留学に行っていた。  父が先に単身赴任で一年ほど現地に在住していたため、留学の後半は父が住む家に私も引っ越したが——最初の数週間は、(経験のために)私もホームステイ先でホストファミリーと暮らしていた。  まあその時、どうにかこうにか英語を接着したり剥がしたりして会話するのだけれど、「これ正しい意味で伝わってんのかな」とか、「こう言ったつもりだったけど、失礼な意味で受け取られただろうか」とか、シンプルな悩みを持ったりもした。  そんな私に、父は、「そういうのは、日本語で話してる時もあるでしょ。だから大丈夫だよ」と言った。確かにそうだと思った。  それ以来、こう言ったから伝わってるはずとか、外国語だからうまく伝えられないとか、そういう思い込みは積極的に捨てるように努めている。  ——……という、関係あるようなないような話を思い出しながら、私は話した。 大久保「本当にそのまま伝わってるかどうか分からないけど、その(言葉という)フォーマットに落とし込むしかない、から、私たちも。色を、青とか、緑とか、言葉で捉えてるけど。自分の感覚を、そのまま相手に憑依させられるわけじゃないから。話した事を自分が想定してるように受け取ってもらえてるとは限らないし。介偉さんが言ったように、本当にその色がお互いの視界で同じとも限らないし…………ってとこまではオッケー、分かるんだけど。その。価値をつけられないっていうのは。自分の中の領域でも価値をつけられないの?」  首を捻りながら聞いてみる。  自分の視界では赤、でも別の誰かの視界ではそれは赤ではないかもしれない。だからといって、自分の視点で価値をつける事自体が難しい、自分の視点でも赤かどうか判断できない……という事に繋がるのだろうか? 渡辺「——うん。自分の中でもどれがいいのか、とか。なんかそれが、分かんなくなってきてる部分は、やっぱあるかもしれないです」 大久保「それは昔から?」 渡辺「んー、いや。やっぱ、高校生ぐらい、とか。高校二年生ぐらい、に……ぐらいから。ですかね?」 大久保「高校二年生っていうと……17?」 渡辺「17——17か」  私はなんとなく、スケッチブックの端に赤い油性ペンで「17」と書いた。 大久保「17。へろへろの字。んふふふ」  一人で笑いながら、私は聞く。 大久保「なんかきっかけとかあったの?」 渡辺「ま、やっぱり……先生からオススメされた映画とか。それこそアート作品みたいなものを、いっぱい見てた時期がありまして」  介偉さんの話を聞きながら、思い出す。確か彼は、高校時代は映像芸術学科だったと聞いた事がある。  それを聞いた私は、「だからあんなに映像が上手いのかぁ」と思ってすぐに、「いやそれはどこ出身だからとかじゃなくて、ひとえに彼自身の努力だよな」と、感心したのちにすぐに恥ずかしくなったのを覚えている。 渡辺「それこそ映画だと、毎日一本見ようとか。目標を掲げてて。いっぱいバーっと見てた時期で、その中で色々その、色んなテーマを扱うわけじゃないですか。それを見る中で、自分の世界が広がったというか。見てる世界が完全に違くなって。そこで、なんか。『そういう部分』とかも。自分の中でごっちゃになったりとか」  『そういう部分』がどこを指すのかはいまいち分からなかったが、おそらく他人の価値観を測る事と、自分にとっての価値を測る事が、彼の言う『ごっちゃ』になったという事だろうか。  介偉さんは、「そういう多様性——……っていうのは、あんまり好きじゃないな」と言って目線を少しずらしてから、またこちらを真っ直ぐに見て言葉を続けた。 渡辺「なんか、広い部分を見れるようになって、自分でもその、それを受け入れるようになったし。逆に、受け入れない部分もあったりして。そこが、すごく。難しい部分になってるかなって」 大久保「うん。……そのエピソード、なんかすごく納得したかも」  「うん」と頷く介偉さんの様子を目で追いながら、一人納得する。ざっくり言ってしまって、彼の思考はすごく『映画的』だ。 大久保「人間の、『個』があるじゃん。で、この『個』が見てる世界の中でさ、何が上、とか。何が下、とか。それってその個人にしか分からない領域だから判断しづらい、みたいな話だって——最初の話を、私は受け取ったんだけど。それってさ。私はね? 最初、この『個人』って自分も入ってるからさ。じゃあ自分の視界で見えてる話をすりゃあ良いんじゃないの? って思ってたんだけど。あの、映画を観てたってするとさ。こっから……個人の価値観を上から見てるじゃん」 渡辺「はいはいはい」 大久保「その監督の考えてる事とか」 渡辺「客観。客観視みたいな。世界をちょっと引いて見てるというか。そういう感じはある」 大久保「うん。なんか今面白かった」 渡辺「ふふふ」  自分も含めて、広く見る。介偉さんはきっと今、私の視界も上から見ている。だから、フライドチキンより価値があるよとかないよとか、不用意に言わない。  それは、私がとても、自分に足りないと思っているところだった。  介偉さんはにこにこと笑った後、ちょっと早口で話し始めて、また、少し止めた。 渡辺「割とだから、…………ちょっと全然話が変わるかもしんないけど」 大久保「いいよいいよ」  介偉さんはそれを聞いて、安心したように目を細めて話し始めた。 渡辺「あの、大学入った当初とか。なんか、少人数にだけど。年上に見えるって言われた。そういう事は結構言われてた。割と。同年代に見えなかった、みたいな。割とその——引いて見てる、みたいな」 大久保「うふふふ」  介偉さんと初めて話した、一年の頃を思い出す。私は彼とそんなに頻繁に話す方ではないが——確かに無意識に、二年生くらいまで彼の事を年上なんだろうと認識していた。(映像が上手いのもあって)   渡辺「まあ割とそういう感じじゃないけど、性格的には」  介偉さんは前髪を直しながら、少し困ったように笑った。私はそれを多少からかわない程度に、彼の言った言葉をまとめるように話した。 大久保「——引いて見てるつもりなかったけど、そういう客観的に見てるところが、他の人から印象的だったから、年上なのかな〜って思われてた?」 渡辺「はい。ふふ、もちろんね、祭りとか好きだから。熱くはなっちゃうんだけど。一歩は引いて見てるかな、って感じ」 大久保「まあ実際、前に人を応援する方が楽しいみたいな事言ってたよね」  前にも、介偉さんと少し長く話す機会があって——四年生らしく、将来どうするのみたいな話をした。その時に、彼が人を応援する方が好きと話していたのを聞いたのだ。 大久保「それってやっぱ、や、主観だけど——」 渡辺「うん」  私は前置きしてから、続けた。 大久保「——熱くなれる人の言い分じゃない?」 渡辺「そうそうそう! サッカーとか好きだから。まあね、点入んないけど、その中で、最後の最後に点入った時とか、逆転とか。もうワーッ! てなっちゃう。ふふ。全然話変わったけど」  介偉さんが楽しそうに話してくれたのが嬉しかったので、私も首を左右に振って笑った。 大久保「いやいや。楽しかった。自分の中で勿論個の味方っていうのはあるけど、でも価値観の『制定』は、やっぱ一歩引いてというか。見たいよねっていう。ま、危険だからね。ちょっと、ふふ」 渡辺「そうね。個人(の見方)になりすぎると。こう、そこだけになっちゃうから。こう、それを広げるっていう意味でも、ま、映画を観て、かな? 自分はそこで広がったって感じ」 大久保「なんか。映像作ってる人の言葉が聞けたって感じで。楽しい、嬉しい」  この多摩美術大学メディア芸術コースでは、美大の中でも様々な作品を作る者が集まる最高の魔窟だけれど——特に映像を作る人たちは、何となく皆んな、同じ『におい』というか、似たような音を発する事が多い。  その『におい』の謎を解明できたようで、私は少し、嬉しかった。映像を撮る人特有の、客観的な視点がその香りを呼んでいるのかもしれない。  私は映像も嗜むタイプの美大生だけれど——制作する時はまだしも、プライベートでは、もちろん客観的な視点など養えてない! そうじゃなきゃ、自分とフライドチキンを比べようだなんて思わないだろう!   悲しいね!  しかし、この歪みこと『呪い』の紐を解くためにも、私はこの質量のこもった『フライドチキン』を友達たちにぶつけているのだ。  だったら悲しんでる場合じゃなくて、私は続けざまに、この質問を撃たなければいけない。 大久保「二つ目の質問、いいですか?」 渡辺「あ、はい。はい!」 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年6月30日 17:10:58 大久保「今の、アンサーを聞くに。ちょっと、足をもう一度取らせる質問かもしれないんだけど」  私は慎重に前置きしてから続けた。 大久保「いま、私とフライドチキン、どっちの方がって聞いたじゃない?」 渡辺「うん」 大久保「——もし、介偉さんと、フライドチキンだったら、どっちの方が価値が高いと思う?」 渡辺「……なるほど!」  介偉さんは納得したようにかくかくと頷いた。それを見ながら私は、「自分自身だったら」と注釈を入れる。それを聞いた介偉さんも「自分とフライドチキンだったら」と呟いた。 大久保「そうそう」 渡辺「はは、難し〜……!」 大久保「難しいね」 渡辺「難しいねえ」  介偉さんはそう言って、瞬きをしながら油性マーカーのキャップを外した。  それから、こう言った。   渡辺「俺は、自分(の方が価値が高い)になっちゃうと思う。——自分になっちゃうかもしれないっす」 大久保「勝った」 渡辺「勝ちました」 大久保「その心は?」  私が聞くと、介偉さんは腕を組んで考えるように話しはじめた。 渡辺「——そうね。まあ単純に、今がこうなってる(視野が広がってる)からこそ、昔はこう(自分の主観が強かった)だった」  介偉さんは自分の両の手のひらを使って、『視界の狭まり』を表すようなジェスチャーをした。  私は少し意外に思いながらも、聞いた。 大久保「昔は自分の主観が強かった?」 渡辺「そう。自分が正しいって思ったりとか、スーパーマンが正義だって思ったり。で、悪いやつは、悪い。悪は悪。……っていう風に見てたけど。その前(視野が広がる前)まではそうだったから、やっぱり、残ってて。自分の中に」 大久保「うんうん」 渡辺「だからこそ、この答え(自分の方が価値がある)になっちゃうかもしんない。けど、今の時点でそれを思うのは、そういう考え方だけで良いかなって思ってて。それは言わないとか」 大久保「うんうんうん!」  私が頷いたのを見て、介偉さんは少し視線を逸らしてから口を開いた。 渡辺「今はこう、言っちゃったけど。何をするにしてもね。……自分はテレビ番組の制作会社に就職するんだけど。仕事をする中で、あの人に声をかけないと始まらない、例えば、インタビューとかをするテレビ番組を制作してて、街中に行って、許可も取ってない人に、すみません良いですか? って言って。聞くわけですよ。で、やな質問とかも(相手に)するわけですよ。こっちは聞きたくない話題についてとか」 大久保「そう……なるよね」 渡辺「うん、なると思う。——けど、でもそれってすごく勇気がいると思うし、そうなったら、自分を奮い立たせないといけないと思ってる。だから、『俺なら多分、インタビュー受けてくれるでしょ』、とか。この話し方だったらいけるでしょ、とか。そういう自分に自信をつけるっていう意味で、なんかこう……自分が(フライドチキンに)勝ってるなって思わないと。逆に、やってけない」 大久保「そっ……か」  勝ってるって思わないと、やってけない——実際そうだ。私はフライドチキンに勝負を挑んで、勝手に負けた気になって、自分の心を無用に責め続けている。 渡辺「逆に、ちょっとそこの部分が、気持ちが弱いってのがあるかもしれない」 大久保「心の底では」  私が呟いたのを聞いて、介偉さんも頷いた。 渡辺「そう。だから……『こう、思いたい』って感じかな。自分が、強いとか。価値があるとか。………………ただ、それをあんまり言いすぎちゃうと、ね。なんか、差別の方向にもなっちゃうから。あんまり、言わず。それを、自分の中だけに押し留めていた方がいいのかな、って思ってる」  介偉さんは、丁寧に、言葉をひとつひとつ伝えてくれた。  最初の話でも出たように——自分が見た赤が、誰かにとっても赤であるとは限らない。自分が発した言葉が、自分が考えた意味で完璧に相手に伝わっているとは限らない。  私が、介偉さんの言葉を、彼がここまで真摯に伝えてくれたものを、ちゃんと正しく受け取れたかは分からない。  だけど、受け取れたと、受け取ったと思っても、良いのだと思う。多分。 大久保「——うん。他の人でもね、『この質問は、確かに自分と大久保さんだったら答えは変わるけど、それを表明したら、表明(主義)になってしまうから、答えは言わない』って人もいたし」 渡辺「うんうんうんうん」 大久保「なるほどね。自分の中でどう思ってたとしても、自分の方が価値ありますって言っていいっていうか。それめっちゃいいな。鼓舞だよね」  介偉さんは柔らかく頷いた。 渡辺「——ま、例えばだけど、作品流す時に、『……ちょっと全然出来なくて。完成度80%くらいなんですけど見てください』……って言われるより。『こういうところを頑張って、ただしここはちょっと出来なかった。ただここのところは本当にうまく行ったんで見てください!』……だったら。それは、圧倒的に後者の方が、良く見てもらえると思うし。それがちょっと、雰囲気だけだったとしても、そう映ったらいいな、って思う」 大久保「自分への鼓舞にもなるし、『そうあってほしい自分』でいる……」 渡辺「そうそうそうそうそう! 心の中では、『正直全然、今回クオリティ高くねえな』って思っちゃってる、全然完成度ダメだなって。でもやっぱ、見せるから。教授に見せる時はもちろんこう、『どうぞ!』って見せて、『おぉ〜……』みたいなものを、やんないとダメかなって」 大久保「めっちゃカッコいい」 渡辺「ありがとう」  私は一瞬迷ってから、ここまで自己開示してくれた介偉さんへの礼節として(彼自身はそんな事全く望んでいないかもしれないけど)、私も話しすぎない程度に、少しの自己開示を試みる事にした。 大久保「……私も、同じ考え、が、大学三年くらいまで。すごいその考えを、ガチガチに固めすぎちゃってて。何だろう、その、映像撮るにしても。作品作るにしても。自分はなんか、すごくないといけないというか」 渡辺「あー……!」  介偉さんの声に少し安心しながら、私は言葉を続けた。 大久保「なんか——すごい烏滸がましい事を言うよ? 例えば賞を獲りましたとか、ある程度結果を残せましたってなった時に、いや自分本当にカスなんで、とか。フライドチキンより価値ないんで、って言うと、なんかもう(相手から見て)最悪じゃん!!」 渡辺「ふふ」 大久保「やっぱ格好良く見せたいし、その、格好良くいたいっていうのがあったから、『や! 天才なんで!』……みたいな。スタンスでいたんだけど……ふふ」 渡辺「あー、ふふ。もうね」 大久保「そう、ちょっとイキッてた時期が、二年生くらいまであって! ちょっと思い出したくないんだけど! そうなるとさ! 逆に、どんどんどんどんさ。フライドチキンより自分価値な〜いって考えが、どんどんどんどん強まっちゃってて。表ではイキッてるのに。これはヤバいかも! って思ったんだよね。なんか」  ——これは話しすぎてるな、と思ったので、方向転換して、私は自分の話をまとめる方に舵を切った。 大久保「——みんな生きてるじゃん。そりゃ、死んでないから皆んな生きてるんだけど。その、生きて来れたなりの視座、があるわけじゃん。みんな。今、(介偉さんも)作品全然今回出来てないんで、って思っちゃう時もあるっていう、弱い部分を見せてくれたじゃない。その弱い部分があっても、いや、俺、天才なんで! とか。いや今回作品最高なんで! ……って生きて来れた、事? その、なんか。方法を知りたかったんだよね」 渡辺「あー!! なるほどね! はいはいはい」 大久保「そうそうそう。だから、今、お話聞けてめっちゃ嬉しかったです」 渡辺「ありがとうございます」  お礼を言うのは自分の方だと思ったので、私もお礼を返した。 大久保「ありがとうございます。自分に表明できれば、おっけ、なんだね」 渡辺「そうね。自分だったら行けるでしょ、くらいの感じじゃないと、無理だよね」 大久保「……そうだよね。なんか、自信がある方が人生得だよね、って。すごく雑な話になっちゃったけど。でも、そうだな。自分とフライドチキンが、実際どうか、っていうより、制定するんじゃなくて、自分の視座しか結局わからないんだから。自分の視座から、自分の方が価値がある、自分の世界のために、っていうのが、いいのかも」  そう言った途端、介偉さんが急に身体を起き上がらせて、こちらを見た。 渡辺「———あ、でもフライドチキン美味しいし、ま、フライドチキンかな! 結局! ま、結局はフライドチキンの方が価値高いです」 大久保「あははははは! ちょっと逃げてオチ作ってくれたでしょ!」  介偉さんはその事に肯定も否定もせず、笑っていた。その事に少し安心しながら、私はもう一度お礼を言った。 大久保「ありがとうございました。めちゃめちゃ面白かったです」 渡辺「ありがとうございました」

Log⑤ 2025. 7/16 13:42:10 インタビュイー:イノウエ(仮) ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年7月16日 13:42:10   今日のインタビューは廊下で行われた。  インタビューも5人目なので、そろそろ撮影準備にも慣れてきた。廊下に置かれている机の側に椅子を2脚引いてきて、机上に、スケッチブック、ノート、赤と白の油性マーカー、フライドチキンを模した毛糸玉——抽象フライドチキンを置いていく。 イノウエ(仮)「三脚いる?」  私の後ろにいた、今日のインタビュイーが話しかけた。気を遣ってくれてる事にありがたがりながら、「大丈夫だよ」と返す。今日は顔を出さない形での撮影なので、手持ちの一眼で充分だろう。  適当に準備を終わらせて丸椅子に座れば、『彼』も私の隣の椅子に座った。  私はそのまま、カメラの録画ボタンを押した。 大久保「まずは、貴方のお名前を教えてください」 イノウエ(仮)「イノウエ(仮)です」 大久保「よろしくお願いします」 イノウエ(仮)「よろしくお願いします」  お互いにお辞儀をし合う。  イノウエくんは、私と同じラボに所属しているクラスメイトだ。頻繁に話す方ではないが、一年生の頃、グループワークが一緒だったのもあって、何となく人となり——主にめちゃめちゃ善い人だ——というのはは分かっているつもりだ、し、何より、作品が面白い。 大久保「普段はどんな作品を制作されていますか?」 イノウエ(仮)「普段は、アニメーション作品ですね。抽象化した動きが面白いアニメーションを制作しています」  彼は主に、日常にある事柄を独自の視点で切り取った、抽象的なアニメーション作品を制作している。  彼の作品は一目見ただけで「ああイノウエくんの作品だ」と分かるので、毎回新鮮にすごいなあ、と思う。 大久保「——これから、イノウエくんに。二個、質問をさせてもらいます  私は片手にカメラを持ちながら、もう一方の手で、ピースサインを作った。 大久保「まず、一個目です」  イノウエくんが頷いたのを見てから、私は言葉を続けた。 大久保「貴方は、私——大久保帆夏と、フライドチキン。どちらの方が価値が高いと思いますか?」  私の言葉に、イノウエくんは少し瞬きをしてから答えた。 イノウエ(仮)「えー……っと。大久保帆夏の方が……自分的には、(価値が)あるかなって」 大久保「ありがとうございます」  ——やったね。  嬉しかったのでお礼を言いながらお辞儀をしたら、イノウエくんもお辞儀をし返した。 大久保「どうして私の方が価値が高いと思いました?」 イノウエくんは間髪を入れずに答えた。 イノウエ(仮)「そもそも、自分がフライドチキンを食べない生活を送ってるんで」 大久保「フライドチキンを食べない」 イノウエ(仮)「——食べない、というより。むしろ嫌いな対象に入っているので。」 大久保「フライドチキンが、嫌い」 イノウエ(仮)「はい」 大久保「初めての意見が出て嬉しいです」  イノウエくんの言葉を聞きながら、スケッチブックに『フライドチキンが嫌い』と書く。 大久保「『フライドチキンが嫌い』って事は——『食べた事は一応ある』って事?」 イノウエ(仮)「ギリギリなんですよね。本当。ある、けど。記憶にない」  私の質問に、イノウエくんは少し左上を見ながら言葉を続けた。 イノウエ(仮)「唐揚げとかは、明確に食べた記憶があるんですけど。フライドチキンってなると……多分、ほんとに、ちっちゃい頃に食べた事があるかないかくらいの記憶しかないですね」 大久保「なるほどね。もしかして、お肉が嫌い?」 イノウエ(仮)「———そうですね」  やはり、間を置かずに答えられる。  という事は、フライドチキン『が』、というよりも———…… 大久保「じゃあフライドチキンが取り立てて嫌いっていうより、お肉が?」 イノウエ(仮)「そうですね。肉全般が嫌いで、そこにフライドチキンは入ってるから、嫌い」  イノウエくんは頷きながらそう言った。 大久保「嫌いの中に属してる存在だから、(大久保と)比較するとしたらフライドチキンが嫌いかなっていう?」 イノウエ(仮)「——で。しかも、マイナス的な理由だけじゃなく、なんか」 大久保「うん」  イノウエくんは一旦言そこで区切ってから、自分の頬を手のひらで撫でるような仕草をしながら言葉を続けた。 イノウエ(仮)「——『フライドチキンが嫌いだから』っていう理由は前提としてあるけど。大久保さんの作る作品の方が、面白さがあったりとか。そういう要素もあって。比較すると、フライドチキンよりも大久保さんの方が、自分的には価値がある、ってなる」 大久保「……ありがとうございます」  少し、びっくりしていた。  私はイノウエくんの事を、ほぼ全く同じ理由で尊敬していたけれど、イノウエくんの方から私の作品が面白いだとか、そういう認知を持っているとは思わなかったのだ。  私は少し嬉しくなってしまったので——インタビュアーとしては褒められない行為なのだけれど——ちょっと無理くり話を変えてしまった。 大久保「実はさ、今までのインタビューでね。フライドチキンをそんなに食べないって人が、他にもいて」 イノウエ(仮)「おお」  少し右上を向き、思い出しながら話す。  以前にも『フライドチキンを食べない』と答えたインタビュイーがいた——ピクセルアーティストの、かなしのくんである。  彼は、少なくともこの日本において一番有名と言えるあのフライドチキンチェーン店に一度も言った事がなく、コンビニでフライドチキンを買う事もほびない、と言っていた。  それでびっくりした私は、「フライドチキンじゃなくて、ハンバーグだったらどう?」と咄嗟に質問を変えてみたのだった。 大久保「ちょっと(フライドチキンと比べたら)強すぎるかもしれないんだけど、ハンバーグと比べたらどう? って聞いたら、ハンバーグが勝つかも……って言われたんだよね」 イノウエ(仮)「それは卒制で?」 大久保「そう。卒制の撮影で、今イノウエくんにしているみたいに、『フライドチキンと大久保帆夏のどっちの方が価値がある?』って聞いて——ハンバーグと比べたら、ギリハンバーグかもしれないって話が出たの」  私はそう言ってから、オチのない話を誤魔化すみたいに話題を変えた。 大久保「なんか、『好きだけど最重要オーパーツじゃないな』って食べ物ある?」 イノウエ(仮)「………………」  イノウエくんは腕を組んで熟考すると、しばらく経ってから答えた。 イノウエ(仮)「……クロワッサンとか?」 大久保「ふふ、ちょっと分かる。確かに食べようとするとちょっと元気出る感じあるのも分かる」  クロワッサン——確かに、自分にとって最重要ではないと思うけど、なくなったら嫌だ。いや、かなり嫌だ。 大久保「じゃあ、フライドチキンをクロワッサンに変えたら、何か変わる事はある?」 イノウエ(仮)「そっか。そう、でも食べ物ね、食べ物…………よりも。作品、とかの面白さ。見てられる感動だったら、そっちを取っちゃうから。食べ物とかと比較したら、ないかなもう。変わる事は」  イノウエくんはそう言い切って、ひとり頷いた。 大久保「なるほどね。じゃあ、大久保帆夏でなくても、人間対食べ物だったら人間が勝つかな?って感じ?」 イノウエ(仮)「そうかもね。……もしかしたら」 大久保「もしかしたら」 イノウエ(仮)「気付かされた感じがする」 大久保「気付かされた感じがする? ふふ」  感心したような声色が面白かったので、少し笑う。私としては、自分の中に四六時中渦巻いているネガティブな考えを人に押し付けているに他ならない図だとも思っているので、そうやって気付かされたと言ってもらえると、多少救われるものもある。 大久保「(前にインタビューした人とも)話したんだけど、比較した時に、食べ物って意外と『おいしい』以外の長所そんなないよねって話をしてて」 イノウエ(仮)「おお」 大久保「なんか、私は、多分この『おいしい』がめちゃめちゃデカい存在だと思ってるんだよね」  実はイノウエくんの一人前のインタビュイー——七瀬文くんとは、『おいしさ』って強すぎる、という話をしたのだった。今のイノウエくんの『食べ物と比較したら変わる事はない』とは、全く逆の意見だった。  七瀬くんの意見は、『フライドチキンはおいしい、だから価値がある——と思っているなら、それはフライドチキン一個体ではなく、この世にある『おいしい』全体と戦っているように聞こえる』というものだった。  そして、『おいしい』——つまり食は、人間を根源的に支えるものであり、さらに事実上代替負荷なものなので、どうしても劣等感を感じてしまうのでは、という事だった。  人間は何をするにも、基本的には食べなきゃやってられない。だから、それに当たる食べ物には、もう頭が上がらない。自分(人間)の方がもう動けない食べ物より大きなパフォーマンスができるとしても、そのパフォーマンスの源は食べ物なので、自分より価値が高く感じてしまうのでは——という風な意見にまとまった。 大久保「なんか、なんだろう。フライドチキンはさ。食べる人がさ、買いに行くじゃん。求めて行くじゃん。で、フライドチキンは『おいしさ』を与られるっていうのが、担保されてるから。それで私は、(自分より)価値があるのではないかって思うんだよね」 イノウエ(仮)「うん」 大久保「今さっきイノウエくんがさ、すごくちょうどいい事を言ってくれたんですけど。大久保はね、なんか。作品に当たるかもなって思ったの。この(フライドチキンにとってはおいしさに当たる)私から誰かに与えるものが」 イノウエ(仮)「あー、そうね」 大久保「対象が見る。それで、楽しいとか、そういう感情を与えるから、価値があるとしたら。私がそういう作品を作れない時ってどうしてもあるじゃない」 イノウエ(仮)「ああ」 大久保「もう今日具合悪い、とか。何も思いつかない、とか。ゲームやってた〜い、みたいな日って。ここ(与える感情)がなくなるからさ。この矢印が両方向じゃないと、この方程式が崩れる」 イノウエ(仮)「ああ、確かに」 大久保「から、(自分はフライドチキンより)価値ないかもって思ってるんだと思う。自分価値ないかも、みたいなループに入りやすい」  ここまでバーッと喋ってしまった。伝わっていなかったらどうしよう、と思いつつ、私はイノウエくんに聞いてみる事にした。 大久保「イノウエくんは、そういうのあったりする?」 イノウエ(仮)「自分がって事?」 大久保「なんか、こういう事考えたことある、とか。逆に、与えるものがなくなっても自分の価値は変わらない、とか」 イノウエ(仮)「『ここ』の対象が自分になったら、って事?」  イノウエくんは、私がさっきスケッチブックに描いた天秤の落書きを指しながら言った。  天秤の片側には『フライドチキン』。もう片側には、『大久保帆夏』と書いてあった。  イノウエくんはその、『大久保帆夏』の部分を指さしている。 大久保「そう、そうだね。二個目の質問がそれになる」 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年6月30日 13:54:10  フライドチキンと『大久保帆夏』が、フライドチキンと『イノウエ(仮)』になったら———? イノウエ(仮)「———そうなると、それだと話は変わってくる」  イノウエくんははっきりと言い切った。  少し驚いて、私はもう一度文章を整えて同じ質問をし直した。 大久保「イノウエくんは、自分とフライドチキン、どちらの方が価値が高いと思いますか?」 イノウエ(仮)「そうなるとフライドチキンだよね」 大久保「変わっちゃった……。それはまた、どうして」  呆然とする私に、イノウエくんは首を傾げつつ言った。 イノウエ(仮)「え、美味しさ、とか。そういうのをそもそも否定してないから。なんだろうな」 大久保「そっか。お肉がそんな好きじゃないだけで、おいしさは別に、なんだ」  イノウエくんは頷く。 イノウエ(仮)「だって現に。多分、色んなところが商品でさ、チキンを出してるわけじゃん」 大久保「うん」 イノウエ(仮)「——ってなると、やっぱり。フライドチキンの方が色んな人に幸せを届けてるっていうか……」 大久保「そう言っちゃうと、フライドチキン神みたいだね」 イノウエ(仮)「だって、クリスマスシーズンとか。やっぱりそうだよね」  苦笑いしながら言えば、イノウエくんも同じようなトーンで返した。そう、対象を自分に変えた瞬間——こうも絶対勝てないと思わされる、謎の偉大さ。 大久保「幸せの象徴みたいな感じがする」 イノウエ(仮)「そう! 比べて自分は……みたいに、なるじゃん」  まさに、私と同じ思考回路を辿っている。そう思いながら、ふと呟いた。 大久保「この差ってなんなんだろう」 イノウエ(仮)「自分、を。対象物にした場合?」 大久保「うん。私から見ても、やっぱり。イノウエくんとフライドチキンを比べたら、おんなじような事を言うんだよね。イノウエくんの作品、面白いし、楽しいし。そもそもフライドチキンは肉だし、って」 イノウエ(仮)「おお。変わってるとしたら、(大久保さんはフライドチキンが苦手じゃないから)『食べれる』けどってところだよね」 大久保「うん。食べれて美味しいし、私も好きだけど。でも、それはもう比べようもなく、イノウエくんが勝つでしょ——勝つ? 価値があるなしって、勝ち負けじゃないけど。ただ、対象物が自分に置き換わった瞬間、ゴン、ってなるじゃん」 イノウエ(仮)「大体の人が、そう、なる可能性高いよね」  確かに、前述した七瀬くんも、私とフライドチキンであれば私の方が価値が高いと言い切ったが、自分とフライドチキンになった途端、迷ってしまっていた。  であれば、この謎を解けたら、もしかしたら。 大久保「そう。だから、なんかこの、ゴンッ、ってなるやつ。我々がちょっとこの謎をクローズアップして、解明すれば。おんなじようにゴンッてなった人が、ちょっと道が迷いにくくなるというか。——なんか我々、今、森で彷徨ってるじゃない?」 イノウエ(仮)「うん」  突飛な例え話だろうに、即座に「うん」と言ってもらえるのは、本当に救われるものがある。  私はそれにありがたく思いながら、話を続けた。 大久保「なんでゴンッてなったんだろう——って思いながら、ちょっと見渡したら、同じようにゴンッてなってる人が大量にいるかもしれないじゃん。で、私がなんかこういう、記録とかに残して——『これだからゴンッになってるんじゃね? 説』みたいなのを、皆んなでちょっとずつ話していったら、ちょっとなんか、鬱蒼とした森が——あ、なんか、自分、死ぬまでいかなくていいかも、みたいな」 イノウエ(仮)「ああ、確かに……」 大久保「そう。なってくれたらいいな、っていうのが、あるんだよね」  それこそが、私がそもそも創作をしている理由そのものだった。  私がおかしいと思うもの。私が気になってしまうもの。私が知りたいと思う事。私が見たいと思うもの。  同じように見たい知りたいと思っている人はおそらく結構いて、私がこんな困った性格のまんま、それを形にしていけば——同じように道に迷っている人も、生きて良いって言えるんじゃないか、みたいな。  何を言ってるか分かんなくなってきちゃった。  ちょっとこんがらがってきた私に、イノウエくんはぽつりと呟いた。 イノウエ(仮)「……でも。答えはないよなあ。でもなあ」 大久保「答えは、ない」 イノウエ(仮)「答えなく探していくのが、たぶん大事だよね」 大久保「答えを探すんじゃなくて」 イノウエ(仮)「もがくのが、あれだよね。必要だよな、これ。難しいなー」  もがくのが、必要。  私たちがいたのは、もしかしたら、森でなく海だったのかもしれない。  答えはないのかもしれない。だとしたら、もがいてでも探そうとしてる答えは、一生見つからない。  それでも手足を絶えずばたつかせ、『もがいている』という事実自体が、生きる上で必要なのかもしれない。 大久保「ちょっと書いてみたら?」  私と同じく混乱し始めたイノウエくんに、アドバイスをする。イノウエくんも顔を上げた。 イノウエ(仮)「自分と置き換わった時?」 大久保「そう。でもいいし、今の、探す事自体が重要かもしれない、でも」 イノウエ(仮)「自分、とは」  イノウエくんはそう言いながら、スケッチブックに文字を書きはじめる。何気なく「字、綺麗だね」と言ったら、「俺、字、綺麗ではないよ」と言われてしまったので、「そうなの?」と返した。 イノウエ(仮)「自分と、大久保帆夏が変わった時に、か」 大久保「というか、他者?」 イノウエ(仮)「他者」 大久保「大久保帆夏でも、そうだし」  イノウエくんはそのまま何を書けばいいか迷っているようだったので、「絵を描いてもいいよ」と言ったら、イノウエくんは困ったように笑った。 イノウエ(仮)「フライドチキンの絵が描けないんだよな」 大久保「前にインタビューした人で、ただの目玉の絵を描いてる人もいたよ?」 イノウエ(仮)「…………どゆこと?」 大久保「(笑)思いついちゃったんだと思う」 イノウエ(仮)「思いついたの?」 大久保「そう、思いついたものを、ひたすら書いていく人」  これは、最初にインタビューした入江丸木くんの事だ。彼は尋常じゃない速度でスケッチブックを消費していったので、用意した分で足りるか少し焦ったのを覚えている。 イノウエ(仮)「それは……それは、いいな。なんか、伝えなきゃって思うと、文字にしちゃう」 大久保「ああ! なるほど」  いつも彼は文字や台詞のない抽象的なアニメーションを描いているので、それは私にとって少し意外で、聞けてよかったな、と思った。  こうしてちゃんと話してみないと、分かった気になって分かってない事が山ほどある。 イノウエ(仮)「…………えー」  イノウエくんがスケッチブックを凝視しながら掠れた声を上げる。  その時ちょうど、タイミング悪く予鈴が鳴ってしまった。彼は焦ったようにこちらを見た。 イノウエ(仮)「こんなに答え出ない人いないよね?」 大久保「いや、そんな事はないよ。……今までのインタビューの答えを話しちゃうとバイアスがかかっちゃうから話さないでおいたけど。多分、さ。一緒にさ。こういうのがあったね、って話してった方が、前に進める感じだよね」 イノウエ(仮)「そうだね」  イノウエくんが頷いたのを見てから、私は言葉を続けた。 大久保「じゃあ、あれだ。話すけど——一番最初にインタビューした人で、『答えません』で終わらせる人もいた」 イノウエ(仮)「あー! ふ、かっこいいな」 大久保「そう。自分と、大久保帆夏を交換したら、で。変わるんだけど。変わった事を、今回質問に答えてしまうと、その変わった事を——なんで変わったかとかどう変わったかとかを答えてしまうと——それは『自分とフライドチキンの比較』ではなく、『表明』になってしまうので、言いたくないです。『NOコメント』って人がいた。きっぱり」 イノウエ(仮)「おおー」 大久保「そもそも一問目の質問も、『なんでこんな質問をしたの』で通してた」 イノウエ(仮)「……大体誰が答えたか分かってきちゃうな。なるほどね?」  私は笑いながら、今までのインタビュイーの答えを思い出して話していった。 大久保「今までのやつ……七瀬くんとかは、そうだね。七瀬くんはどっちかっていうと、フライドチキンと自分、とか。フライドチキンと人間を比較した時に——その価値は、そもそも『食べ物』と比較してない? って」 イノウエ(仮)「あ、ああー……!」 大久保「フライドチキン、の存在ではなく、『美味しさ』と戦ってない? っていう。美味しさって言う概念と戦ってないか? って。それならもう勝てないじゃんねって。だって私たちが生きて作品作れてるのって、食べ物のおかげじゃん」 イノウエ(仮)「うんうんうん。確かに」 大久保「それなら、食べ物の方がカチタカじゃね? ってなるのは、自明だから。そこは、『論理の飛躍が起こってるのかも』って話をしたよ」 私はイノウエが持っていたスケッチブックをぱらぱらとめくって、今までのインタビュイーが書いてきてくれたページを、痕跡を、指し示しながら話していった。 大久保「これは——かなしのくんの、ハンバーグと大久保さんだったら、ハンバーグの方が勝つかも。のやつ」 イノウエ(仮)「ああ〜……なんか、素直っぽさというか。なんだろう、いいな」 大久保「ふふ。あと、そもそも『自己肯定感』について考えた事がない、ってかなしのくんは言ってた。自分の世界にそもそもそんな人がいないから、最近人が入ってくるようになったぐらいで。あとはもう、でっか〜な人類と、人類と同じくらいでっか〜な『風景』があるから、あんまり考えた事ないよって言ってた」 イノウエ(仮)「面白いな……。皆んな、大喜利が強いのかな」 大久保「ははは! そう、大喜利でもいいし、一緒に迷ってくれてもいい」 イノウエ(仮)「迷うよなあ」  イノウエくんの言い方が面白かったので、私も真似して「迷うよなあ」と呟いた。 イノウエ(仮)「やっぱ、みんなどっかにあるんだろうな。自分は価値が低い、みたいなのは」 大久保「うん」 イノウエ(仮)「それの大きい小さいはあるけど。やっぱ、みんなどっかに、このままでいいのか、っていうのはありながら、生活はしてるから」  イノウエくんははっきりとした口調で続けた。 イノウエ(仮)「そこを、フライドチキンっていうのは、見せないじゃん。欠点は。長所だけがあって」 大久保「たし、かに……!」  ——衝撃!  たしかに、フライドチキン……欠点ない! イノウエ(仮)「だから——」 大久保「——フライドチキンは、もう生きてないから。生産されたものだから。欠点、ないね! 美味しいだけ!」 イノウエ(仮)「美味しいだけ。長所オンリー」 大久保「そうだよね。だって、例えばさ。油っぽいとか、そもそもお肉が好きじゃないとかあっても、それはこの『個体の優劣』じゃないもんね。はーん……」 イノウエ(仮)「そう、なる、と。ある意味、自分だと嫌なところも見えてきちゃうから? こっち(フライドチキン)が勝つのかな」 大久保「かも。そっか、美味しいものってさ、美味しいって感情自体には欠点がないもん」 イノウエ(仮)「そうだね。はー……いやー……」 大久保「ちょっと感動してる、今。フライドチキン、欠点ない」 イノウエ(仮)「欠点ない」  イノウエくんも、驚いているようで瞬きをしていた。彼と一緒に感動を共有できたなら、少し嬉しいと思った。 大久保「イノウエくんからすると、欠点は、お肉である事?」 イノウエ(仮)「そうだね。味が……」 大久保「なるほどね」  味。味のどんなところが、と聞いても良かったが、食べ物の好悪なんて、理由をちゃんと説明しなければいけないものではないし、追求したみたいになって万が一嫌な気分にさせるのは嫌だった(イノウエくんはそんな事で気分を悪くするような人じゃないけれど、私より先に色んな人に既に聞かれてきただろうし)。  こういう事だけじゃなく、あらゆる事柄において、『そういうものなんだなあ』、と思っておくのが、友達としての最低限の礼節なような気がする——ので、なるべくそう動くようにしている。  そんなわけで、私はフライドチキンに話を戻した。 大久保「フライドチキンには、欠点ない。自分だと嫌なところが見えちゃうから、価値が低く感じる。なんかちょっと。感動かもしれない。……他人も欠点が見つからないから。価値が高いような気がするのかな」 イノウエ(仮)「繋がってくるかも」 大久保「うん。なんかでもめちゃめちゃさあ、なんか、近しい人とかだったら。『いや、フライドチキンに軍牌が上がるかも〜』とか雑に言えたりすんのかな」 イノウエ(仮)「あ〜……あるかもね」  イノウエくんはそう言いながら、ふいにスケッチブックに文字を書き始めた。  覗き込んでみたら、こう、書いてあった。  ———『大久保欠点なし』 大久保「お!? 大久保欠点なし!?」  びっくりして、大声で言ってしまった。イノウエくんは何て事ないように座ったままだったので、私は恥ずかしくなって、一旦椅子に座り直した。 大久保「あ、……ありがとう。じゃあ、私も。カタカナ? イノウエって」 イノウエ(仮)「カタカナ」  イノウエくんに確認をとって、私も油性マーカーを手に取る。  そうして、スケッチブックにこう書いた。 大久保「イノウエ欠点なし」  そう呟いてから気づく。 大久保「なんか、すごい難しい大喜利をしてた気がしたけど。巡り巡って考えすぎてたけど。すごいシンプルにまとまった気がする。これもいいですね」 イノウエ(仮)「そうなの?」  イノウエくんが軽く笑いながら聞いてきたので、頷く。 大久保「他人の視界から見た自分欠点ないって思ったら。なんか、ハッピーかもしれない」 イノウエ(仮)「そうだね。そこは、言われて気づいた。俺も」 大久保「やったぁ。その時点で、この行動に意味が、ある」 イノウエ(仮)「よ、良かった……」  イノウエくんは肩の荷が下りたように呟いた。それから、「作品がより良いものになれば、いっすね」と言ってくれた。 大久保「うん。そしたら、イノウエくん視点から見て、さらに私が、フライドチキンより価値が高くなっていく」 イノウエ(仮)「そうだね」 大久保「超ハッピーじゃん」  イノウエくんは「そうだ」とだけ返した。ここら辺でインタビューも終了でいいだろう。私は今一度イノウエくんの方に向き直って、真っ直ぐ頭を下げた。 大久保「ありがとうございました」 イノウエ(仮)「ありがとうございます。結論でなかったぁ」  イノウエくんにとっては、結論が出なかったらしい。私はそうは思わなかったけれど、敢えて言葉の続きを聞くことにした。 イノウエ(仮)「——繋げてくれたから、最後なんか。そっかって、他人から見たら欠点ないんだって」 大久保「なんか今めっちゃ、前向きな気分になってる。他人から見た俺は無敵だぜ! って」 イノウエ(仮)「よかったっす」 大久保「ありがとうございます! もし卒制で手伝える事あったら言ってください」 イノウエ(仮)「あ、オッケーです。声かけます」

Log⑥ 2025. 7/22 15:57:24 インタビュイー:木下望有 ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年7月22日 15:57:24 大久保「——まず、お名前を教えてください」 木下「木下望有(きのしたみゆう)です」 大久保「望有さん、よろしくお願いします」  今日のインタビューは、学科棟内の撮影スタジオで行われた。  スタジオの中央にある、テーブルクロスがかけられた机上には——スケッチブック、ノート、赤と黒の油性マーカー、ペン。そして、紙皿が二枚並んでいる。紙皿の上には、毛糸でできたあみぐるみのフライドチキン——抽象フライドチキンと、先ほどコンビニで購入した本物のフライドチキンが置かれている。机の正面には木製の丸椅子が置かれており、本日のインタビュイーである望有さんが、手持ち無沙汰に座っていた。  私はカメラを調節しながら——望有さんへの質問を続けた。 大久保「——普段はどんな作品を制作していますか?」 木下「んー。普段は、っていうか。今は、卒制で、美しさとかに関しての、映像と、音声とか。色々あるインスタレーションみたいなのを作ろうと思ってます」 大久保「いいっすね。ありがとうございます」 木下「はい。え〜……」  そう言いながら、望有さんは『自由に書いていい』と言って渡したスケッチブックを、開けたり閉じたりしていた。このスケッチブックには、今までのインタビュイーを書いてきた雑記も残っている。望有さんはそれを読みながら、「フライドチキンの(質問の)事、まだよく分からないよ」と溢した。  事前に話しすぎてバイアスがかかるのを避けるため——これからする質問について、私はまだ、概要くらいしか伝えていない。本人が気になっているならと、(私の)緊張をほぐすのもほどほどにして、早速質問に進む事にした。 大久保「じゃあ早速、フライドチキンの話をしていきますか」 木下「うい」 大久保「じゃあ。今からふたつ、質問をします。まず、ひとつ目の質問です」  私は、少し間を置いてから、ゆっくりと言った。 大久保「貴方は、私——大久保帆夏と、フライドチキン。どちらの方が価値が高いと思いますか?」 木下「いやー……私は悩む間もなく、大久保帆夏の方が価値あると思いますよ」  実際、即答に近かった。望有さんがあまりに困ったように笑うので、私も笑いながら「ありがとうございます」と返せば、望有さんも「はは」と笑った。 大久保「何でそう思ったの?」 木下「え、人間の方がチキンより上だと思うので」 大久保「人間より、チキンの方が?」 木下「——上じゃない?」 大久保「初めての意見かも。言葉の使い方として」  以前行った、七瀬文くんへのインタビューでも、『人間の方が多くのパフォーマンスができる存在なので、チキンより人間の方が価値がある。ただ、そのパフォーマンスをするためには、人間は食べ物を食べる必要があるため——食べ物、つまりはフライドチキンの方に価値を感じてしまうのでは?』という、先ほど望有さんが言った言葉に近い、興味深い意見があった。  ただ、望有さんは「フライドチキンより人間の方が『上』」という表現をした。七瀬くんの発言よりも、もっとシンプルかつストレートな、力強い表現な気がする。  そこについて、私はもっと深掘りできれば良いなと考えた。 木下「——最近なんかすごい、進化とか。地球の——Earthの。Earthがあって、進化があるじゃん」  望有さんはそう言って、スケッチブックに黒い油性マーカーで円を書き、その中央に『Earth』、その傍らに『進化』と書いた。  この時点で、もう七瀬くんや他のインタビュイーとの会話で出てこなかった言葉が出てきている。私はわくわくした。 木下「——『進化』があるけど。なんか、Humanが一番てっぺんって感じになってるじゃん」 大久保「あー。なんか、食物連鎖的な意味合いでもね?」 木下「そー。なんか最近思うのがさ、植物とか、虫とか同士だとさ。なんか虫に食べられないように植物って毒々しい見た目になったり、匂いを放つじゃん」 大久保「そうね」 木下「そー! そういう戦いがあるけど。人に食べられる『鳥』とかは、そういう事しないから。もうなんか、ギブ? ギブとテイクの関係ができてるから。この地球上では価値とかは、変わらないと思ってるんですよ」  望有さんはそう言って、人の絵の下に、鳥の絵をスケッチブックに書いた。 大久保「なるほどね?」 木下「食べ物でしかなくなーい? という風、です」  望有さんの言葉に頷く。 大久保「つまり、虫と植物みたいに——拮抗できるような間柄だったら。鳥が、人から逃れるための何かしらの進化を遂げてるはずなんだけど。それをする間もなく人が食べてるから……」 木下「そう! ただ食べられるのみ。みたいな」 大久保「……って事は完全に、上と下……」 木下「——っていう! 外側だけの価値観の考えをするなら、それで良いんと思うんだけど」 大久保「うんうん」 木下「何だろうね。じゃあ食べられるものにも価値があるじゃん、みたいな事を人間側が考え出したらキリないよね、って思う」  グサッ! 大久保「おーん。思慮」 木下「ふふ。こっちの人間側が、うじ……うじ……して。でもなんかチキンは美味しいじゃん……みたいな。なんかそういう、そうする意味ないのに、人が、勝手に価値を下げて。チキンの方が美味しいから価値あるじゃん、みたいな事を考えだしても。あんまり……まあ、キリないし」 大久保「——生産的じゃない?」 木下「そうねぇ……。うん」  今まさにその『うじ……うじ……』してる状態の人間からすると、正直、にょーんとなってしまった。  望有さんの言い方をすれば、私は今、『勝手に自分の価値を下げて』、『勝手に落ち込んでいる』状態である。  そう考えると、確かにこれは、非常に非生産的な感じもする。覚え間違いかもしれないけど、最初のインタビュイーだった入江くんにも、似たような事を言われた気がした。 大久保「なるほどねぇ。そっか。その、うじ……うじ……っていうのが、ちょっと面白かったんだけど」 木下「はは。うじ……うじ……」 大久保「あのー、この、上と下ってさ。強者弱者みたいな使い方で合ってる? また別?」 木下「うん。強者弱者。絶対的に弱肉強食の考え方」 大久保「うん。我々が、この、上の立場からさ。考えてるからこの、『うじ……』が成立する……感がある」 木下「うじ……!」  相槌なの? それ。 大久保「———えっと。なんかその、鳥とかだったらさ。もう生きるのに必死、というかさ。まあ、生きる意味は鳥は考えないかもしんないけど! 穀物? 穀物かな。穀物とか食べて、生命をサイクルに回すって事に、費やしてるじゃん」 木下「そうそう。生命サイクル」 大久保「我々が、人類が、ちょっと強者存在すぎるから! その。フライドチキンがどう、とか」 木下「考える土台がまず、出来るっていうのが。アドバンテージ?」  考える事が出来る時点で、土台が違う。その時点で、私たちは比較にならないアドバンテージを持っている。  それってつまり、私の考えている事って——— 大久保「——贅沢な悩み……」 木下「贅沢な悩みか」 大久保「贅沢な悩みを私は抱えているかもしれない」 木下「はははははっ」 大久保「ふふ」 木下「ふ、そうかも」  自分の愚かさにしみじみしていても、友達に笑ってもらえれば、それは多少の『価値』になる気がする。 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年7月22日 16:05:23 大久保「もしかしたら、今の望有さんの意見からして、多分自明かもしれないんだけど。答えが」  私は赤い油性マーカーを手に取ると、新しいページに天秤の絵を書いていった。片方の天秤の上にはチキンを描き、もう片方にもミニサイズの私——『大久保帆夏』を描く。 大久保「今、比べたのは。フライドチキンと大久保だったと思うんですよ。大久保の方が、価値は重い……っていう話だったんですけど」 木下「うん」 大久保「じゃあここ、大久保帆夏が——望有さんだったら。フライドチキンと、比較して。何か変わるものはありますか?」  私はそう言いながら、さっき描いた天秤の絵の下に、また新しく天秤の絵を書いた。左側の天秤に乗っているのは、さっきと変わらずフライドチキン。  ただし右側に乗っているのは、さっきと違い、『望有さん』だ。 大久保「——貴方と、フライドチキン。どちらの方が価値があると思いますか?」 木下「う〜ん…………。なんかその、今までの流れで行ったら、私。ではあるんですけど」 大久保「うんうん」 木下「価値、ね〜……」  望有さんは、さっきのはっきりした口調とは打って変わって、目を閉じたまま上体をゆらゆら揺らし、考え込むような仕草をした。 木下「……チキン。チキン、大好きなんだよぉ」 大久保「さっき(撮影前も)美味しそうって言ってたね」  私は机上に置かれたコンビニチキンを横目で見ながら呟いた。望有さんは、うー、と言いながら手をぱたぱたさせている。  木下「そー。(でも)チキンを食べる時に、自分と比較するなんて事は、考えた事ないんだよー」 大久保「ふふふ」 木下「なんにも、ほんとに。考える秒もなく、口に入れる存在でしかない。……えー? あるのかな。もし、人間とチキンの価値がひっくり返る、何かが」 大久保「鳥が……喋るようになるとか?」 木下「ふふっ。鳥が喋るとかー。あー。あー、でも自信は! ないかも!」 大久保「自信?」  望有さんが突然叫んだので、私は驚いて瞬きをした。望有さんは唇を引き結びながら、スケッチブックに書かれた『木下望有』の文字を油性マーカーでとんとんと叩いた。 木下「己の中でこのふたつを比べた時は、こっち(木下望有)が勝って『ほしい』よ」 大久保「勝って『ほしい』?」 木下「うん。そうでないと、その、私自身。人としての、尊厳的な感じで、『勝ち』ではありたい」  はっきりした、というか、変な表現だけれど——確固たる口調だった。とても大事な事を言ってくれている気がして、私は黙って言葉の続きを待った。 木下「でも、なんか。多分。加工されてない、鳥 対 自分だったら。私が勝つんだけど。なんかこう、チキン 対 自分だとしたら……自分の中ではこうだ(自分の方が価値がある)けど、もしかしたら他人の、どっかの世界の、人にしたら。こっち(フライドチキン)の方が勝つかもしれないよね」 大久保「そうなの。私が悩んでるのも……」  望有さんは手のひらを自分の頬につけて、考え込むような仕草をした。私も真似して、自分の頬に手をつける。正しく、考え込んでいた。  少し時間をかけて、望有さんが呟いた。 木下「——なんか。食べ物の方が重要な人とか。私の事を、普通、私を何も知らない人は私に全く興味ないし。だったら、こっち(フライドチキン)の方が、知名度? 知名度とか、単純な美味しいという幸せを享受できるのは、フライドチキン——鳥の方だから。加工されたチキンになった時に、フライドチキンの方が強いかもね。どっかの場所のどっかの誰かにとっては」  淡々とした、だけど物悲しい響きだった。  私は少し考えて、一問目の答えを思い出しながら口を開いた。 大久保「さっき。その、一個目の質問の時には。人と鳥比べたら、人でしょって。望有さん言ってたけど」 木下「うん」 大久保「今までの人たちと結構違うのって、鶏(原材料)と人を比べてるんだよね」 木下「ああー、そうね!」 大久保「鶏がフライドチキンになったら——……あ、なんかあったよね。『ひよこを試験管ですり潰す。失われたものは何か?』みたいな」 木下「えぇ……? あったか?」  今言ったのは、ポール・ワイスの思考実験だ。繋がっているように見えて、また全然関係ない話をしてしまったかもしれない。  話を戻して——— 大久保「この、加工をした瞬間。分かる? なんか。鶏と私だったらって言われたら、いや、私イケる! っていう気持ちがあるんだけど。フライドチキンっていう、加工されてさ、出されてさ、求められてて、皆んなをHappyにするもの。っていう——」 木下「うんうんうんうん」 大久保「——ものになった瞬間。ムムッてなっちゃう」 木下「んん〜……」 大久保「ちなみに、ここ(望有さん)が、私だったら。望有さんにとっては私が勝つらしいんだけど。ここが望有さんになると、ちょと、フライドチキンに軍杯上がるかもって、差は、どっからきて……」 木下「——いや!! え、認めたくねぇ〜!!!」 大久保「ふふっ!? ふ、は、ははははっ!」  望有さんが突然吠えたので、びっくりして笑ってしまった。望有さんはさっきの考え込むような調子から変貌して、怒った犬のように吠えていた。 木下「何で私がチキンに負けないといけないの? ……って、なって、ふふ、なってるんですよ」 大久保「うん。ふふ、え、ふふふ、格好良すぎる」  嫌味でなく、他意もなく、本当に心から格好良いと思った。  正しく伝わったのか、望有さんも笑ってくれた。 木下「はは、うん。だから、どっかの誰か——は。私の事知らないほとんどの人は、フライドチキンかもなんだけど」 大久保「うん」 木下「まあ私は、そうだとしても。自分はそうじゃないと思っていたいよね」 大久保「うん。自分のために?」 木下「うん。フライドチキン………………」  望有さんは笑みを浮かべたまま、長い時間をかけて言葉を続けた。 木下「……………………答えないな、これ。難しいね」 大久保「うん。皆んな違う答えを言うし、分からないって言う人もいるんだけど」 木下「分かんないよぉ〜……」 大久保「その『分からない』にいく変遷は全く違う……かな」 木下「ああ〜」 大久保「前回も、『大久保さんだったら大久保さんに価値があるけど、自分だったらそれはチキンに軍杯が上がる。なんかフライドチキンってクリスマスシーズンとか、幸せの象徴みたいな感じがあって。こんなに開発されてるし売られてるわけだから、求められてるなぁって、思う』っていう(意見があった)」 木下「確かに。はんはんはん。」  そう言ったのは、五人目のインタビュイーである『イノウエ(仮)』くんだった。  彼との会話を思い出しながら、話を続ける。 大久保「——で、何でそう思うのかって話し合ったら、フライドチキンって、欠点がなくない? みたいな。食べ物って欠点がなくない?」 木下「ないねぇ」 大久保「……みたいな話をしたんだよね」 木下「うん」 大久保「……っていうのを思い出しました」 木下「……大久保さん的にはさ」 大久保「大久保さん的には?」  望有さんは、少し言いにくそうな表情をして、ちょっと間を空けてから答えた。 木下「大久保さんはさ、大久保さんはこう(フライドチキンの方が自分より価値が高いと)思ってんの?」  答え辛い内容だとは思わなかったが、言葉にするのは、一瞬迷って、少しつまづきながらで私は答えた。 大久保「そう、です。自分と、フライドチキン比べると。まあ、自分ってちょっと……どうなの? って」 木下「自分どうなのになる?」 大久保「そう。なんかあの〜……さっき言ってた望有さんの、鶏自体の価値みたいなものにはあんまり目を向けてなくて」 木下「はいはいはい」  鶏自体の価値にあんまり目を向けていなかった自分にも、恥ずかしい、愚かだとも思いながら——今はインタビュアーとして、そんな自己嫌悪に陥っている場合じゃないと、私は話を続ける事にした。 大久保「鶏自体ってよりは、フライドチキン。——が、やっぱり売られてて、皆んな買いに行ってて、それを購入して、食べて、Happyになるっていう。求めて。そのリターンがちゃんと確約されてて担保さててて。そのパフォーマンスが絶対にある、価値ある、みたいな」 木下「へぇ〜」 大久保「私はさ、その、作品が作れてない時とかはさ。それが出来ないから」 木下「リターンがあるのか」 大久保「そうそう。リターンがある。美味しいっていうリターンが」  そう言うと、望有さんは赤い油性ペンを手に取って、さっき私が描いた天秤の絵の中のフライドチキンに、吹き出しを書き加えた。続けてそこに、「うまい リターンがあるヨ」と喋らせた。  ただでさえ美味しいお肉に、こうも声高にメリットを喋られると、余計に自信がなくなってしまう。 大久保「だから——私がそのリターンを何にも与えられない時に……『私、今フライドチキン以下かも……』ってなっちゃう。ふふ」  誤魔化して笑った。  しかし望有さんは笑わずに、机上に置かれたフライドチキンをじいっと見て、顔を近づけた。それから、私の方を交互に見た。 木下「なんかふと思ったんだけどさぁ。ここにチキン置いてあんじゃん。で、めっちゃ良い香りすんじゃん。で、はんちゃんから何の香りもしないからさぁ」 大久保「はははははははは! 香りのリターン! もう既にリターンがあるかないか」 木下「そう。既になんかもう、そういう舞台に立たされてるのうまいよね」 大久保「面白すぎる。今日ね、偶然香水つけるの忘れたの」 木下「普段香水つけてんの?」 大久保「そう。今日マジで偶然忘れてたから」 木下「なんかね。(フライドチキンは)ポ〜ッて良い匂いする〜」 大久保「私のリターン『喋れる』くらいしかない」 木下「あー。喋れないじゃんこいつ(フライドチキン)はでも」 大久保「喋れない!」 木下「喋れるよ……っと」  望有さんはそう言うと、「うまい リターンがあるヨ」と喋っているフライドチキンの絵の隣の私に、「しゃべれるヨ」と書き添えた。 大久保「そうだよね。作品を作る以外にもリターンってあるよね。冷静に考えたら」 木下「……美大で、色んな人が色んなことやってる中に、自分がいて。なんか作んなきゃって気持ちになってきて——……気持ち分かるけど〜。うん。喋れるし、一緒になんか共有できるし、っていうその。人である事には、食べ物では出来ないじゃないでしょうかと、思いますけどね」  望有さんの言葉にいくらか励まされたので、私は笑顔を作ってお礼を言った。 大久保「……ありがとうございます。人である事自体が、価値かも。なんか個人的には、さっきの、『なんで私がチキン以下なんだよムカつく』みたいなのがめちゃめちゃ好きでした」 木下「ふふ、なんか尊敬する食べ物としては、チキン。そういう意味では尊敬するかも!」 大久保「バイタリティがあって」 木下「うん」 大久保「パフォーマンスが出来る」 木下「うん」 大久保「社会の鑑だね」 木下「うん! 私この前チキンを活用したよ」 大久保「……どこに?」 木下「仲直りの時」 大久保「仲直りの時!?」  どういう状況? と聞く間を置かずに、望有さんはその状況を話し始めてくれた。 木下「なんか上手くいかないなぁ、みたいな友達……っていうか、地元の子なんだけど。その子と、チキンを食べたら。ちょっと……良くなったかも。仲が」 大久保「めちゃめちゃ良いじゃん」  望有さんはフライドチキンを見つめながら、「チキン……」と呟いた。  ただ、それは本当にチキンのバイタリティかな? と、思うところはあった。  だって——— 大久保「……それは……チキンのバイタリティというより……お前の優しさのバイタリティかも……」 木下「はは! そんな事はない(笑) チキンがたまたまあって」 大久保「その仲直りをしたのは人同士だもんね」 木下「うん……」  頷く望有さんに、あみぐるみで出来たフライドチキン——抽象フライドチキンを手渡す。 大久保「でもそれを動かす力が食べ物にはある」 木下「ある」 大久保「ある?」 木下「あるあるあるある。上手く利用していこう……と、思ってる」 大久保「上手く利用していくか」 木下「食べ物を」 大久保「食べ物の価値に振り回されすぎずに。ふふ」 木下「分からん! 私もこれから考えるようになるかな」 大久保「フライドチキン見たらこれから……ははははっ。じゃ、ありがとうございました!」 木下「ありがとうございました!」

Log⑦ 2025. 7/22 16:43:46 インタビュイー:汐浦凪乃 ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年7月22日 16:43:46  今日のインタビューは、学科棟内の撮影スタジオで行われた。  スタジオの中央にある、テーブルクロスがかけられた机上には——スケッチブック、ノート、赤と黒の油性マーカー、ペン。そして、紙皿が二枚並んでいる。紙皿の上には、毛糸でできたあみぐるみのフライドチキン——抽象フライドチキンと、先ほどコンビニで購入した本物のフライドチキンが置かれている。  その机の正面にある木製の丸椅子に、今日のインタビュイーに座ってもらっていた。 大久保「——はい。じゃあ、よろしくお願いします」 汐浦「お願いします」 大久保「まず、貴方のお名前を教えてください」 汐浦「えっと。私は、汐浦凪乃(しおうらなぎの)といいます」 大久保「はい。凪乃さん、よろしくお願いします」 汐浦「よろしくお願いします」  彼女は汐浦凪乃。同じラボに所属する友達で、普段からよく話す方だ。 大久保「普段はどんな作品を制作されてますか?」  凪乃さんは、毛糸で作られて抽象フライドチキンを指先でちょっと揉んでから答えた。 汐浦「私は普段、アニメーションを主に作ってます」 大久保「アニメーション」 汐浦「はい」 大久保「どんなアニメーション?」 汐浦「手描きのアニメーションで、まあ。どっちかっていうと、普通にキャラクターが登場したりするような、手描きの2Dアニメーションですね。iPadとかで制作しています」 大久保「ありがとうございます」  私はカメラの位置をちょっと直して、少し間を空けてから話を切り出した。 大久保「凪乃さんに、ふたつ質問があります。まず、ひとつめです」  凪乃さんが頷いたのを見てから、私は言葉を続けた。 大久保「私——大久保帆夏と、フライドチキン。どちらの方が、価値があると思いますか?」  凪乃さんは、机上に置かれた抽象フライドチキンをじっと見つめながら、ゆっくりと話し始めた。 汐浦「——私は。大久保さんの方が価値があると思います。なぜなら、それはまず、友達だから」 大久保「友達だから?」  ——友達だから、価値がある。  私が聞き返すと、凪乃さんは抽象フライドチキンで遊ぶ手を止めてこちらを見た。 汐浦「まず、個人を。認識しているからっていうのは、結構、でかいんじゃないかなと思います」 大久保「うんうん」 汐浦「フライドチキンの方が価値があるっていう場合は、もしかしたら……全く知らない人だったら、その可能性は全然有り得る……んですけど」 大久保「自分にとって(知らない人)?」 汐浦「はい。自分の、知っている人とか。まず、その人と対面して、喋った事があるって事は、それは、自分にとっての価値なのかなっていう風に思います」  私はそれを聞きながら、机上に置かれたスケッチブックに、赤い油性マーカーで、『友達だから』と書き込んだ。すると凪乃さんも、同じページの右端に、黒い油性ペンで何かを書き始めた。  凪乃さんは、『個人』と書いて丸く囲うと、そこから線を引いて『認識すること』と書いた。さらに『認識すること』から矢印を引いて、『個人的な価値』とも書いた。 汐浦「私にとっての価値ですね。これは本当に」 大久保「個人的な、価値」 汐浦「まあその。他の人に揺るがされる事はない、自分にとっても価値ってところだと。まあ、そうなのかなあって。思います」 大久保「ありがとうございます」  私は凪乃さんの意見を咀嚼しながら、今までのインタビュイーの答えを思い返していた。 大久保「なんか、初めて出た意見かも。皆んな完全に理由が違う。……友達だから。そしてそれは、一般的にどうという話じゃなくて、自分が認識している、個人的な——」 大久保・汐浦「「——価値」」 汐浦「……はい」 大久保「って答えてくれてる」 汐浦「はい。そういう事です」  認識に間違いがなかった事に安心して、少しほっと胸を撫で下ろす。今までのインタビュイーの中でも抜きん出てシンプルな意見だ。 大久保「めちゃめちゃ、分かりやすい。じゃあ、この、今回大久保とフライドチキンで比べてもらったんですけど。ここの大久保が——凪乃さんになったらどうですか?」 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年6月30日 16:47:40 大久保「貴方は、貴方と、フライドチキン。どちらの方が価値があると思いますか?」  凪乃さんは全く時間をかけないで答えた。 汐浦「私は、普通に自分———ふふ。自分にとってですよ? 自分にとっては、自分が一番、その、フライドチキンよりは価値があると思っていて。それは、なんかもう世の中というより……」 大久保「うんうん」 汐浦「——私は、私がいないと存在する事ができないというか」  凪乃さんは、少し早口になりながらも、丁寧に答えてくれた。 汐浦「(私がいなければ、)私が(何か)思う事も出来ないし。——フライドチキンを好きだと。好きな『自分』……っていうのがまず先に来るので。なんかその『自分』が、本当に、今言ったように、個人的な、価値っていうの。自分が見える部分での価値——って今、考えていて」 大久保「うん」 汐浦「次元的な? ——世界から見たっていうよりは、私にとって、っていう意味だと。やっぱり自分が大事なのかなぁ、とは。自分が大事っていうか、自分の、価値? 自分が常に頭に浮かべるものとして、まあ、自分が大事かなぁとは思いますね。フライドチキンの事を四六時中考えているわけではないから。……っていう、個人的な理由ですね」 大久保「なるほどね……」  ——『自分』。『個人的な理由』。『個人的な価値』。  先ほどからの凪乃さんとの会話で頻発している言葉だ。  それを聞きながら、ふと思った事があった。 大久保「——なんか、私は多分、その世界にとっての価値と、自分にとっての価値を、混同してるか……あるいは。あの、何だろう。自分が個人的な価値、と、世界的な価値、を。一般的な価値を。多分ごちゃごちゃにしてる、かもしれない」  私の言葉に、凪乃さんは「うぅん……」と、相槌とも悩んでいる時の声ともつかない、絶妙な声を上げた。  私は、『自分』とフライドチキンを比較したら、フライドチキンの方が価値が高いと思う。  そして、友人他人に関わらず、『他者』とフライドチキンを比較したら、フライドチキンより『他者』の方が価値が高いと考える。  しかし、私が自分よりフライドチキンの方が価値があると考えているのは、フライドチキンの方が『世界にとって』有用だ、今も世界のどこかで誰かを笑顔にしている、と私が考えている——あるいは、そうした妄想を信じているからだ。  それは今、凪乃さんが言った『個人的な価値』とは真逆だ。世界視点の価値であって、私視点の価値じゃない。  私は、自分自身で、自分にとっての価値を決めなくちゃいけないところを、世界に委ねて放棄して。それで世界規模で見たら自分に価値なんてな〜い、なんて。勝手に落ち込んでいるだけなのでは? 汐浦「……ほんとに、と、まあ。そこは人によるというか」  凪乃さんのぽつりとした呟きに、うん、と返す。 汐浦「なんか、うん。なんて言うんでしょうね。別に私の——自分の、内と外の境界っていうのは別に。あんまりはっきり出来てる方ではないと思う。よく自他境界が曖昧だねとか、曖昧だと危険だよとか、(世間では)言うんですけど。ま、実際に分けるのって正直難しいし!」  凪乃さんは多少投げやりに、しかしはっきりとした口調でそう言った。 汐浦「なんか、お祭りとかがあるっていうのは、わざと自他境界を曖昧にして、皆んなと一体感を得るみたいなのってあるじゃないですか」 大久保「あー、確かに。まあ、バンドのライブとか、アーティストのライブとかも、観客は全員、『ファン』っていう個性に統一されるもんね」 汐浦「そう。それで、幸せを感じる時もあるから。やっぱりその、皆んなと同じ意見や、同じ価値を共有したりするのは、とても……なんか、幸せな気持ちになれるっていうのは、あるよね——……と、思うんですけど!」 大久保「うん」 汐浦「でも、なんか、私は、他の世界が、私に価値がないって思っても。価値あると、思いたいなって!」 大久保「ふふ」 汐浦「自分にとって、自分がいないと自分が思う事も出来ないから! 自分にとってってところ、ってまあ、大事かなって思いたい」 大久保「自分にとって、自分のために、自分に価値を、つける……」 汐浦「はい」 大久保「納、得、感!」  凪乃さんも、口は閉じたままでうんうんと頷いた。 大久保「そうなんだよね。なんか、自分の価値を、自分で自分の価値をつけなくちゃいけないところに、なんか世界の価値的なのを、ちょっと、置きがちなせいで。……そうなんだよねぇ〜……」 大久保「ちょっと、他の人との話でも出たんだけど。私が、フライドチキンが価値あり! だと思ってる理由——」 汐浦「うん!」 大久保「——正確に言えば、『私より』価値があると思ってる理由が」  私は最初のインタビュイー——入江くんとの対話を思い出した。そうしてあの時のように、スケッチブックに『フライドチキン』『対象』と書き、それぞれを双方向の矢印で繋げた。 大久保「『対象』は、『フライドチキン』を、『欲しい』って思って、『買う』。お金も払ってる。Payしてる。そして、フライドチキンは、『おいしい』ってリターンをちゃんと『対象』に提供できる。かつ——他のなんか、おにぎりとか、ハンバーガーもたまにそうだけど……『お腹すいた! とりあえずこれでいいや!』……みたいなのじゃなくて。コンビニのフライドチキンだったらさ、『なんか今日ちょっとムシャクシャしたわ。なんか食べて帰ろう!』の後の、『うま〜い!』っていう、『美味しい』、『幸せ』を、提供できてる——し、クリスマスなんか露骨だけど、『皆んなでフライドチキンを食べてHappy!』みたいなのを提供できる、その——フライドチキンって求められてる!」  思い出しながら話したせいで、話したい事が渋滞してしまった。息切れしながら、伝わっただろうか——と不安になったが、凪乃さんはしっかりと頷いてくれた。 汐浦「——そうだね。需要がある」 大久保「そう。フライドチキンという需要があり、それを満たせる。かつ価格がそこまででもない存在っていう……すごい、魅力があるな、と思ってて。……よって価値あり! ……となったっていうか」 汐浦「なるほどね」 大久保「そう、この方程式で価値ありで。逆に——逆にと言うほどでもないが。私、大久保帆夏だと、私が『作品』とか、それに伴う『楽しさ』とか『面白さ』っていうものを提供して、対象がそれを『見る』とか『受け取る』とか。場合によっては、それが大きな意味では幸せになってくれるかもしれない。ただこれ、私が作品を作る事をさ、なんか、どうしてもできない日ってあるじゃない」 汐浦「あるね」  やけにはっきりとした声色で凪乃さんは答えてくれた。それに頷く。 大久保「『あ〜、もう今日は無理』、ってなっちゃう日とか。具合が悪いとか。『疲れちゃった、ゲームやりたい』みたいな日って。ここ(大久保帆夏が与えるもの)がガンッて途絶えるんだよね」 汐浦「そうだねぇ」 大久保「ってなると。このフライドチキン方程式、に比べ、私の方程式は成り立っていないので、価値、なぁし……。フライドチキンの方が圧倒的に与えている物が多ーい。……ってなっちゃってるんだけど。……なってきちゃったんだけど! この『対象』って、今凪乃さんとの対話で気付けたんだけど、『世界』だよなって」 汐浦「うんうん!」 大久保「これ(対象)が自分ではないし、もし自分だったら、それに何を与えてるかとか、あんまり考えないような気がするんだよね」  凪乃さんは少し間を置いて、腕を組んでから答えた。 汐浦「自分、は、自分でしかないし。逆に、一番自分を大事に思えるのは——その、好きか嫌いかは置いておいて! 自分を生かす者は、自分だから。なんか、そこ……自分が消えてしまったら、生きられないから。そういう、なんかもう『必需品』みたいな。エッセンシャル……」 大久保「エッセンシャル——」 汐浦「エッセンシャル——物(ぶつ)、みたいな、ふふ」 大久保「ふふふ」 汐浦「——ってところで、まあ。価値は、自分にとっては高い、かな」 大久保「なるほどね」  ——好きか嫌いかは置いといて、エッセンシャル。  価値は、好悪だけを指さない。なければもう始まらないなら、それこそきっと、価値。  なくても他の人は困らないかもしれなくても、自分がなければ、自分は始まらない。それこそ自分にとっての、価値。 汐浦「そう。フライドチキンを食べる選択をするのも自分だし。まあでもそれは、常にフライドチキンを食べるという選択をするわけじゃないから。求める、自分。求める自分——需要を感じる自分、みたいな」 大久保「世間にとって需要があるから価値がある、じゃなくて。自分が需要を感じてるか否か、って尺度」 汐浦「そうそう」 大久保「——……ありです! ……ありですっていうか。今、感銘を受けてる」 汐浦「なんか、思う時もあるけどさ。就活とかで。はは。なんか需要ないんだな〜とか。思うんだけど。そうは言ったって自分はもう、いる。いるからね」 大久保「その自分を存在させてるのは、自分」 汐浦「そう……ありゃ、書けない」  凪乃さんがスケッチブックに何かを書いているみたいだったので、カメラを持ったままおもむろに近づいてみる。すると—— 汐浦「エッセンシャルの、ス、スペルが、書けない! ふふ」 大久保「はは!」  凪乃さんは、『存在』という字を大きく書くと、その下に矢印を引き、カタカナで『エッセンシャル』と書いた。どうだろう、多分だけどとこぼしながら、Essentialと隣に書いてみる。凪乃さんにも、「うん、なんとなくそんな気が……」と言ってもらえた。  こんな会話も自分が自分を存在させていなければ、する事はできない。  それから凪乃さんは書いてる文字を口ずさみながら、『エッセンシャル』のまた下に、『自分が需要を感じる』と書いた。 大久保「そっかぁ。自分の価値も、モノの価値も、自分が決めていいんだ」 汐浦「うん」 大久保「なんか当たり前の事だけど、なんか全然分かってなかった気がする」  そう言いながら、繰り返す。それくらい、感銘を受けていた。 大久保「自分の需要は——というか。全ての需要は、自分という視点が存在している以上、自分が決めていいんだ」 汐浦「そう! ……まあ、ただ! 俯瞰的な視点も! 時には。いるとは思うが。……まあでもそういう、世界全体で見た時に、知名度のあるものの方が価値があるっていうのは、『価値を認識されているから』っていうのは、確かに、あるのかもしれない」 大久保「そうかぁ。世界から、お前価値あり! って言われてるから」  誰もが知る名作もあるなら、誰も知らないけど、存在している名作もある。  凪乃さんは「そうだね」と呟いた。 汐浦「もうフライドチキンという概念であり、言葉である。でもある意味それは、その、ひとつの生物は死んでしまったら消えてしまうじゃん? でもフライドチキンはそもそも死んでる鳥だけど、でもそれの総称であり、ま。私は死んだ人間の死体になるけど。そう思いたいよ。そう(自分で)決められる社会であってほしいね。自分の需要が、自分でも決めてもいいよって社会であり続けてほしいですね」  凪乃さんはスケッチブックに文字を書きながら、悲しそうに呟いた。 汐浦「それが許されない時もあるじゃん。社会は」  うん、としか返せない自分が少し恥ずかしかった——が、凪乃さんはさして気にしてもいない様子で続ける。 汐浦「ある意味その、概念としての価値、という目で見たら。やっぱり知名度のあるものの方が大事っていうのも、それもひとつの視点だし。でも。やっぱり自分にとっては、自分大事! だよね。うん」  凪乃さんはスケッチブックから顔を上げ、こちらを真っ直ぐに見つめて聞いた。 汐浦「……自分の作る作品、好きでしょう?」 大久保「うん! それは……作品は好きだな」  自分はともかくとして、自分が作った作品は、何より好きだった。  凪乃さんは目を閉じて頷く。 汐浦「そう。なんか、そうやって自分が作ったからっていうのは、あるかなぁって」 大久保「うん。そうだね……やっぱりおじいちゃん、おばあちゃんとかに自分の作品を見てもらうと、途中で疲れちゃったりしてて。特に映像だと。見終わった後に、あれってそういう意味だったの? って聞かれる事が多いよね。おじいちゃんおばあちゃんじゃなくても、500%ここはこういう意図で作りましたって、分かるの自分しかいないから」 汐浦「うん」 大久保「自分が作ったから、自分が一番認知をして理解をしているっていう——凪乃さんが最初に言った、個人的な価値っていうものが、そこに存在しているのかな」 汐浦「そう。なんか、仮に出来栄えがあんまり良くなくても、自分が作ったという価値があるから。その、自分基準! 多分、私が私じゃなかったら、私の作品に価値を感じてない可能性は全然あるんだけど。まあ、そこ? そういう価値観、で、見ると。私は、大久保さんに価値があります」 大久保「……ありがとうございます! ……嬉しいなぁ……」  逆に言えば、友達に価値を感じるのは私が私である証拠だ。凪乃さんに貰った言葉に価値を感じる事も、私を私たらしめている『確かなもの』だ。  私は、世界の価値観と、私の価値観を、すぐにごちゃごちゃにしてしまう。しかし、この『確かなもの』さえ忘れなければ、きっともう、迷いすぎて、不確かな物で自分を追い込む事は少なく出来る。 大久保「——じゃあ、これで質問を終わりにします」 大久保・汐浦「「ありがとうございました」」

Log⑧ 2025. 7/22 18:25:46 インタビュイー:深澤和起 ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年7月22日 18:25:46 大久保「——というわけで、始めます」 深澤「はい!」 今日のインタビューは、学科棟内の撮影スタジオで行われた。  スタジオの中央にある、テーブルクロスがかけられた机上には——スケッチブック、ノート、赤と黒の油性マーカー、ペン。そして、紙皿が二枚並んでいる。紙皿の上には、毛糸でできたあみぐるみのフライドチキン——抽象フライドチキンと、先ほどコンビニで購入した本物のフライドチキンが置かれている。  その机の正面にある木製の丸椅子に、今日のインタビュイーに座ってもらっていた。 お互いにお辞儀をしあって——インタビューが始まる。 大久保・深澤「「よろしくお願いしまーす」」 大久保「まずは、貴方のお名前を教えてください」 深澤「はい。深澤和起(ふかざわかずき)です」 大久保「よろしくお願いします。深澤くん、でいいかな?」 深澤「はい。深澤くんで、いいです」  彼は3DCGの新たな可能性や、表現について模索した作品を発表している、私のクラスメイトだ。  普段の呼び方と全く変わらないので、深澤くんは笑った。これくらいの軽さで挑んでもらった方が、私としても心地よかった。 大久保「はは。じゃあ、普段はどんな作品を制作されてますか?」 深澤「普段——最近はもう、ずっと課題の作品で。CGを扱った作品が多いですね」 大久保「どんなCGの作品とかありますか?」 深澤「どんなCG……。えっと。今までにある、セルアニメーションやセルルックって言われる、何かの模倣みたいなCGとかより。新しいCGの見た目を作りたいな——っていう体で、作品を作ってます」 大久保「ありがとうございます」 深澤「いえいえ」  緊張も解けてきたようなので、早速本題に向かおうと思う。私は深澤くんの前で人差し指と中指を立てた。 大久保「深澤くんに、ふたつ。質問があります」 深澤「はい」 大久保「まず、ひとつ目です。——私、大久保帆夏と、フライドチキン。どちらの方が、価値があると思いますか?」 深澤「……おお」 大久保「おお?」 深澤「ちょっと。質問逆に良いですか?」  深澤くんが、ちょっと困ったように言ったので、私は「いいよ」と即答した。深澤くんはそのまま、鶏肉の繊維が歯間に詰まったみたいな顔で聞いてきた。 深澤「フライドチキンっていうのはその……フライドチキン概念全体なのか、フライドチキン一個の話なのか」 大久保「……?」  聞かれている意味が良く分からなかった。概念。一個。  深澤くんは、机上に置かれたフライドチキンを指さしている。なるほど、深澤くんは『この』フライドチキン一個か、あるいは一般的に言われるフライドチキン全てを指すのか、を聞いているのだろうか?  ——分からない。  確か、三人目のインタビュイーである七瀬文くんにも、同様の事を聞かれたはずだ。その時の私は、「七瀬くんの好きでいい、七瀬くんが想像した方で」と言ったような気がする。  ——なので今度は、何となく興味が湧いた方を、選んで聞いてみる事にした。 大久保「——じゃあ、概念全体でお願いします」  それを聞いた深澤くんは、少し困ったように「概念。概念全体」と繰り返した。少し困らせてしまったのに多少申し訳なく思ったけれど、ここは少し様子を見ようと思った。  きっとここに深澤くんの持つ『視座』が隠れている。そう考え、深澤くんの考える『フライドチキンの概念全体』とやらを、是非ともつついてみたいと思った——ものの。 深澤「概念……概念全体で言うとぉ……価値がある……価値がある……」  これは少し、困らせ過ぎてしまったかもしれない。深澤くんは、文字通りうんうん唸っていた。 大久保「大久保帆夏と、フライドチキン。どちらの方が、貴方にとって価値があるか。価値があると思うか、かな」  困っているようだったので、一応、前提の質問の方を言い直す。それに対して、深澤くんは「価値」と繰り返した。私もまた、それを真似して「価値」と呟いた。  しばらく時間が経って、深澤くんはぽつぽつと言葉を話し始めた。 深澤「……やっぱ、フライドチキンの価値だと、祝日——だとか。クリスマスだとかに、家族で楽しむみたいな。そういう大勢の価値があると思ってて。大久保さん——の、人の価値だからなぁ……」 深澤・大久保「「…………」」  深澤くんはそこまで言って、押し黙った。  最初私は、深澤くんは「大久保帆夏よりフライドチキンの方が価値がある」と言いたいが、私の手前、言わないでいてくれてるのだろうか。あるいは、言い方を考えてくれてるのだろうかと思っていた。  しかしそれにしては、彼の悩み方がちょっと尋常じゃなかった。深澤くんの言葉の続きをできる限り待つつもりだったが——二人して押し黙る形になってしまったので、私はまず、自分の質問の仕方が悪かっただろうかと考えた。  そして次に、私は、ある可能性に思い当たった。 大久保「……もしかしたら! これは、フライドチキンの『概念の価値』っていうのが。私と深澤くんで概念って『言葉の意味自体』が、微妙に違っているかもしれない」 深澤「あー! 概念、概念の違い……?」  「あー!」と言いつつ、深澤くんも、私の言っている意味がまだよくは分かってないようだった。というのも、これは私の悪い癖だ。どうやら私が使っている言葉の意味と、それを聞いた相手が一般的に受け取る言葉の意味とには、少しの『ずれ』があるらしいのだ。  これは元々、複数の友人から指摘された事だった。私の使う『好き』だとか『楽しい』という言葉は、一般的な意味と感覚が少しずれている、らしい。間違った意味で言葉を覚えているならまだ修正が効くが、あくまで『感覚のずれ』と言った方が正しいので、厄介だ。  今回に関しては、『概念』『一個』というところに、この『ずれ』が作用していたように思う。それに加えて、私が気になるからと、見切り発車で『概念』について聞いたのも良くなかった。  しかし言語というのは、自分の考えを伝えるためのツールとして大規模な人間が同じフォーマットを利用しているというだけなので、本来個人がそれぞれ独自の言語感を持っているとも言えるかもしれない。  そしてその個々のずれを徐々に限界まで修正し、お互いの心を見せ合う事は出来ないなりに、本当の意味で『分かりあった』と実感する嬉しさがあるからこそ、人はお喋りが好きで、対話が必要なのだ。  もちろん今のこの私たちも、まさに対話が必要だ。対話をしたい。  対話をすれば、私が持つ『ずれ』はきっと『価値観』になる。もしかしたら私だけでなく友達も持つそれも、きっと素敵な色眼鏡になる。  私はその色眼鏡をかけあうために。あるいは、見知らぬ誰かにもかけてもらって、多少この世界を生きやすく思ってもらうために。私はこの作品を作ろうと志したのだから。 深澤「フライドチキン。価値。うーん!!」  深澤くんは、なおも悩んでくれているようだった。こんな無茶苦茶な質問に、本気で考えてくれる友達がいる事は、ありがたい事だと思った。私はそれにありがたくも思いながら、これ以上は悩ませないよう、どこがお互いにとって干渉してるのか探るために、自分の考えをひとつひとつ言っていく事にした。 大久保「——フライドチキン一個って言われたのが、私は今、『この』フライドチキンの価値。今、深澤くんの目の前にある、この、フライドチキンの価値だと思って私は聞いてて。この世界におけるフライドチキン全てだよ、って返しをした」  深澤くんは静かに「うん」と頷いた。私も安心して言葉を続ける。 大久保「でも、この世界におけるフライドチキン全てっていうのが———」  ——分からなくて、という前に、深澤くんが被せるように言葉を続けた。 深澤「フライドチキン、専門店とか、コンビニとか。あらゆるフライドチキンの……」 大久保「ああ、概念って! この世のフライドチキンぜんぶぜーんぶが集約された、フライドチキンという概念?」 深澤「そうそうそう」  ようやっと分かった。だとすると………… 大久保「それはちょっと……デカいな!!!」 深澤「あ、なるほど! それがデカすぎるのか! じゃあ多分、あれだわ。認識が違うわ。フライドチキンの悪魔、みたいな! それと比べてたから!」 大久保「フライドチキンの悪魔と戦ったら、それは確かに……すごい考えるね!」 深澤「そうよね! 違いますよね!」  深澤くんは何だか恥ずかしそうというか、テストの回答を急いで消しゴムで消す感じの急方をしはじめたので、「いやいやこれは面白いぞ」と思いながら、私は彼を制した。 大久保「今フライドチキンの概念と戦おうとして、それは無理だろ! って思った?」 深澤「フライドチキンの方が、幸せにする人って、やっぱ。何万人といるし」 大久保「うんうん」 深澤「一日だったとしても……毎日、毎秒? くらい幸せにしてるくらい、やっぱなんか、強大だなあって」  まさにそれこそ、私が自分をフライドチキン以下だと思う理由そのものだった。  ——なるほど。しかし私が躓いてるそれはあくまで彼にとって『概念』の話で、『フライドチキン自体』の話ではない……。  そして深澤くんにとっては出来ているこの『分別』が、私には出来ていないところ——そこに、先ほど起こった『ずれ』、そして、私が世界に対して持っている認識の『ずれ』が、きっと潜んでいるんだろうと考えた。 大久保「強大な、概念。なんかすごい今、面白いなって思ったんだけど」 深澤「はい」 大久保「最初に、概念のフライドチキンとして聞いてる? それとも一個のフライドチキンとして聞いてる? って聞いてくれたじゃない」 深澤「はいはいはいはい」 大久保「……じゃあ、深澤くん。この概念としてのフライドチキン。フライドチキンの概念と、私を比べた時と。フライドチキン一個体と、私と比べた時。なんか差は、あります? 出ます?」 深澤「そぉ〜……ですね。やっぱ、一個体の方が弱い、し。大久保さんの方が圧勝なんですよ」 大久保「やった〜」 深澤「でも概念ってなると、大久保さんはこれからどれくらいの人を、幸福っていう意味じゃないけど——感動っていうか、影響を与えるみたいな意味で。どれくらいこの概念と渡り合えるのかな、ってのは。まだ未知数、かなぁ」 大久保「うんうん」 深澤「ちょっと……引き分け」 大久保「ドロー。まだ試合が分からない」 深澤「試合が分かんないっすね」  深澤くんはこくこくと頷く。 大久保「書いておこう。概念だと、試合が分からない。今ちょっと、気づきを得たんだけど」 深澤「はい」  私はスケッチブックに書いた『一個』という文字を指さして聞いた。 大久保「こっち(フライドチキン一個体VS大久保帆夏)だと、圧勝」 深澤「もう大久保さんの圧勝っすね」 大久保「やったぁ」 深澤「そりゃ大久保さんの勝ちっすよ。フライドチキン、毎日揚げてるから」 大久保「ふっふふふふふふ。バイトしてるからね」 深澤「肉の塊でしかない」  ——そう。彼は、某有名コンビニエンスストアチェーンで、アルバイトをしているのだ。  これはインタビューを申し込んだ後から分かった事で、フライドチキンを実際に揚げてる人間から話を聞けるのは、本当に嬉しい偶然だった。  今の肉の塊でしかないという言葉も、コンビニ店員である彼だからこそ——あるいは単純に、深澤くんだからこその視点だろう。 大久保「なんか、今。すっごい気づきを得たんだけど。……どうしてそもそも、私がフライドチキンと自分の価値を比べてるかって言うと……多分、深澤くんはバイトしてるから分かると思うんだけどね、フライドチキンはさ、『いらっしゃいませー』って、来て、チキン一個買って、食べて。『ああなんか今日ムシャクシャしてたけど、良かったわ』みたいな」 深澤「ああ、ああ、ああ」 大久保「ってね、帰ってく人がいるわけじゃない。」 深澤「ご褒美。まあ、軽いご褒美としてね」  めちゃめちゃ、というか もちょもちょした説明だったと思うが、深澤くんは快く頷いてくれた。ありがたい。私も機嫌が良くなって言う。 大久保「そう。求められてる! フライドチキンって」 深澤「あー。なるほどね」 大久保「とりあえずおにぎりでいいやとか、とりあえずサンドイッチでいいやとか、安いしハンバーガーにしよう……とかじゃなくて、『チキン食うか!』みたいな。クリスマスはまさに求められてるし。で、求められて、実際そのリターンを絶対に返せるポテンシャルが、フライドチキンにはあるじゃない」 深澤「うんうんうんうんうん」 大久保「私は多分、そうやってリターンを返せるから、フライドチキンには価値があるって考えてる。私の場合は、そのリターンとして返せるものが作品かな? って思ってるんだけど。体調悪い日とか、あーもう無理、って作品作れない日ってあるじゃない。そういう日はリターンが完全に途絶えるわけじゃない? 私、価値、なし。フライドチキンの方が価値、あり。……て思ってたんだけど」 深澤「うん。あの、あれだよね。大久保さんの場合は、浮き沈みがあると。その、(他者から)『確実に』大久保さんの作品を見たいと求められる事はないし、求められたとしても確実にリターンがない。っていうところで比較してる? なるほど」 大久保「あー……。『永遠』。フライドチキンって、永遠。……なんか、フライドチキンって、『今日調子悪いわ〜』ってないもんね」  以前インタビューをした、『イノウエ(仮)』くんとは、そんな話をした。フライドチキンには欠点がない。自分の欠点はよく見えるから、自分の方が価値が低いと思ってしまうんじゃないか——という話だった。  それを思い出しながら、うんうんと頷く私に、深澤くんは言った。 深澤「——時々あるけどね? 油古いなって思う時あるけど」 大久保「そうなの!?」  びっくりして、つい大声を上げてしまった。  フライドチキンにも、調子が悪い日——欠点が、ある……? 深澤「そう。油を確か、五日おきくらいに変えるんだよ」 大久保「五日おきくらい……結構変えないね!?」 深澤「そう、結構変えないんだよ。だから、俺も自分で買う時あるんだけど、『あ、ちょっと油古いな』って思う時は、ある。ふふ」 大久保「聞けて良かった! じゃあ、フライドチキンも『ちょっと俺調子悪いわ……』の時あるんだ!!」 深澤「そう」  深澤くんは頷いて、「それに」と呟いた。 深澤「フライドチキン毎日食ってたら飽きると思うんだけど」 大久保「あー、なに? 確かに」 深澤「でも多分大久保さんは新鮮なまま——……だって、(作品は)大久保さんから生まれてくるわけだから。大久保さんは別に、ね。ずっと冷凍されてるわけでもないし。大量生産されてるわけでもないから。多分、新しい発見っていうか。新鮮な刺激を与えられるポテンシャルを持ってると思いますね」 大久保「やったね。……そっかぁ。だから一個体だったら圧勝、だし」 深澤「圧勝」 大久保「なんかバイトしてる人に聞けて良かったなーって思ったんだけど」 深澤「その事はめっちゃ言いますよ。ちょっと他の事は言語化むずいけど」 大久保「めちゃめちゃありがたい」  深澤くんと一緒に笑いながら、ふと、もう一度イノウエくんとのインタビューを思い出す。  彼との対話を共有するのも、面白いかもしれないと思い——私は、イノウエくんとした話を、深澤くんにも話す事にした。  深澤くんは、黙って聞いてくれた。 大久保「——ある人と、『フライドチキンって欠点ってないよね』、『てか食べ物って、美味しいって感情って欠点ないよね』っていう話をしたんだよね。逆に自分だったら欠点が見えるから、比べちゃうとね、って話をしたんだよね」 深澤「あー……。でもまあ、長期的に見ればやっぱ、太るからね。アメリカはだって、(肥満とか)問題になってるじゃん」 大久保「そっか。フライドチキン自体の問題っていうか、フライドチキンを摂取しすぎた時に起こる影響の問題は、あるか」 深澤「結構、ドラッグみたいなもんだよ。摂った瞬間は気持ちいいけど、その後に来るじゃん」 大久保「後に来る」  私は極端な言い方だと思ってしまったけれど——まあ、用法用量を間違えたら、どんなものだってそうなってしまうかもしれない。ささやかなリフレッシュとして飲めば気分の良いジュースも、呼吸する間もないくらいに飲みまくれば、そら病気になるし。病院で処方される薬だって、処方された通りに飲まなければ、毒にだってなる事がある。  深澤くんは、私の呟いた「後に来る」に続けて、滔々と言った。 深澤「作品はなんか、その時よくないなって思っても、後々思い出して、『ああ良かったな』って思う事もあるじゃん」 大久保「うんうん」 深澤「それでも、また別の良さがあると思いますよ」  何がすとんと落ちたのかまでは自分でも分からなかったけれど、なるほどなあ、と思った。  もしかしたら、『今は』私よりフライドチキンの方が価値がある、と思っていても——後々に、私の持つ価値に気づく事もあるかもしれない。  まあ、深澤くんが言ってくれたのはそういう話ではなかっただろうけど。なんだか、励まされる心地だった。 大久保「——じゃあ、深澤くんに二つ目の質問していいですか」 深澤「はい」 大久保「今、私……大久保帆夏と、フライドチキンを比べてもらったと思うんですけど」  私は喋りすぎて乾き切った喉を誤魔化すように咳払いをすると、ゆっくりと言葉を続けた。 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年7月22日 18:38:28 大久保「——深澤くんと、フライドチキンだったら。どちらの方が価値があると思いますか?」 深澤「僕は——フライドチキンですね」  あまりの即答っぷりに、びっくりして私は「そんなぁ」と声を上げてしまった。 大久保「そんなぁ。さっきまで『圧勝ですね』みたいな感じだったのに。どした? なんかその、大久保帆夏を比べる時とさ、答え方も違ってたような気がするんだけど」  混乱する私に、深澤くんはひとつひとつ整理するように話した。 深澤「まあ、まず。やっぱ自分の事だからいくらでも悪く言いやすいってのはあるけど。あんまり自分は人を喜ばせてる自信がないっていう」 大久保「人を喜ばせてる自信がない? 自覚がないでもなく?」 深澤「自信がない。自覚がない、でもあるかな」  ——人を喜ばせてる自信が、ない。 大久保「どうしてそう思うの?」 深澤「えぇ? なんかやっぱ就活とかしてると、人を喜ばせた経験はありますか? みたいな質問とかあるじゃん」 大久保「あるんだ!」  私は大学院を志望しているので、こういう言い方になってしまった。  こういう時は、無理に知ってると知ったかぶりをするよりも、まるっきり知らないという顔をした方が好感が持たれる場合が多い。かつ、インタビュイーとしても誠実だ。  深澤くんは、特に何もつっつく事もなく、説明を続けた。 深澤「ある。あるんだけど、で、それを答えようとした時にやっぱ、あんまり浮かばない——……んだよね」 大久保「他の人はどういうふうに答えてるの?」 深澤「他の人はどうなんだろうなぁ……」 大久保「それはシートとかに書くもの?」 深澤「あの、面接の質問のなんか、色々あるよ、っていうので。なんだろ。他の人、は……美大生だった場合は、あの七瀬の例になっちゃうけど」  奇しくも、以前にインタビューをした七瀬くんの名前が出た。 深澤「七瀬くんの場合は、もしボードゲームを作ったとして、そのボードゲームで新しい繋がりが出来たりとか。単純に楽しんでもらったら、人を喜ばせた経験になる」  深澤くんはカメラの方を真っ直ぐに見ながらそう言ってから、不意に少し下を向いて話を続けた。 深澤「でも自分は、基本独りよがりな作品を作ってるから。あれだね、フライドチキンほど与えられるものはない感じだね。まあ美術基本的にそういうもんだけどね」  深澤くんは、視線をまたこちらに戻した。 深澤「俺が言いたかったのは、そもそもの目標が、『人を喜ばせるため』に七瀬くんは作ってるんだけど、俺は別に、『人を喜ばせたい』っていうのが主目的で作ってないから。自分の作りたいものを、ただ作ってるだけ。だから、(人を喜ばせてる)自信がないっていう。自分自身の中では、フライドチキンみたいに人を喜ばせる気がないっていう」 大久保「だから、周りにとって価値があるかないかで言えば、まあ周りにとって価値がある、と担保されているフライドチキンに軍牌は上がるかなって?」 深澤「そうそう。価値を作ろうと思ってやってないから」  なんとなく分かった。そして最も印象的だったのは、深澤くんが、全く劣等感を滲ませる事なく『人を喜ばせてる自信がない』と言った事だった。彼は、堂々としていた。  自分のやっている事を貫いているから、自信がなくても、ちゃんと立っていられてるのかもしれない。あるいは、真実では揺れていても、それを私に見せないでいられている。  私はどうだろう? 私は、人を喜ばせている自信がない。そして、揺れている。自分のやっている事が、本当に自分のやりたい事なのかも分からない。  だけどそこはきっと、深澤くんと同じ経路を辿る必要はない。彼は彼のやりたい事をやっていて、揺れていない。私は、自分のやっている事が、誰かの心の助けや、面白さに繋がってほしい。私の持つ、性格的な面倒さや、フライドチキンと自分を比較するなんてネガティブな悩みを抱えたまま、ユニークな作品を作る事で——そして、それをもって誰かを楽しませる事で。そうした面倒さや、ネガティブな面を持っている事自体を、それでいいんだと、『誰かのために』肯定したい。  この願望も、いつかはもしかしたら変わるかもしれない。だけど私は、少なくともこれで、揺れてはいるが、立っている。  今のところは、それでいい。 大久保「ありがとう。めちゃめちゃ分かりやすかった。あと、ちゃんとチキンを揚げてる人の話聞けて良かった」 深澤「マジ、冷凍してるのフライヤーに入れるだけだから。五分半で揚がるから。あの、三個くらいだと五分で揚がるし、六個一気に入れると五分半で揚がる」 大久保「五分半と二十一年間だったら、二十一年間の方が勝てるような気がしてきたよ!」  自己肯定感がぽっと燃えてきた私に、深澤くんは笑って言った。 深澤「ふふふ。え、でもそれには企業努力いっぱいあるからね(笑)」 大久保「ハハハハハハハハ!! もう何年もかけてるのか!!」 深澤「そう。どんな奴でも、どんなアルバイトが適当に揚げても上手く作れるようにね」 大久保「うん。それの、そっちの体積分があるから、五分間で揚げれるだけであって。そっちの堆積分の何十年を見たら、私なんてまだ赤子かもしれない。今のは早計だった」 深澤「コンビニだけでそれだからね。フライドチキン専門店とかもっと拘ってるしね」 大久保「深すぎる〜この世って。というわけで、……なんだったっけ?」 深澤「……俺も忘れちった」  笑い合う。  私はやっぱり、無謀な勝負を挑んでいただけかもしれない。まだ二十一年しか生きていなくて、自分の軸も揺れている状態なのに——たくさんの大人が、たくさんの努力を重ねて開発してきたフライドチキンに、戦って、負けても。それはそうだって、ガハハって笑って良いのかもしれない。  今日の対話も、たくさんの収穫があった。私は深澤くんに向かって頭を下げた。 大久保「面白かったです。ありがとうございました」 深澤「ありがとうございます」

Log⑨ 2025. 7/22 18:59:13 インタビュイー:ふるぱばろ ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年7月22日 18:59:13 大久保「じゃ、よろしくお願いします」 ふるぱばろ「お願いします」  多摩美術大学にある、情報デザイン学科棟。その中にある、撮影スタジオと呼ばれる場所に私たちはいた。  スタジオの中央にある、テーブルクロスがかけられた机上には——スケッチブック、ノート、赤と黒の油性マーカー、ペン。そして、紙皿が二枚並んでいる。紙皿の上には、毛糸でできたあみぐるみのフライドチキン——抽象フライドチキンと、先ほどコンビニで購入した本物のフライドチキンが置かれている。  机の正面には木製の丸椅子が置かれており、本日のインタビュイーである彼女が、真っ直ぐにこちらを見据えて座っていた。 大久保「まずは、お名前を聞かせてください」 ふるぱばろ「はい。私の名前は、ふるぱばろです」 大久保「ふるぱばろさん、よろしくお願いします」 ふるぱばろ「お願いします」  彼女の名前は、ふるぱばろ。同じラボに所属している友達で、普段からよく話す方だ。  エッセイに書く際、名前を間違いないよう『ぱ』が先か『ば』が先か、本人に再三確認してしまったけれど——言い慣れれば、つい口ずさみたくなる面白い名前だ。 大久保「普段はどんな作品を制作されてますか?」 ふるぱばろ「普段はですね、2Dのイラストとか。あとは、アクリルを使った立体作品などを制作しております」 大久保「よろしくお願いします」 ふるぱばろ「はい。お願いしまーす」  彼女は、私の「インタビューをさせてくれないか」という突然の申し出を受け入れてくれて——もう夜にもなってきたのに、文句ひとつなく付き合ってくれている。  まだインタビューが始まって二分も経っていないのに、既に頭が上がらない。せめて帰りが遅くならないように、私は足早に質問を繰り出す事にした。 大久保「ふるぱばろさんに、ふたつ質問があります」 ふるぱばろ「はい」 大久保「まず、ひとつめです」  私は彼女に向かって人差し指を立ててから、言葉を続けた。 大久保「貴方は、私——大久保帆夏と、フライドチキン。どちらの方が価値があると思いますか?」 ふるぱばろ「んー。あー、大久保さんですかね」 大久保「大久保さんだった。やったね!」 ふるぱばろ「ふふっ」  嬉しかったのでガッツポーズを取れば、ふるぱばろは屈託なく笑った。 大久保「何でそう思ったんだ?」 ふるぱばろ「ん〜……。やっぱり、価値っていうのは——お金っていう意味でちょっと捉えてるので」  あまりにはっきりした言葉に、私は思わず吹き出してしまった。 大久保「ははははははは!! 新し、すぎる」  息が出来ないほど笑っている私をさして気にせず、彼女はのほほんと言葉を続ける。 ふるぱばろ「タ◯ミーで雇った時に、大久保さんは時給1000円で雇えるけど。フライドチキンって雇えないじゃないですか〜」  ふるぱばろはそう言うと、机上に置かれた紙皿の上のフライドチキンを、ずびしと指差した。 ふるぱばろ「だから——フライドチキンは能がないわけです」 大久保「能がない!?」 ふるぱばろ「そう! 定価以上の、能がない! 能無し! 動く事もできないし、これ、腐る! はんちゃんは三日では腐らないし、働いてくれる! 動ける! ……価値がありますよぉ〜」 大久保「ふ、ふふ。ひひ、は、ありがとうございます」  フライドチキンは働けないから、能無し、ゆえに価値なし——と言うと、乱暴にも聞こえるが。フライドチキンは三日で腐る、対して私は腐らない、というのは、実際そうだ。 大久保「ちょっと、面白すぎる。タ◯ミーで働けるからって理由の人が、まさかいるとは思わなくて。めちゃめちゃいい!」  笑いで息を詰まらせながら言えば、ふるぱばろも声を上げて「ははは!」とからから笑った。 ふるぱばろ「そ。能無しでも、人ならお金が発生するからさ」  そう言いながら、ふるぱばろはスケッチブックに『タ◯ミーさんになろう』と書き始めた。今日のインタビューは初めての出来事が多すぎる。 大久保「なに? タ◯ミーからの回し者なの?」 ふるぱばろ「回し者かも。んー、そうかも」  ふるぱばろは適当に相槌を打ちながらそう言った。私がいちいちツボってしまうので、インタビューにならない。私は(落ち着くべきは私なのだが)「一旦落ち着いて?」と言うと、あみぐるみで出来たフライドチキン——抽象フライドチキンをふるぱばろに手渡した。 大久保「にぎにぎして良いよ」 ふるぱばろ「わぁ! これ中身なに?」 大久保「わたー」 ふるぱばろ「わたー。かわいいー」 大久保「かわいいでしょー。昨日詰めた」 ふるぱばろ「いいね」 大久保「おにぎりみたいに持つね」 ふるぱばろ「チャーハンだね」 大久保「チャーハン? ……ああ、チャーハンおにぎりって事?」 ふるぱばろ「そう」 大久保「だいぶ赤いね?」 ふるぱばろ「なんか……キムチチャーハンじゃない?」 大久保「あー、それは分かる」 ふるぱばろ「ね」 大久保「給食のキムチチャーハンってめっちゃ美味しくなかった?」 ふるぱばろ「や。美味しいけど……まあチャーハンは普通のが好きかなぁ」 大久保「それも分かる。キムチチャーハンはなんかこう……三年に一度食べてみたくなるものみたいな」 ふるぱばろ「あー、たまーにね」 大久保「たまーに。で、食べてみたいとか言いながら口は普通に天ぷら定食とかになってるんだよね」 ふるぱばろ「あー。別の、揚げ物なんだ」 大久保「そう」  ———一切中身のない会話!!  温泉みたいに居心地が良かったので、会話をキムチチャーハンに滞留させてしまった。流石に「……というわけで」と言って仕切り直す。  ふるぱばろの様子を見る限り——そして、答え方を聞く限り。おそらくこれ以上掘り下げても、特に何か進展はないだろう。そろそろ次の質問に行くべきだ。 大久保「大久保さんの方が時給を生み出せるから、価値がある、と」 ふるぱばろ「あります。ありますよ」  ふるぱばろはやけにはっきりとした声でそう言った。 大久保「言い切ってくれてめっちゃ嬉しい。というわけで、ふたつめの質問なんですけど」 ふるぱばろ「はい」  やはり、はっきりした声だった。私は微笑みながら言葉を続けた。 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年6月30日 13:58:04 大久保「もしかしたら、一つ目の質問の感情を聞いた感じではもう、答えは明白かもしれないんですけど」 ふるぱばろ「はい」 大久保「ふたつ目の質問です。……今、私とフライドチキンを比べてもらったと思うんですけど。ふるぱばろさんと、フライドチキン、だったら。どちらの方が価値があると思いますか?」 ふるぱばろ「あー……。う〜ん……」  ふるぱばろは、一瞬悩んだように視線を彷徨わせたが——すぐに真っ直ぐに前を向いた。 ふるぱばろ「ま、自分かなぁ? 流石に自分かなぁ」 大久保「流石に自分かな……ねって、これはなに? おにぎりマン?」  答えについて掘り下げようと思って彼女の隣に立ったら、スケッチブックの中に何やら見慣れないキャラクターが描かれていた。  おにぎりの中に、怒り眉の元気そうな顔が、黒い線で描かれている。これは……?  困惑する私に、ふるぱばろはドヤ顔で答えた。 ふるぱばろ「ふ、キムチチャーハン(笑)」 大久保「キムチチャーハン!?!?」  衝撃のままに叫ぶ。続けて、第二の衝撃が襲ってくる。 大久保「じゃなんで赤色で描かなかったの!? ペン赤黒でペン用意してるのに!?」  机の上には、赤色と黒色の油性マーカーと油性ペン、はたまたボールペンが、大量に並んでいる。  キムチチャーハンならば、何故赤色でなくわざわざ黒色で描いたのか。これではただのおにぎりだ。  ——いや、むしろ私が間違っていて、ものの色はこうでなければならないという先入観を捨てる事こそ、重要……?  ふるぱばろは赤色のマーカーで描けば良かった事に今気づいたような素振りを見せながらも、意外な理由を口にした。 ふるぱばろ「——すいません、線画から描くタイプなんです」 大久保「アニメ塗りの人だったの!? って。キムチャーくんはとりあえず置いといて」  つい名前までつけてしまったけど、この場でキムチャーくんについて、というかキムチチャーハンについてばかり話しているわけにもいかない。  せっかく描いてくれたのに気を悪くさせただろうか、と心配したが、ふるぱばろは全く気にしている様子もなく、むしろさらに鋭利に切り返した。 ふるぱばろ「置いといてた方がいいか。手足いらない?」  気にするどころか、手足を描き足そうとしていた。すげー。 大久保「えぇ……?? でもおにぎりだし、転がって動くんじゃない? おむすびころりんみたいに?」 ふるぱばろ「ああ〜……」  ふるぱばろは納得した様子で腕を組んだ。一旦、キムチャーくんの事は解決したと見ていいのだろうか。  私は今度こそ質問の方に話を戻す事にした。 大久保「——で、自分かな〜というアンサー。なんで自分かな?」  ふるぱばろは、ちょっときょとんとすらした調子でこちらを見上げた。 ふるぱばろ「え、やっぱり動けるし。やっぱり〜、働けるしなぁ。とまぁ、この世ってやっぱり学歴社会なんで。まぁ、現時点で大卒確定してる自分の方が、(フライドチキンより)能があるかなって。能力値があるかなって」 大久保「あはははははは! ちょっと、面白いが過ぎるかも、ちょっと(笑)」  フライドチキンが学歴社会に乗せられるとは思わなかった。確かに学歴社会の中では、フライドチキンは流石に何の権威も持たない。  私がけらけら笑っている中、ふるぱばろは至極当然の事を言っているように、指を折りながら話した。 ふるぱばろ「うーん。だって、これ(フライドチキン)に勝てると思うんすよ。だって、殴ったら勝てるし、まず。 ・力で優ってる ・動ける ・大卒 だし」 大久保「学歴でも勝ってる」 ふるぱばろ「うん。学歴でも勝ってる。脳味噌もあるし。(だってフライドチキンは)死んでるじゃん! こっち生きてますけどね」  ふるぱばろは、んふふ、と笑った。  それを見ながら、ふと思った事を、私も思いつきで聞いてみる。 大久保「フライドチキンに手足が生えて、動けるようになったら、どう?」 ふるぱばろ「おー。キモい。ちょっと、キモい」 大久保「価値下がったじゃん!?」 ふるぱばろ「価値下がっちゃった……。そこじゃないかも!」 大久保「そこじゃない?」 ふるぱばろ「動ける事は、なんか。あんまり価値じゃないかも」 大久保「一番最初に言ったけど、価値ではなかった?」 ふるぱばろ「そこに価値はないかな。きみ(フライドチキン)、だって、どう見てもさ、手足生えた程度じゃ価値が上がらないじゃん。ねえ」  ふるぱばろはフライドチキンに話しかけながらそう言うと——本物のフライドチキンの隣にいる、抽象フライドチキンを手に取り、手で揉んだ。 ふるぱばろ「こっち(あみぐるみ)なら分かる。こっちが手足生えたんなら、かわいいねってなる。顔ついたりとか。愛玩動物として、まだ引ける」  ふるぱばろは抽象フライドチキンを手で揉みながら、ご機嫌な調子でそう言った。  しかし打って変わって厳しい調子になると、本物のフライドチキンをずびしと指差した。 ふるぱばろ「こいつ(本物のフライドチキン)は無理。こいつはちょっと無理だ」  ふるぱばろはそう言ってぶんぶんと首を振った。  ——人間は動けるから、と答えたものの、フライドチキンが動けるようになっても、そこまでの価値は生まれない。じゃあ、本当の価値ってなんだろう。  そんな事を思いながら、ふと気になった事を聞いてみる。   大久保「ぬいぐるみとか、好きですか?」 ふるぱばろ「あ! 大好きですよ。いのち」  ふるぱばろは幸せそうな調子でそう言うと、抽象フライドチキンを自分の頬に寄せた。  『いのち』、というのは、インターネット上でぬいぐるみなどを指す際に用いられるミームとしての言葉遣いだろう。今さっき、本物の『いのち』だったはずのフライドチキンが大否定されてた気もするのだけれど。 大久保「ぬいぐるみは好きだから、こっちに手足が生えて、お金も生み出せるようになったら」 ふるぱばろ「あー、そうですね。(そうやって)SNSで爆発的にバズったら、こっち(ぬいぐるみ)の方が価値が生まれる」 大久保「余計な情報が入ってたな。SNSでバズったら??」  笑って聞き返せば、ふるぱばろも笑顔で答えた。 ふるぱばろ「SNSでバズったら、こっちの方がインセンティブがね、入ってね。……まあ、いいんじゃないですか?」 大久保「……なんか」 ふるぱばろ「うん」 大久保「ほんわかした話と、下世話な話が交互に挟まって、すごい。とんでもねえサウナみたいになってる」 ふるぱばろ「ははっはははは!! ちょっと流石にサウナすぎたね」 大久保「流石にサウナすぎるけど、最高」  今までのインタビューの中で一番笑い疲れたな、と思いながら、つい「誰もおんなじ意見言わない」と溢す。ふるぱばろはその言葉に、さも心外だというような顔をして、「え、うそぉ!」と叫んだ。  『うそぉ!』な事ないだろ、あまりに唯一無二すぎるだろ——とも思いながら、「うん、出なかったよ」と笑って返す。そんな私に、ふるぱばろはさらなる切り返しを見せた。 ふるぱばろ「みんな、思ってるよ。こいつ可愛くないもん」 大久保「か、可愛くない?」  突然の言葉に面食らっている私に、ふるぱばろはうんうんと頷きながら話を続けた。 ふるぱばろ「そう。自分は(化粧とかで)いじれば可愛くなれるけど。こいつ(フライドチキン)を、衣剥がして、ゴマとかで口をつけて、海苔とかで手足つけても……可愛くはならん! 無理。ちょっと無理」  キャラ弁文化に真っ向から戦いを挑んでいた。私は声を押し殺して笑った。 ふるぱばろ「限界値が、すぐそこにあるから。無理だ」 大久保「……フライドチキン泣いてるよ!?!?」  流石にフライドチキンが可哀想になってきてしまった。むごすぎる。  ふるぱばろは「あっ」というような顔をしたが、さして反省してない様子で形式上の謝罪をした。 ふるぱばろ「ごめん、ごめんね? でも、死んでるから大丈夫」 大久保「鳥が泣いてるよ!?!? こんな話を聞かせる事になるとは思わなかった! 死んでなお!」 ふるぱばろ「でも、死人に口なしだからさ」 大久保「そうだけど……!?」  にこにこと笑うふるぱばろに思わず突っ込んでしまうけれど——一応インタビューの体裁を取っておこうと思って、私は、本物のチキンが置かれた紙皿を右手に、あみぐるみのチキンが置かれた紙皿を左手に手に取った。 大久保「じゃあ、『フライドチキン』と『あみぐるみ』は、何が違う?」 ふるぱばろ「え、これとこれの差? 食べれるか食べれないかじゃないですかね」 大久保「食べれるか食べれないかだけど……こっちは手足が生えたら気持ち悪くて、こっちは手足が生えたら……」 ふるぱばろ「——こっちはかわいい! かわいい」  ふるぱばろは食い気味に、抽象フライドチキンを指して答えた。それから「何ででしょう」と呟いたので、私も「何ででしょうね」と返す。それを聞いたふるぱばろは人懐こい声で「ね」と呟いた。  それからしばらく二人で悩んで——おもむろに、ふるぱばろが口を開いた。 ふるぱばろ「うーん……硬いからじゃない?」 大久保「チキンが?」  聞き返せば、ふるぱばろはこくりと頷いた。 ふるぱばろ「(フライドチキンは)薄いし……。ぬいぐるみってさ、やっぱり綿のむにっと感がかわいいわけで。こいつはもう死んでるから硬いわけ。自分からしたら、硬いものに価値ないっていうか」 大久保「硬いもの……お金には価値があるって言ったのに!」 ふるぱばろ「お金はまあ……数字ですからね」  ふるぱばろは薄く笑いながら言った。 大久保「例外?」 ふるぱばろ「例外です。こいつはかわいいね」  ふるぱばろはまた抽象フライドチキンに頬を寄せ、幸せそうに目を閉じた。  もしかして、と思って質問する。 大久保「そもそもチキン苦手……?」 ふるぱばろ「や、大好き!」  ——大好きなの!?  もう訳分かんなくなっちゃった!! 大久保「もう分かんない!!!!」  思わず叫んだ私に、ふるぱばろは表情を変えないまま言った。 ふるぱばろ「だってさぁ。食物連鎖の時点で、食われる側と、食う側じゃないすか」 大久保「食物連鎖の話出した人は他にもいた」 ふるぱばろ「うん、でしょ? みんな多分共通認識なんだけど、食われる側と食う側だったら、価値はもう食う側の方が高いですよね? そりゃ、高いですよ。はい。でも、こいつらは美味しい。存在は価値はある。大丈夫! 自信持って!」  ふるぱばろはそう言って、物言わぬフライドチキンに対して「ファイト!」と声援を送るようなポーズをする。でも、もう、もう——— 大久保「もう、もう遅いよ!!!」 ふるぱばろ「はっはっは!!!!」 大久保「フライドチキンの心はもう離れちゃったよ!」 ふるぱばろ「ずたずた!?」 大久保「ずたずただよ!!」 ふるぱばろ「でも死んでるからまあいっか!」 大久保「何て事を!」 ふるぱばろ「うーん……。ま、いっかな」 大久保「ま、いっかなって……」  しばし、呆然としてしまう。確かな事は、『彼女に質問して良かった』という事だけだった。  まとめに差し掛かろうと思って、一度カメラを確認してから、私は呟く。 大久保「美味しいっていうのは、あくまで存在価値であって、我々を凌駕するほどの価値では——」 大久保・ふるぱばろ「「——ない」」  声が重なった。ふるぱばろは笑顔で「ないです」と言葉を続ける。余裕のある感じだった。 大久保「人間の、勝ち」 ふるぱばろ「人間の勝ちです。その点においては」  ふるぱばろはそう言い切り、にこにこと笑った。私もつい笑って、お礼を言う。 大久保「ありがとうございます。めちゃめちゃ面白かった」  そこで初めてふるぱばろはちょっと心配したような顔になって、首を傾げた。 ふるぱばろ「こんなまともじゃない質問の答えでいいんですかね」 大久保「いいよ。めちゃめちゃ面白かった」  いいに決まってる。今日のインタビューで笑いすぎて、何だか心まで軽くなった気がする。  フライドチキンは、『おいしさ』で私を笑顔にさせる事はあるかもしれない。  ただ、こんな爆笑をさせる事は流石にないだろう。 大久保「では、ふるぱばろさん」 ふるぱばろ「はい!」 大久保「ありがとうございました!」 ふるぱばろ「ありがとうございました!」 大久保「ありがとうございました!!」

Log⑩ 2025. 8/5 14:46:54 インタビュイー:金井亜美 ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年8月5日 14:46:54  今日のインタビューは、学科棟内の撮影スタジオで行われた。  撮影準備をしている最中、「何か手伝う事はある?」と、今日のインタビュイーから声をかけられる。ありがたいな、と思いながら、準備をする手を止めないまま、「大丈夫だよ」と背中で返事をする。 大久保「じゃ、始めます」 金井「はい」 大久保「よろしくお願いします」 金井「お願いしまーす」 大久保「お願いします」  スタジオの中央にある、テーブルクロスがかけられた机上には——スケッチブック、ノート、赤と黒の油性マーカー、ペン。そして、紙皿が二枚並んでいる。紙皿の上には、毛糸でできたあみぐるみのフライドチキン——抽象フライドチキンと、先ほどコンビニで購入した本物のフライドチキンが置かれている。  机の正面には木製の丸椅子が置かれており、今日のインタビュイーである彼女が、いつもよりかはちょっと緊張した面持ちで座っていた。 大久保「まずは、貴方のお名前を教えてください」 金井「はい。金井亜美(かないあみ)です。よろしくお願いします」 大久保「金井亜美さん、よろしくお願いします」  お互いにお辞儀をしあう。亜美さんは多少照れたように笑った。 大久保「じゃあ、亜美さん。普段はどんな作品を制作されていますか?」 金井「はい。普段……えっと。課題とかで出たものに合わせて、課題を出した先生によって、どういうものを使って作品に起こしていこうみたいなものが変わるので。なんか、決まったものはほとんどないんですけど」 大久保「うん」 金井「なんか、アニメーションとかゲームとかを使ってる先生だと、ゲームとか、アニメーションとかだし。映像の先生だったりすると、映像の作品を出したりしています」 大久保「ありがとうございます」 金井「ふふ」  改まった空気が面白いのか、くすくすと笑う亜美さんに、私も笑顔を返す。どうやらあまり緊張はしていないようなので、私も次の質問へと段階を進める事にした。 大久保「亜美さんに、実は……ふたつ、質問があります」 金井「はい」 大久保「ひとつめ、良いですか」  人差し指を立てて言えば、亜美さんは滑舌の良い発音で「はい」と返してくれた。それを聞き届けてから、私はゆっくりと口を開いた。 大久保「貴方は、私——大久保帆夏と、フライドチキン。どちらの方が価値が高いと思いますか?」  少しだけ、間が空く。亜美さんは感心したように「おお……——」と言いながら、頷きつつ宙を見た。しかし、すぐにその視線はこちらに戻される。 金井「——けど、大久保帆夏だと思います」 大久保「やったね! 勝った。勝った? 勝負じゃないけど」 金井「勝った、アハハ!」  亜美さんは屈託なくからからと笑った。そういうところが友人としてとても好きだ。微笑みを作りながら、話を戻す。 大久保「フライドチキンに勝った。今、フライドチキンより価値があるって、おっしゃっていただいたんですけど」 金井「はい」 大久保「その理由とか聞いても良いですか?」  亜美さんは間を空けずに頷き、明朗な声色のまま答えた。 金井「そうですね。えーと……。フライドチキンって、食べたらなくなって終わりじゃないですか」 大久保「食べたらなくなって終わり」  私の言葉に、亜美さんは真っ直ぐに頷く。 金井「大久保帆夏って食べれないし、人間って、死ぬまで価値があると思ってるんですよ」 大久保「うん」 金井「で、これからの未来の事考えて。これ(フライドチキン)って、(人に)食べられなくても、腐ったら食べれなくなって価値がなくなるじゃないですか」 大久保「あ〜! なるほどね」 金井「そう。だから、これから存在していく時間と、その社会に貢献する度合いとって考えたら、全然。大久保帆夏の方が全然価値はあると思います」 大久保「ありがとうございます。なるほどね」  お礼を言いながら、思い出す。  今までのインタビューでも、食べてなくなったら終わりとか、そういう意見は、一応あった。食べたら終わりで、人間は生み出せるとか。だって食べ物じゃん、など。  腐ったら価値がなくなる——フライドチキンは三日で腐る、対して私(大久保帆夏)は腐らない、という意見を言ってくれた『ふるばぱろ』というインタビュイーもいた。が、それは単純なデメリットを挙げてくれた、というのが感覚としては近くて、亜美さんの言った『これからの未来を考えたら』という視点とはまた違った気がする。 金井「うんうんうん」 大久保「経過したら、価値がなくなってしまう。で、鶏肉死んでるから」 金井「ま、そうだね! 死んでるしね既に」 大久保「なんか、面白いかった。その。『死ぬまで価値があると思ってる』みたいなやつ」  私はそう言いながら、亜美さんに赤いマーカーを手渡した。「あげる」と言った私に、亜美さんは「もらいまーす」と言って笑うと、そのマーカーでスケッチブックに文字を書き始めた。  嬉しくなって調子に乗った私は、「なんと、銀色のマーカーもある」と見せびらかす。亜美さんも反応良く「うぅお!」と叫んでくれたので嬉しかった。 大久保「銀のマーカー、好き放題して良いよ」 金井「やべ〜! 一番テンション上がる」 大久保「うん。一番テンション上がる。私もテンション上がるだろって思って持ってきた」  スケッチブックに文字を書き連ねる亜美さんを見守りながら、私は、少し踏み込んだところまで聞いてみたいと思い——口を開いた。 大久保「死ぬまで価値がある。なるほどね」 金井「うん」 大久保「逆に。死んだらどうすか?」  亜美さんは一瞬だけ上を見てから、すぐに答えた。 金井「死んだとしても、世の中に遺してるものって多くないですか。なんか、友達の記憶だったり。その、作品として。大久保帆夏の作品として、たくさん遺ってるものって、私が知っているだけでもたくさんあって」 大久保「うん」 金井「あるし——それで、大学以外にも全然友達いるだろうから、もっと、たくさん。記憶に残ってる人ってたくさんいると思うし。もし、亡くなったとしても。ゴッホみたいな感じで、名前が急にブワァッ! って広がる可能性だって秘めてるから。フライドチキンってまあ、皆んな知ってて、食べて——みたいな感じであるかもしんないけど。それ以上にはなり得ない」  亜美さんは何て事ないように、きっぱりとそう言い切った。しかし私は、そう言い切れる姿が格好いいな、と他人事のように思って、ちょっと感動していた。  遅れて、ぎこちない相槌を打つ。 大久保「……たし、かに。フライドチキンの記憶で——ま、世界で数人くらいは、『フライドチキンのおかげで人生もう薔薇色です』『あの時フライドチキンがなかったら、自分、もう死んでました』みたいな人もいるかもしれないけど。なんか、結局その『人』がいるから感動した記憶って存在してるわけだし……」 金井「そうそうそう」 大久保「まあ、実際その……フライドチキンがどうしたっていうよりは、もしかしたらなんかその。『フライドチキンのおかげで』って言うけど。今、亜美さん『作品』って言ったじゃない。作品が残ってて、その記憶もあるみたいな話したけど。フライドチキンも——『誰か』のレシピだからさ」 金井「そうだね。結局、モノ、でしかないから。人、との繋がり。人が、主体だから。価値って人間の方が絶対にあると、思う」  結局そのフライドチキンも、フライドチキンに対して私がすごいって思ってる部分も、人が遺した痕跡なのかもしれない。  全部、人が生み出してきた価値なのかもしれない。 大久保「そうだね。なんか私、フライドチキンと自分を比べてたけど。『フライドチキンを作った人の威厳』と自分を比べてたところも、あったのかもしれない」 金井「あー確かに」 大久保「功績……そう。元々その、比べようと思った発端が——『フライドチキンの方が、世の中を幸せにしてる』みたいな」  私がぽつりと言った言葉に、亜美さんは、はた、という顔をした後、すぐにはっきりした声色で訂正した。 金井「……。え、だけどフライドチキンのせいで不幸にしてる人生もあるから」 大久保「ふ!? ふふふふ、ふふ」  急に強めに訂正されて面白かったので、思わず笑ってしまう。  亜美さんもけらけらと笑って、そのまま話を続ける。 金井「あの、バス乗ってるときにー、フライドチキン食べてるやつがいて。マジで失礼だけど、ふざけんなよテメー! みたいな(笑)」 大久保「ふふ。なっちゃったの?」 金井「ブチギレ。あたしTwitterでもブチギレてた記憶ある」 大久保「食べ物外で食べてるの許せない人?」 金井「うん」  なるほど、人の怒る理由はさまざまだなあ、と思う。 ちなみに私も(バスや電車のような乗り物内では食べないが)買い食いなど、時おり外でご飯を食べてしまう癖があるので、密かに気をつけようと思った。  しかし、フライドチキンが何かの沸点の引き金になるとは思わなかった。いや? むしろ、引き金になっているのは——…… 大久保「私はね、外で食べてる人あんまり興味ないけど。……でも、それも確かに、フライドチキンを食べてる『人』の方が記憶に残ってて、『やだな〜』って思ってるもんね」  聞いた感じ、それは『フライドチキン』で不幸になったというよりも、亜美さんがその『人』のマナーが許せず不快感を覚えた、というような話に感じた。亜美さんも「そうそうそうそうそう」と頷く。 大久保「じゃあ、『人』なのかな? やっぱり」  私の呟きに、亜美さんは頷いた。 金井「結局、人対人なイメージがある。なんか、自分の中で大事にしてるのって——あたしの中の人生で大事にしてるのって。人と人との繋がりだから。結局……『こういうモノが大事なんだ!』……みたいな人も、お金とかが自分の命よりも大事みたいな人もいるかもしれないけど。結局、人との繋がりがあったら、お金がなくったってどうにでもなるし、みたいな。そういう思想を持っているので。全然人の方が価値はある!」  亜美さんは、きっぱりと言い切った。私はちょっと感心したあまり呆然として、「価値が、あります」と、あんまり脈絡のない返しをしてしまった。 金井「そ。お金さえあれば全然大丈夫みたいな人もいるけどね」 大久保「確かにね。愛は金で買えるみたいな事言う人も——」 金井「——買えない買えない!」  亜美さんは食い気味にそう言うと、笑いながらぶんぶんと首を横に振った。 大久保「結局その——愛を金で買ったとしても、その対価として『人』が生産してるわけだからね」 金井「そうそう。人がいない仕組みなんて、実際のところない。AIを作ってんのだって人間だし」 大久保「確かに。AIの情報の元も人間だもんね。」 金井「そうそうそうそう。結局人間がいないと、何も生み出せないから」 大久保「そうだね。荒野にAIがいても(今のところ)なんもならないしね」 金井「ふふ、なんもできない(笑)」  亜美さんが笑っているのを見つめながら、しばらく考える。  私が囚われていたのは——— 大久保「……フライドチキンを作った人 対 大久保、だったのかもしんない」  ぽつりと呟く。フライドチキンと自分を比較して、フライドチキンの方が人を幸せにしてるって負けた気になっていたけれど。フライドチキンも人が作ったものであるならば、それはもしかしたら、フライドチキンを作った人の威光と自分を、私は比較していたのかもしれない? 大久保「以前のインタビューで、逆、の路線で語る人はいて。……まあ、逆ってほどでもないけど。なんか、食べ物。この世における食糧全般、と、大久保さんは大久保さんと比べてるんじゃないか、みたいな話は出てきてたんだよね」 金井「ああああああああ〜!!」  亜美さんはしっくり来たようで、何度も首を縦に揺らしていた。それを見て笑いながら、言葉を続ける。 大久保「フライドチキンの価値って『食べたら美味しい』だからさ。食べたら美味しくて、皆んなを幸せにしてる。で、私、何もできない日ある。まあ、何だろう。私は作品を生産する事と、フライドチキンが誰かに美味しさを届ける事? を……ちょっと同義というか。まあ置き換えられると思ってて。フライドチキンは存在してて、食べてもらえるから、その人を幸せにする」 金井「あーね?」  亜美さんは、意見として受け止めているものの、同意しているわけではない時の相槌を打った。 大久保「ただ、私は何もできない日とかあるから。作品、作れてないじゃんその日。そしたら提供するものがないから、『私いま、フライドチキンより価値ないかも!』って思ってたんだけど」 金井「フライドチキン食べるのだって一瞬だから、一瞬の幸せしかないじゃん」  亜美さんは食い気味に否定した。私は頷く。 大久保「そう、一瞬の幸せ。(でも私は)一瞬の幸せも提供できてないのかも、みたいな」 金井「えぇ? なんでぇ??」  ちゃんと説明できたつもりだったのだけれど、前を向いたら、『訳分かんない』みたいな顔をした亜美さんと目が合った。  思わず「なんで? って(笑)」と眉を困らせながら笑えば、亜美さんは爆笑した。 金井「あはははははは!」 大久保「そう。なんでってなったからー、ちょっと色んな人に聞いてみたかったからー。今日話せて楽しかったしー……まだ終わってないけど!」 金井「あはははは!! 全然だって、こうやって話してるときだって。はんちゃんと話してる方が価値高いじゃん」  亜美さんがあまりにもはっきりとした声でそう言うので、私はどう返していいかわからなくなって、少し下を向いた。それから、うん、と一言発するので精一杯だった。  本当は、「ありがとう」と言えたら良かったのだけれど、どうしても咄嗟に出てこなかった。 大久保「……ちょっとフライドチキンと話してみる?」 金井「…………」  ふざけて(おそらく無意識に照れ臭くなって)そう言えば、亜美さんはじいっ……と机上のフライドチキンを黙って見つめた。それから、フライドチキンに向かって、ずびしと指を指してこう言った。 金井「……お前の価値はないよ!」 金井・大久保「あっははははははははは!!」  お互いに声を上げ、笑い合う。  目尻によった涙を拭いながら、私は続ける。 大久保「——そう。で、今までのインタビュイーにその話をしたら、ある人とかは、フライドチキンってより、『食べたら美味しい』『美味しくて幸せにしてる』って事なら、『それは食べ物全般と大久保さんを比べてるんじゃない?』っていう」 金井「あー!」 大久保「だから今回は、(フライドチキンを)作った『人』と、私を比べてるんじゃないかって、亜美さんのおかげでそういう考えに思い至った。その、幸せを生み出した惣領の人間と、私を、比べて。でっかい問題にしてるんじゃないかっていう話だったし。ちょっと前にインタビューした人とは、食べ物と。食欲と戦ってないですか、っていうのとか。フライドチキンという概念と戦っていませんか? っていうのとか。そう言う話もしたりしたけど」 金井「あははっ……! あー。概念と戦ってるかもなっていうのは、内面を聞いた時にちょっと思ったかも」  亜美さんはにこにこしながら核心を突いた。 大久保「そう。そこがなんか私、曖昧かもしれなくて」  笑おうとしたけれど、真実を口にしたから力ない感じの笑い方になってしまった。  特に謝る必要もないだろうに謝りながら、私は誤魔化すように次の質問へと歩みを進めた。 大久保「すみません。じゃあ二個目の質問して、いいですか」 金井「良いですよ!」 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年8月5日 14:58:24 大久保「もう、その。人対人の話をしてたから自明かもしれないんですけど。今、私——大久保帆夏と、フライドチキンを比べたじゃないですか」 金井「うんうん」 大久保「亜美さんは——自分と、フライドチキン。どちらの方が価値があると思いますか?」  亜美さんは考えるように視線を彷徨わせた後、「……なるほど」と呟いた。 大久保「今度は、亜美さんが自分とフライドチキンを比べる方」 金井「……え。自分の方が、あってほしいなぁ、って願いも込めて。あると思う、かな」 大久保「あってほしいなっていうのは、希望、とか?」 金井「そうだね。他の、まあ。……なんて言えばいんだろう。うーん」  亜美さんはそう言って腕を組んだ後、突然ふす、ふすふすふす、と笑って、肩を揺らし始めた。 金井「なんか……比べた事がないから(笑)」 大久保「ふふふ、そうだよね! そうだよね!? ふふ、知らないよね。この概念、というか、質問!」  亜美さんはくつくつと笑いながら口を開いた。 金井「なんか! 人と人で比べるんだったら分かるけど、食べ物と比べるのちょっと初めてだからー」 大久保「あ、人と比べた事あるの?」  失礼かもしれないが、少し意外だった。  私から見た亜美さんは、いつも真っ直ぐ立っていて、とても立派で、格好良い人という印象だった。  私は亜美さんみたいになりたいとは思うけど、亜美さんが自分と誰かを比べているところは、想像つかない。 金井「なんか、だけど。大学に入ってから——……じゃなくても。ずっとそうだけど。やっぱり、『人よりも劣ってるかもー』みたいな。自己肯定感の低さ、が、やっぱりあるから。多分、あるから。すごく、凹みやすい。例えば自分より絵上手い人見ると凹むし」 大久保「うんうんうん」  亜美さんも、そういう心の動きや、劣等感みたいなものを感じた事があるんだと、私は頷きつつも、少し驚いていて——この内心驚いている事自体が、友達としてすごく失礼な事かもしれないと、自分が自分で、少し許せなかった。 金井「自分より頭のいい人とか(笑)。成績表とかでね。やっぱりその、確定でつけられる基準とかを見ると、『あぁっ…………』……みたいな感じのは、よくあるから。そういうのでは、比べる事は多いかも」 大久保「うん」 金井「人と比べ、がち……かも」 大久保「うん……。で、比べたら、自分の方が上じゃなくて、大抵下の方?」 金井「大抵下、で。てか下しか見ないしね!?」 大久保「……確かに。……(自分も比べる時に)自分の方を下にしか、見ないな」 金井「見ない。ま、美大生はみんなそうだと思うけど! 自己肯定感が低い人たちの塊だから割と」 大久保「ふふ(笑) そう。だから聞きたいって思ったんだよね。皆んななんか、生きてるじゃん。生きられてんのすごいなぁって思ってて」  ざっくばらんな言い方だけれど、実際そうだった。  みんな生きている。生きられている。自分にに絶望し切らず、どうしてここまで生きてこれたのか。  その理由をインタビューを通して探り、知り、こうして記録に残す事が出来れば、今まさに自分に絶望している誰かのために、様々な道を照らし出すガイドブックを作れるんじゃないかと考えた。  だから今こうして、私の最も尊敬する友人の一人であるあみさんにインタビューをしている——はずなのだけれど。亜美さんは、表情を変えないままこう言った。 金井「や、だけど はんちゃんも生きてるから」 大久保「……!!」  そうだ。生きているのは、道を照らし出せるかもしれないのは、私も同じだ。 大久保「……生きてれば、フライドチキンに、勝てる!」 金井「勝てる勝てる。全っ然勝てる」  亜美さんは励ますようにそう言った。私も少し元気が湧いてきて、ぎこちないけど確かに笑えた。 大久保「生きてるだけで価値があるなら。何も、生み出してなくても。『人間が』生きてるというだけでフライドチキンに勝てるかもしれない」 金井「そう。だって、ほら。例えばさ、おばあちゃん家に行って、おばあちゃんとおじいちゃんが喜んでくれるだけで、もうなんか……意味あるくない?」 大久保「……確かに!」 金井「すごい喜んでくれるじゃん。なんかお金をあげてるわけでもないし、自分の顔を見せるだけで喜んでくれるんだよ」 大久保「ああ〜……。あれね。ちっちゃい頃、本当に何でなんだろうって思ってたんだけど。本質的に、その、生きてるだけで意味があるって、あの。理解しきれてなかったから、ずっと気になってたけど。そういう事なのかもしれないね」  正直に言って、今もまだ分かっていないかもしれない。物心がついた時から、祖父や祖母、親戚一同に会った時、どんな顔をすれば良いのか分からなかった。  自分が何故、ここまで歓迎されているのか。そこまで喜ばれるような事をしたのか。あまりに分からないから怖いので、親戚の集まりでの私は、いつもぎこちない笑顔を作っていた。  両親に対してすらそう思っていたかもしれない。何故ここまで『してもらえる』のか。自分はそんな存在ではないのに、と。うまく言葉を喋れない時からずっと思い続けて、不思議で、申し訳なくて仕方がなかった。  今亜美さんが言ってくれた事を、過去の私に遡って伝えられたなら、どれだけ良いだろうかと思った。  ——理由なんてない。そういうもんだ、とか。  自分の顔を見せるだけで、本当に、嘘でなく、それだけで報酬になっているんだと。  何も与えなくても、彼らにとっては、自分が生きているだけで、価値があるのだと。  私はそれを理解したのが本当に昨年くらいだったので、だいたい二十一年かかっている。  いや、本当の意味で気づいたのは、亜美さんに言われた、たった今だったのかもしれない。  何だか、妙に腑に落ちた。 金井「なんか、結局、そう。食べ物を見ても、喜べる瞬間って、食べる瞬間とか、食べ物をこうやって『美味しそうだなぁ』って見てる瞬間しかないじゃん。(人は)会ったら、その次会うまでの時間、楽しみ。どんな成長してきてくれてんのかな、とか。多分」 大久保「おばあちゃん視点とか?」 金井「そう。——っていうのを考えて、その次会うのが楽しみになったりとか。する、んじゃないかなぁ」  亜美さんは、何だか瞳がきらきらしていた。真っ直ぐな声のまま、ひとつひとつ、誠実な言葉が続いていく。 金井「……っていう風には、自分がそっち側の立場にまだ行ってないから分からんけど。思うんじゃないかなぁっていう風には、思う」  その立場にまだ立っていないから——その景色を、まだ見ていないから、分からない。  いつか自分にも、生きているだけでそれだけで嬉しい存在が、現れる事があるんだろうか。  ——と、考えて、すぐに、友達ももう既にそうだな、と気づく。  亜美さんは、私にとって、生きているだけで、会えたらそれだけで嬉しい存在だ。  他の友人たちだって、そう思える存在がいくらでもいる。  だとしたら私も、誰かの世界にとっては、そういう存在であれているんだろうか。  全部が喉に押し込まれて、出てきたのは至極単純な言葉だった。 大久保「………生きましょう!」 金井「生きましょう! アハハ!」  ——『そっち側』の立場に、行きましょう。そこに辿り着くまで、それより先まで、永く生きましょう。  色々な思いを込めた言葉だった。  そういう存在が見つかっても、見つからなくても、あるいは自分自身をそうした存在にするのでも——彼女と私が幸せなら何でもいいから、その地点まで歩いて行って、またそこで話して、同じ質問をしてみたいと心の底から思った。  カメラを止めて頭を下げる。 大久保「ありがとうございました」 金井「ありがとうございました」  収録が終わった後、亜美さんはスケッチブックに「生きよう!!」と落書きを書いていた。

Log (11) 2025. 8/5 15:08:04 インタビュイー:福井瑶 ① 貴方にとって私はフライドチキンより価値が高いか? 2025年8月5日 15:08:04  今日のインタビューは、学科棟の中にある撮影スタジオという場所で行われた。  先ほど別の人にインタビューした後というのもあって、撮影の準備は少なかった。だいぶガチガチに緊張している今日のインタビュイーの様子を伺いながら、緊張を解す意図も込めて挨拶をする。 大久保「じゃ、よろしくお願いします」 福井「お願いします」  スタジオの中央にある、テーブルクロスがかけられた机上には——スケッチブック、ノート、赤と黒の油性マーカー、ペン。そして、紙皿が二枚並んでいる。紙皿の上には、毛糸でできたあみぐるみのフライドチキン——抽象フライドチキンと、先ほどコンビニで購入した本物のフライドチキンが置かれている。  机の正面には木製の丸椅子が置かれており、今日のインタビュイーである彼女が、瞬きをしながら、強張った面持ちで座っていた。 大久保「じゃあまずは、貴方のお名前を教えてください」 福井「福井瑶(ふくいたまき)です」 大久保「福井瑶さん、よろしくお願いします。普段はどんな作品を制作されてますか?」  続く質問に、瑶さんは(おそらく緊張のせいで起こっている)瞬きを繰り返しながら話した。 福井「そうですね。木とか、アクリル板を中心に、立体作品を制作しています」  最初は緊張しているのだと思っていたけれど——すらすらと話す様子を見る限り、慣れない状況でどうしたら良いか分からない、という困惑で表情が強張っているようにも見えた。  「よろしくお願いします」とお辞儀をすれば、瑶さんからも「よろしくお願いします」と会釈が返ってきた。 大久保「瑶さんに、ふたつ、質問があります」 福井「はい」 大久保「ひとつめ行きます」  人差し指を立てて言えば、瑶さんから「はい」と返事が返ってくる。  それを聞き届けてから、私は続けた。 大久保「私——大久保帆夏と、フライドチキン。貴方は、どちらの方が価値が高いと思いますか?」  瑶さんは多少面食らったようだったが、即答と言って良いほどに間を開けずに答えた。 福井「そう、ですね。私は大久保さんだと思います」 大久保「勝ちました、ふふ」 福井「あはは」 大久保「——なんで、フライドチキンより大久保の方が価値が高いと思ったんですか?」  私の質問に、瑶さんは手振りを交えつつ滔々と答えた。 福井「そうですね。例えばその——フライドチキンって結局まあ、元々は確かに、生きてた鳥だったと思うんですけど」 大久保「うん」 福井「今はまあ食品として加工されていて、コンビニとかで色んな人の手に渡っていると思うんですけれど。まあ、だから所謂、『量産』されているというか。大量生産されているものだと思うんですけど。大久保さんは……一人の人間なので。そういう意味でこう、やっぱり価値が高いのかなって思いますね」 大久保「……そうね」  ——量産と、固有。  今まで十人ほどインタビューを行ってきたが、今までの中でもシンプルかつ初めての視点だった。 大久保「私は——そもそも固有、だし。量産もされてない」 福井「そうですね」 大久保「なるほどね。初めての意見です」 福井「あ、そうなんだ」  瑶さんはびっくりしたように呟いた。  本当に一人として同じ意見がない。なのに、「初めての意見だ」と言うと、必ず皆んな似たような反応をする。それがちょっと面白かった。 大久保「本当に皆んなね、全然違うの」 福井「あー、やっぱそうなんだ」 大久保「『固有』……と、特にこの、フライドチキンが『量産されている』って方には、(答えが)あんまりなかったかもしれない」 福井「そうなんだね」 大久保「……なんか、多分なんだけど。それでも私が、私の方が価値が低いって思っちゃうのが——人間がいっぱいいるから、自分じゃなくてもいいっていうのもあると思ってて」 福井「あー……!」 大久保「それって、自分自身もそうだけど、他の人たちの固有、とか、個性とかを、無視してる。鑑みてないって事だから、結構失礼な事してたな、って、今思いました」 福井「アハハ……」  ——反省。というか、視野が狭くなっていたとはいえ、人としてかなり恥ずかしい事をしていたと思う。  インタビュアーに突然反省されても困るだろうに、瑶さんは笑って流してくれた。 大久保「えー。なるほど、ね……。量産か。じゃあ、フライドチキンが——この(目の前に置かれている)コンビニのフライドチキンじゃなくて、もうあの、三万円とかの」 福井「ふふふ」 大久保「めちゃめちゃもう、辺境の王族とかしか食べれないようなフライドチキンとかだったら、どう?」  ——辺境の王族ってなんだ、それを言うなら辺境伯じゃないのか、って思いそうなものだけれど、瑶さんは突っ込まずにノってくれた。  瑶さんは腕を組んでうーん、と考えながら、天井の方を見て口を開いた。 福井「……確かにまあ……。そういうのって、やっぱり素材とか、なんかすごいこだわっていて、結果的に作られたもので。それ対一人の、個人の人間……だとすると。……そうだなぁ。でもやっぱり——需要の問題……になっちゃうかなって思ってて」 大久保「需要」  私の呟きに、瑶さんは頷く。 福井「結局その、求めてる人。例えばその人が、『もうフライドチキン食べないと死ぬんですー』って言って、で、フライドチキンが出されたら、そりゃあ、そっちの方が確かに価値は。『その人』にとっては高いかもしれない」 大久保「『その人』。その『フライドチキンが食べたい人』にとっては価値がある」 福井「———けど! ……でも何だろう。別にフライドチキン食べたくなくて。例えが曖昧だけど——人手が欲しいとか。まあ、一人の作家的な視点を持った人が欲しいとか。そういう、まあ、その人個人でそれぞれ求めてる需要が違うから。そういう場所に行ったら、そのフライドチキンであれ、まあ、はんちゃんであれ。他の、誰であっても。時と場所によって、需要って跳ね上がったり膨らんだりすると私は思うから」 大久保「そうだね。まあ、本当にご飯とかない国だったらさ。ご飯があるだけでも需要はバーンッて——」 福井「——そう。だから、結局場所——求めてる時と場所かなーって、私は思います」 大久保「……なんか。なるほどな、と思いました」  私は頷きながら、瑶さんの言葉を咀嚼していった。そして次に、今までのインタビュイーの言葉を思い出した。 大久保「一番最初にインタビューした方に言われたんだけどね、『評価軸』? 評価の……価値の高さって、評価軸によって変わるよねって。フライドチキンは食べたら美味しい、ただ、まあ。大久保さんは食べても美味しくはない。そう言う風に、評価軸によって価値っていうものは変わっていく……みたいな話をしたんだけど」 福井「うんうん。結局やっぱりその、『個人による』としか言えないかもしれないんだけど。まあ、その場所で求められている……『市場価値』みたいな、ものなのかなって私は思ってて」 大久保「そっかぁ……。私は結局、(自分が)その人にとって価値があるかないかとか、人間にとって価値があるかないかとか、他者にとって価値があるかないかって考えてたけど。それって、(私が何かを)届ける『その人』を、私も選んでなかったし、『その人』の事ちゃんと考えようとしてなかったな、みたいな。『皆んな』で括って見てた」  フライドチキンは食べる人を笑顔にしている——しかし自分は、誰の事も笑顔にできない日もある。   そういう風に考えていたけど。それ自体がそもそも間違っていたのかもしれない。  食べる『人』とはそもそも『誰』なのか。誰の事も笑顔にできないの『誰』は、どこに住んで何を思う誰なのか。  そんな初歩的な事を、私は考えていなかった。無意識に考えないようにしていたのかもしれない。それはあまりに——独善的で、自己中心的で、最悪な思考回路だ。  反省しつつ、インタビュー中に反省会を開くのもそれもまた最悪なので、私は自分の気を保ちつつ話を続けた。 大久保「例えば、瑶さんは立体アートを作ってるじゃない。で、まあ。人の好みとしてね。私は映像とか本とかを作ってるけど。活字読めない、って人がいたとして。まあ立体のものがドンッてあったら、見て、『ああ分かりやすいから好き』って人もいるし。そういう……人にはそれぞれ好みがあるし、求めてるものがあるのに、私はその、自分が何を届けられるか、みたいな——自分が何かを届けてるか、届けられてないかで、自分の価値を判断してた。存在しない架空の他者が、『お前、価値あり。届けてくれたので』みたいなのを言ってくれるのを期待して、想像してた。『届けてくれたから価値ある』っていうのも傲慢だったかもしれない」  誰かに何かを届けられさえすれば、喜んでもらえる。私には存在価値があるという証拠になる——と、無意識でも信じ込んでいるのは、明らかかつ果てしない傲慢だった。  瑶さんは私の顔を覗き込みながら、困り眉で笑う。 福井「まぁ〜……確かに、一理あるかも」 大久保「うん。……っていうのをね。今、すごい速度で『反省』をしている」 福井「ふふふふふふっ」 大久保「ありがとう。なんかちょっと、面白かったっていうか。『ああ〜そうですね!』ってなった」  反省会を開くまいとしていたので、結局反省会をしてしまった。  私は場の空気を変えるために次の質問に移ろうと、カメラを調整し直した。 大久保「———で、ふたつめの質問行きたいんすけど、いっすか」 福井「はい」 ② 貴方は自分を、フライドチキンより価値が高いと思うか? 2025年8月5日 15:15:40 大久保「今、大久保帆夏と、フライドチキンを比べてもらったと思うんですけど。……次の質問です」  私は喋りすぎて乾いた口を誤魔化すように咳払いしながら——ゆっくりと言葉を続けた。 大久保「——貴方は、自分と、フライドチキン。どちらの方が価値が高いと思いますか?」 福井「え。……うーん……。え、自分かな」  瑶さんは全く時間をかけずに答えた。思わず「自分が勝った!」と言うと、瑶さんも「フフフフフッ」と声を上げて笑った。 大久保「理由は、一番目に質問した時となんか変わる?」 福井「まあ確かに一緒……ほぼ一緒、かもしれないけど。私はとりあえず別に優れているわけでもないし——」 大久保「———そうかな?」 福井「……全然、『隣の芝生は青い』ってやつかもしれないけど。まあ、端くれだと思ってるんだよね、所詮。自分は」 大久保「一旦、聞くね。私は貴方の事メッチャすごいと思ってるけど。まず聞きます」 福井「(笑) ありがとう(笑)」  事前に訂正をしつつ、話を促す。傾聴の姿勢を崩さないように意図的に静かにすれば、瑶さんもぽつぽつと話し始めてくれた。 福井「や、まあ自分ではそう思っていて。そんなに、傲慢に、『オレは偉いんだぞHEY!』みたいな態度はしないようにはしてるんだけど(笑)  でもまあ、一応。大学四年間、作品をそれなりに作ってきたし。自分でも、好きなものもいくつかあるし。まあ、それでなんか……賞いただいたりとか、助手さんに手伝い頼まれたりとか。それなりにやってきたかなぁとは思ってるし。で、まあ、これから就職もするけど、それなりに自分が行きたい業界に近いところには行けたから」 大久保「うん」 福井「まあ……それでも確かにそんな……さっきはんちゃんが言った通り、全体的に見たら。全体で括ったら、そんなにすごくはないよ。普通の人間だと思うんだけど。まあ、自分で自分を評価した時に、それなりにはやったなあって思うから。だから、それで自分とフライドチキンを比べると……フライドチキンって確かにまあ、色んな人が食べたいなあって思うだろうけど。それでもなんか——これ言ったら支離滅裂になるかもしれないんだけど」 大久保「大丈夫だよ」  私がそう言えば、瑶さんもほっとしたように微笑んだ。 福井「なんか、やっぱりその、人って。求められてる場所とか、それぞれあるし。ただフライドチキンってこう、所謂コンビニの人が大体考えているのって、『大体の人が美味しいと感じるチキンを出そう』って。多分(そうやって)たくさん出してると思うんだよ。要するに、万人ウケ」  瑶さんははっきりとした口調のまま言葉を続けた。 福井「だけど別に私は、万人ウケしようとあんまり思ってないから。だからもう……個人で、それなりにまあ、尖るというか。伸びるものを見つけていけるような人生にしようと思ってるので。……まあ、だから、そういう意味では、私は量産……というか、誰にも万人ウケっていう道には進まないと思うし。そういう意味では個人っていう自分を重視しちゃうかな、って感じで……自分の方が価値あるって思った……かな? って感じ」 大久保「ありがとうございます。面白かった」  『それなりにやったなあ』という言葉が、妙に美しく感じた。  それを伝えると、瑶さんは少し下を見ながら頷いた。 福井「そうだね。結局自分が一番、まあ、納得して生きてきてるのが今の自分だと思ってるから。逆に量産というか、誰にも良い顔をして、万人ウケしようって思って生きたら、多分すごい、疲れると思うのね! (自分は)そんなに器用じゃないし」 大久保「うん」 福井「だから、まあ、そういう意味では、自分が楽しい生き方としては、フライドチキンより自分の方がいいかなーって思って……って感じかな」 大久保「……ありがとうございます! なんかその、私は、量産とか固有とか、分かんなくなっちゃってて」  瑶さんが頷いてくれているのを見ながら、言葉を続ける。 大久保「まあ私以外にも分かんなくなってる人多いと思うけど、『なんか誰かに愛された〜い!』の時に、『あの人に愛されたい!』だったらさ、あの人こういうの好みだって言ってたわ、とかさ。そういう感じにカスタムできるけど。なんか、『誰かに愛されたい』って終わりがないじゃない? その、『量産』の果てに行くしかなくて。でもその『誰かに愛されたい』っていうのも、結局その願望って、塗りつぶされて分かりにくくなってるだけで、本当はどこかの『あの人』に愛されたい、かもしれないし。なんかそこのとこゴチャゴチャにしてたし。なんか——なんかすごい、励まされたんだよね。今、瑶さんの『それなりにやってきた』みたいな言葉に」 福井「あ、なら良かった」 大久保「なんか、その自分を……あんまり認めてあげてなかったかもしれない。それなりに……やってきたかも!」  私の言葉に、瑶さんはふっと穏やかな笑みを浮かべて頷いた。 福井「そうそう。それなりで良いと思うんだよね。確かに、めっちゃ結果残したいならまた別だけど。全然まだそんな、二十代前半だし。なんか、すぐ死ぬわけでもないし。それなりにやってそれなりに生きて。好きな事をそれなりに片手間にやって、で、その結果、どっかで——自分の中で。納得できるなんかが見つかればいいかなって感じで生きてるから、正直」 大久保「うん」 福井「あ! たまに焦る事もあるけど。だから、まあ……いっかなぁみたいな」  瑶さんはそう言いながら、スケッチブックに文字を書き始める。なんて書いてあるんだろうと思い、瑶さんに隣に回れば、こう、書いてあった。 『Only one!』 『それなりが一番!!』  かわいい字だった。ふっと力が抜けるようなそれに笑いながら、私も隣に、『フライドチキンになりたいわけじゃない』と書き残す。 大久保「ふふ。……それなりが一番って文字で書くとさ、ちょっと後ろ向きっていうか、ハングリー精神が足りないような気がするけど。なんかさっきの話聞くと、『それなりが一番』って、完璧じゃない選択ではあったけど、でも、自分が目指したいものを選び取った結果だから、良くね!? みたいな」 福井「別にそのなんか、今すぐじゃなくていいと思うんだよな。なんか、私就活したけど……私って結構性格的に、一直線になりがちだから、視野が狭くなっちゃう癖があるから。そこで結構最初っから、自分の行きたい業界の一番良いとこ行って、金持ちになるんだ的な、なんか……目標が高くなっちゃったっていうか!」 大久保「理想?」 福井「そう——理想が高くなっちゃって。ものすごい反省していて。まあなんか結局、階段状に登っていくのが一番いいのかなっていう。最初から無理したらなんか、ね。めちゃめちゃ硬いものに剣か何かでさ。急に切り掛かっても、折れるというか。結局、ちょっとずつ慣らしていく? のが、一番やっぱり強い——というか、切れ味がいいものになるから。そういう感じで生きればいいのかなーって、今は思ってるかな」 大久保「なんか。良い感じに、肩の力が、抜けてて。良いな」 福井「アハハ! なんか、今だから言えるって感じかな」  瑶さんは晴れやかに、からからと笑っていて、私は何だかすごく嬉しくなった。 大久保「うん。今だから、それなりに、いんじゃない? 自分の人生、って」 福井「うん。そうだね。ちょっと前までだったら、すごい焦っててさ。あんまこういう事言えなかったと思うんだけど。今だったらいっかなって思って」 大久保「渦中から抜けたから?」 福井「うーん。そうね」 大久保「じゃあ、今は渦中にいて、自分価値なーい! って苦しんでる人も、もしかしたら。肩の力、抜ける時間くるかも」 福井「なんかさ。波があるから。人生ってやっぱり」 大久保「そっすね!(笑)」 福井「(笑)」  荒波に晒されやすい人同士の、屈託のない笑いだったと思う。二人でけらけら笑いながら、私たちはその絶えず来る波をやり過ごして生きている。 福井「波があるから。人によって、まあ、一概には言えないけど——すごい落ち込んだ時って、大体、ゆっくりだか何だか上がっていく、の繰り返しだと思うし。なんかその、確かに渦中……にばっかいる人たちももちろんいるから。そんなにあの、強くは言えないけど。波があるから焦らないのが一番かな。焦りは禁物だよって言うし。そんな感じかな」  瑶さんはそう言って、どこかの誰かを励ますように笑ってくれた。  他人事のように書いてしまったけれど、それは私に向けてくれたエールだったのかもしれない。分からない。私はまだ自信がないから、フライドチキンに負けると思ってしまえるような自認だから、それが自分に向けれくれたものだと、胸を張って受け取れない。  それが本当に自分に向けてくれたものなら、それを受け取らないのは、友人としてあまりに失礼な事だとも分かっているのに。  だけど、いつもは流してしまうそれを、今は少しだけ、自分に向けて言ってくれているのかもしれないと、受け取れた。  今はそれだけで、『それなり』で、十二分だ。 大久保「ありがとうございます、楽しかったです」 福井「ありがとうございます」 大久保「強く——強く生きなくて良いのか! それなりに、生きましょう!」  私の声に、瑶さんはからからと笑った。私も笑った。

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​※この作品では、文章のブラッシュアップ、客観性を得るために、一時的にAIを利用しました。

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